Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

42歳、転職のリアル「辞めたいが辞められない」篇

会社を辞めたいが辞められない。こんなことを言うと「そんなに嫌なら辞めればいいじゃないか」と臆病者扱いをされ、笑われる。違う。誤解だ。退職や転職を恐れてなどいない。僕はもう働くこと自体に嫌気がさしているのだ。大学を出て20年間それなりに真面目に働き、そこそこ出世した結果、働くことについて何の価値も見出せなくなってしまったのだ。もしかしたらこれが燃え尽き症候群なのかもしれない。

 

つまり、僕はもうあまり働きたくない。面倒はごめんだ。今の仕事を辞めて、別の仕事をやりはじめたら、それが会社勤めであれ、フリーランスであれ、少々頑張らなければならないのは目に見えている。めんどー。そんなのもう堪えられない。最近気が付いたのだが、朝から晩まで働いて、メシ食って、プレステをやったりネット動画を見てから寝る、この絶望的なルーティーンはどんな仕事を選んだところで変わらないのだ。20年間でプレステ、ドリキャス…とゲーム機が代替わりし、VHSがネット動画に変わってはいるけれど、本質的には何も変わっていない。

 

やりたい仕事や追いかけたい夢がある人が心底羨ましい。僕にはそんなものは何もないからだ。僕にあるのは不満とストレスと責任と義務。責任と義務には感謝している。それらに生かされていると言ってもいい。もしその二つがなかったら僕はとっくにドロップアウトして死んでいた。今の僕にとって働くということはただ面倒な行為であり、責任と義務を果たすために金を稼ぐ手段ということでしかない。働くことそのものに意味はなく、金を得ることのみに意味がある。そういう考えが頭をよぎってからは、転職したところで…なんでまた頑張らなければならないんだ…といった厭世的な気分が晴れた瞬間はない。

 

お金が欲しい。お金があればいい。意識が低い僕は、自分を高めようとなんかまったく思わないし、ビジネスを始めようとも思わない。なぜわざわざそんな風に面倒なことを頑張れるのだろうか、不思議でならない。おそらく他人の目を気にしてカッコつけているのだろうが、他人のことなどどうでもいい僕は己を高めず、起業もせず、シンプルに大金が欲しい。毎日、空から大金が振ってくることを真面目に祈っているくらいだ。

 

一方で僕は一連のモヤモヤした気分を解決する方法をすでに発見している。しかしその方法を実践したところで働くことが面倒である事実は変わらないので実践はしない。また、その方法を他人に明かそうとは思わない。そういうのは自分で見つけるべきだし、後進の皆様に同じ轍を踏んでほしいからだ。僕だけがこのような想いをするなんてやり切れない。僕は老いていく。これからのろくでもない人生、他人の失敗を娯楽に生きるくらいしか楽しみがない。転職、めんどー。人生、きっつー。今、僕に出来ることは極楽浄土に行けるよう祈りながら南無阿弥陀仏を幾度も唱えることくらいしかない。(所要時間12分)

納豆が食べたい。

妻が朝食に納豆を出さなくなって久しい。このような一文を書くと「炊事を女性に押し付けている差別主義者め。報いを受ければいい」とフェミィ意識の高い方々が言ってくるので、わざわざご説明差し上げるが、我が家は炊事については朝食は妻、夕食は僕という具合に夫婦で分担しているので安心してご自分の人生に向き合っていただきたい。少々おかしいと感じるのは妻が僕に納豆を出さない一方で自身の朝食には納豆パックを付けている点である。いつ頃から現在のスタイルに落ち着いたのか定かではないが僕が気がついたのは、シン・ゴジラ公開前、夏の初めくらいのことだ。当時、理由を訊ねて「核家族化したこの国において、なぜ、納豆は3パックワンセットで売っているのでしょう?」とはぐらかされてしまった。愛人2人に納豆を供給しているために僕の分がないということだろうか。そう疑ったりもした。相手を疑い、詮索しながら生きるのは虚しいのでそれ以上追及するのはヤメた。妻は管理栄養士だ。栄養管理面について何か考えがあっての行為と僕は推測している。実際、結婚前壊滅的な低スコアを叩き出した僕の健康的な数値は結婚を機に大幅に向上している。たとえば血圧。結婚前は上が80少々しかなかった血圧が結婚後の生活習慣の改善により140程度、平均的中年男性と同じレベルまでアップしている。万が一に備えて生保にも加入させられた。健康と安心。ありがたいことだ。妻は僕のカラダを気遣っているのを悟られるのが恥ずかしいらしく、朝食前に歯磨きを済ませて納豆を食しても男らしくそのまま外出する僕の口臭がみっともないから、などとそれらしい理由をこしらえてもいる。最近、会話している相手にさりげなく手で鼻をふさぐ仕草をされたりして若干臭っているかなと自覚することはあるが、今後キスをする予定もない僕らの間で僕の口臭が問題になりようもないし、やはり、僕のカラダをおもっての行為と考える方が自然だろう。(所要時間10分)

男の子だけど電車内で化粧を注意されたことあるよ。

少々特殊なケースかもしれないが電車内での化粧を注意されたことがある。十数年前のごく一時期だが、僕はイメージなクラブに入り浸っていた。場末の店の割には清潔で、オフィス、ファミレスなど様々なシチュエーションを選べるところが好きだった。お気に入りのシチュエーションは電車、お気に入りのコースはマゾマゾ君コース。マゾマゾ君コースも細分化されていて、小便のあとに大便が来るような自然の流れで車掌に扮したギャルが女装した僕に意地悪をするという倒錯した設定に行き着いていた。当時デビッドボウイや沢田研二にはまっていたのが影響したのかもしれない。粗末なワンレンカツラを被り、上はワイシャツのままズボンの上からペラペラなスカートを着用した僕のところに、今なら集中放火の的になりかねないナチ風の制帽を被ったサド車掌ギャルが襲いかかる。「車両内で化粧するなんて常識のない豚め!」とサド車掌ギャルに尻をさわさわされながら囁かれたとき去来した想いを僕は今でもはっきりと再生出来る。「なぜ料金を払っているのに、誰にも危害を加えているわけでもないのに、化粧くらいで車掌から注意されなければならないのだろう?」極論をいえばルールは人それぞれで、対話によってその境界を定めていくしかない。個人的には化粧は自宅で済ませてきて欲しいがそれを他人に押し付けようとは思わない。他人が化粧をしようがしまいが興味ないし、それで他人が恥をかいても僕にはどうでもいいからだ。ルールはある程度納得させなければ成立しない。人間は基本的に押し付けられることを嫌う生き物だからだ。押し付けられたという事実だけが大きくなり、そのルールがある程度理にかなったものであっても、反発してしまう。イメージなクラブという特殊な環境下であっても同じだ。化粧すなわち豚扱いを押し付けるなど言語道断、もってのほかなのである。そのような憤りに震えながら吊革にしがみつきブヒブヒ鳴いた屈辱の夜を僕は一生忘れないだろう。もしかするとルールに則った美しい社会など存在しないのかもしれない。でも僕は絶望しない。屈辱にまみれ憤慨に震える一方でその後やることはやってスプラッシュしてしまう人間の強さや逞しさを僕は信じているから。(所要時間11分)

子供がいないことはそんなに特別なことなのだろうか。

僕くらいの年齢(42才)で子供がいないのはそんなに特別なことなのだろうか。お子さんは?と聞かれることは多々あるし、なんだか悪いことをしているような扱いを受けることもある。先日のように、どうしても休日出勤して現場の穴を埋めなければならなくなってさあどうしよ?となったとき、自然の流れで「じゃあ子供がいない人で出られる人!」という理不尽な流れになったこともある。ウチの場合は、いろいろあって(妊活にしくじった/精子に問題あり)、子供を持たないと決めたので周りにどう言われようと構わないが、そういう対応をされて、愉快な気持ちになるはすがない。せいぜい人格者面で「能面みたいな顔をしてるくせにお盛んですなぁ!」と嫌味を言うくらいのものだ。このあいだ、妻が子供のときに遊んでいたぬいぐるみやオモチャを近所の児童福祉施設に寄付してきた。遊んでもらえるところにあげた方がぬいぐるみたちも嬉しいに違いないという妻の発案である。思い入れのあるもの以外はすべて譲ってしまった。僕は自分のおもちゃを提供しなかった。「そのうち価値がでるかもしれない…」という卑しい気持ちが僕にストップをかけたのだ。ぜんぶ、「開運!なんでも鑑定団」のせい。おもちゃを渡したあとの妻の言葉が印象的だった。「誰々の子供じゃなくて、みんながみんなの子供だと思えば世の中は良くなるのに」。そういう考え方は僕はとてもいいと思った。みんな僕らの子供。僕の子供。清らかな気持ちを拡散させようとしてフェイスブックを開いた。そこには以前付き合っていた女性の子育ての様子が流れてきていた。僕の知人とのあいだに出来た1歳の男の子だ。10年ほど昔になるが、僕は彼女から言語に出来ないほどこっぴどい仕打ちを受けて別れた。少なからず傷ついた。その後共通の知人と結ばれ生まれてきたのがその男の子。だが、その男の子も妻の考えによれば、僕の子供なのだ。大きな愛と優しさに包まれて元気に育ってほしい。そして、大人になってママに似た心ない女性から言語に絶するような仕打ちを受ければいいし、僕の子供ならそういう運命をたどると信じている。こんな考え方をする僕のもとにコウノトリが飛んでこなかったのもうなずける。(所要時間10分)

これはテロい。

血族姻族一同から「飛行機に乗らないでくれ」と真顔で言われる。僕の高血圧、高脂血症を心配して言ってくれていると感謝の念をもって受け止めていたのだけれど、どうやら違うようでございまして、彼らは自分たちの静かな暮らしを守りたいだけのようだ。「キチキチホイホイ」「事故体質」これが血族姻族の僕に対する評価である。妻の僕に対する評価はもう少しハリウッドで「事件に巻き込まれてばかりで何もしないジョン・マクレーン」というものに落ち着いている。ジョン・マクレーンはいわずとしれたダイ・ハードの主人公、しょっちゅうテロリストに絡まれている物好きだ。血族姻族一同はトラブルに巻き込まれる体質の僕が飛行機に乗るとハイジャックに遭い社会に迷惑がかかるからやめてくれと言っているのだ。失敬すぎる。僕はジョン・マクレーンではない。反論のために己のジョン・マクレーン度を調べてみた。以下が2013年から現在までの僕に起きた怪奇現象である。

(2013年)《2月.自宅トイレに全裸で閉じ込められる》《3月.話したことのない女性同僚からパワハラで訴えられる》《6月.精液検査でしくじる》《9月.意識高い系の事業説明会で精神が死ぬ》

(2014年)《3月.健診でひっかかりウブい肛門を弄られる》《夏.店長失踪により海の家運営を任される》《9月.僕のせいで同僚が離婚》《12月.妻が自宅トイレに閉じ込められる》《12月.上司が死ぬ》

(2015年)《夏.体調不良で3ヵ月弱静養》《7月.搭乗した新幹線のぞみ号で男が焼身自殺》《8月.暴走自転車を避けて軽傷》《9月.所属する営業部が解体される》《10月.箱職人修行開始》《12月.第一次別居生活》

(2016年)《2月.転職にともなう面接の場でズボンが破れパンモロ》《4月.よく知らないブロガーに絡まれる》《春.転職にしくじる》《5月.信号待ち中にババアの自転車に突っ込まれて愛車のボンネット破損》《8月.部長に昇進、リストラ担当となり全社員の憎しみの対象になる》《8月.泥酔老人の自転車が突っ込んできて左膝全治6週間。リハビリGO》

以上である。うむ、これはテロい。僕のジョン・マクレーンぶりがいかほどか、判断は皆さんにお任せしたい。気になるのは昨年から3回も老人の操縦する自転車の攻撃を受けていたり、新幹線で前代未聞の事故に巻き込まれたり、トイレに閉じ込められるなど乗り物系密室系のトラブルが多いこと。これが《飛行機に乗ったらハイジャック》説の根拠らしい。個人的にはテロよりエロを呼び込みたいのだけどうまくいかないのが人生。「チキショー!トラブルを乗り越えて生き残るしかない!」そう決意を固める僕に妻が「そういえばジョン・マクレーンって離婚したんですよね」と言ってきて挫けそうになる。イッピカイエー、くそったれ!(所要時間13分)