Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ASKA「700番第二巻/第三巻」を読みました。

 

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「自宅のIPアドレスではないところから、公開しようと考えた。細心の注意を払った。有名人ブログからの公開も考えたのだが、盗聴盗撮集団に気づかれないよう、一般人のブログのように装った」(12頁)

出だしからサスペンスなASKAさんの「700番第二巻/第三巻」を読み終えて、深く感動している。残酷で、孤高で、掛け値なしに素晴らしかった。これは魂の書である。己を信じ、大いなるものに抗い、戦った者だけが紡ぐことの許される言葉である。

 

700番 第二巻/第三巻

700番 第二巻/第三巻

 

  時々「万里の河」や「はじまりはいつも雨」をカラオケで歌ったり、「MULTI MAX」のファーストアルバムを所有している程度の、とても、熱烈なチャゲアス・ファンとはいえない僕が、なぜ、朝一番で、このピアノソナタのような神々しいタイトルの書籍を手に取り、むさぼるように読破したのか?何もすることがない無職だからである。ゲスい野次馬根性に衝き動かされたからである。何より、安全・安心が欲しかったからである。暗殺。出家。トランプ政権発足。いつ何が起こるかわからない不安定な世界。お茶くらいは安心して飲みたい。お茶を愛する者として、危険物が混入するような事実、可能性があるのなら、それが万が一であっても看過することはできない。「余計な~物など~無いよね~~」とASKAさんの粘着質な声で安全を保証してもらいたかったのだ。そんな僕の安全意識はさておき、この本に求められるのは、ASKAさん自身の言葉でどこまで一連の事件の真相が語られているのか、の一点に尽きる。ネタバレになるので詳細は避けるが、入院治療、ギブハブによる盗聴盗撮、なぜ尿検査にお茶を提出したのか、なぜお茶から反応が出たのか、その真相がはっきりと語られている。しかし、まさか、以前使用したスポイトを○○っていなかっただけとは…。素晴らしいのは、ASKAさんはあくまでASKAさんの真相を語るだけで読み手にそれを押し付けたりはしていないこと、読んだ者の判断に委ねているところだ。どうとらえられてもSAY YES。そんな強い意志がうかがえた。いくつか印象的なセンテンスを挙げる。

その医師は悪い人ではなかった。(中略)ただひとつ。「妄想」という点を除いては。後に、福岡から駆けつけた弁護士たちに「彼は病気です。だいたい、電源の切れたパソコンから盗聴と言っている時点で変でしょう?」と、答えたという。時代に追いついていない。(54頁)

 

何者かがパソコンに侵入した過程も確認できた。私は、すぐに友人たちに電話を入れた。「ごめん!パソコンをハッキングされて、オマエの電話番号を抜かれた。申し訳ない。電話番号をすぐに変えてくれ」(58頁)

 

土曜日、友人から電話が入った。いちばん望んでいたモノが手に入った。「盗聴で得た私の声」をサンプリングしたゲームだ。(113頁)

 

そのゲームには「イージーモード」「ノーマルモード」「ハードモード」があった。私の声は「ノーマルモード」だけに使用されていた。(114頁)

 

けれど空は青。(115頁)

 

企業の皆さん、問題はカメラです。昆虫の目です。ひとつだけルールを決めさせてください。「これを、戦争に利用してはならない」(124頁)

 

もし、取材であり公開されることが分かっていれば、プログラマの間で悪用禁止とされている「ギブハブ」のことなど口にしていない。幸いにも私はそれを言い間違えた。「ギブハブ」ではなく「Gi○○ub」だ。Gi○○ub」自体は違法でないので名前は伏せるが(略)(141頁)

 

Appleとの付き合いは長いが、もう、何十回と、パスワードを書き換えられてきた。しかし、1週間に2回も書き換えられたのは記憶にない。(146頁)

 

「DAIGOみたいじゃん。でも、わかる。特に、センスだよね。物事、センスで決まるから、センスのないヤツは、何をやってもダメだからね。オレたちの業界でも同じ」「やっぱり、音楽の世界でもそう?」「同じだねぇ」「スタッフを決めるときに、重要なことってあるの?」「これは、持論なんだけど、女性社員にモテないヤツはダメだね」(171頁)

 

サスペンスかつミステリアス。そして非モテ批判。 これらの文章を読み、どう感じ、どう思うか。そういった判定を下すことが、ASKAさんへの最低限の敬意だと僕は思う。僕もこの文章の最後に自分なりの判定を示したいと思う。昨年、僕は小保方晴子氏の著作「あの日」を「言い訳文学」と高く評価した。だが、この「700番」には言い訳めいた記述は一切なく、潔い。両者ともに世を騒がせた事件の核心に触れているのだが、読後感はまったく異なる。時にポエミーな表現を用いて感情に訴えかけようとする小保方さんに対して、ASKAさんは淡々とASKA視点の真相を語りかけてくるだけだ。その視点は、全編にわたって落ち着きと潔さに貫かれている。根底にあるのは強い確信。「僕は監視されている」「警察は恐ろしい」「尿検査はイヤだ」ただ、その確信はおそろしく孤独だ。はっきりいおう。僕には「700番」で語られる真相が何を意味するものなのか、根底にある確信がどこから来ているのかよくわからなかった。ギブハブ。格闘ゲームに自身の盗聴ボイス使用。ブルーレイ時代に証拠をCD-Rに保存。ただ、尿検査に尿のかわりにお茶を出した行動だけは、イタズラで自分の尿のかわりに犬の尿を提出して猛烈に怒られた過去を持つ僕には少しだけわかった気がしたけれども。

だが、それは仕方のないことなのだ。ASKAさんは天才なのだ。凡人に天才の確信が理解できるはずがない。そこにASKAさんの悲劇がある。「しゃかりきコロンブス」というイカしたフレーズを紡ぎだせる天才と僕ら凡人では、そもそも、見えている世界が違うのだ。「700番」は《天才とはわかりあえない》という現実を突きつけてくる。裏返せばそれは《誰にもわかってもらえない》という天才の悲痛な叫びに他ならない。その残酷さ。孤独。「わかってもらえなくてもいい、ただ、わからないことを理由に否定しないで欲しい」という願い。僕はそこに妙に魅かれてしまった。さて、僕はこの「700番」を読み終えて「ASKAさんは●●●」と確信した。●●●に入る文字は想像にお任せする。皆にもこの傑作を読んでいただき、それぞれの●●●を埋めてもらいたい。僕はこれからもある一定の距離を置いてASKAさんの活動を見守ろうと決めた。新曲「FUKUOKA」マジで良かったです、頑張ってくださいとエールを送りたいところだが、今は、まず、この書を生み落してくれたことに感謝を伝えるべきだろう。

 

ありがとう。

 

ASKA 

(所要時間2時間15分 読書時間含めて)

700番 第二巻/第三巻

700番 第二巻/第三巻

 

 

就職が決まりました。

再就職に向けて面接を受けてきた。かつて血で血を洗うような争いを繰り広げた同業他社から声を掛けられたのだ。食品業界の底辺を跋扈していた同じ穴のムジナ。内情は想像がつく。隣りの芝生は青いというが、絶対に青いはずがない。だが、長年の社畜生活で芝生の色を青くするのも鮮血で染めるのも自分次第であることを僕は知っている。新ボスは僕のことを大変評価してくれていて、営業部門の中間管理職、課長待遇で迎えてくれるといってくれた。「前職でも営業課長だったよね」「部長でした…」このやりとりの後に訪れた沈黙より重苦しい沈黙を僕は知らない。完全実力主義、学歴は関係ない、グローバルに展開と暑苦しいアピールをする新ボスは、おそらくいい人なのだろう。ただし、そこそこ学歴もあって既得権益、年功序列、終身雇用を是とする僕とは住む世界が違いすぎた。だが、何よりも無職生活から抜け出したかった。僕くらいの中年になると「停滞!」をアッピールする会社にはオクスリを出したくなるけれども、「挑戦!」を執拗にアッピールする会社にも北朝鮮レベルの不安を覚えてしまうものだ。僕に不安を募らせたのは、そういった会社の姿勢などではなく、僕のことを評価して声をかけたといいながら「当面の給与については時給になるかも」「1年間は試用期間で」「営業として働いてもらうのは5月からになるけどいい?」という一連の説明である。「辞めるはずの人間が辞めなくてさー」という声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。前の会社と同等、いや、それ以上のブラック・スメルが鼻をつくようになってきて、耐えきれなくなってしまう僕。それに気づいた新ボスが「安心して欲しい。5月までの生活の保障は考えてあるから。研修も兼ねて人員不足の現場にヘルプで入れるように手配するから」と言ってくれたが、フォローにも、気休めにもなっていなかった。僕は恐ろしいことに気づいてしまった。隣りの芝生は青いというが、それって実はただ自宅の庭に生えている芝生の青さに気づいていないだけなのではないか?かつて、ソビエトの宇宙飛行士ガガーリンは「地球は青かった」と言った。ガガーリンが地球の青さに気づいたのはブラック宇宙に飛び出したからだ。僕も同じだ。外に出てしまったからこそ、前の居場所がそれほど黒くない、ともすると青いことに気づいてしまったのだ。ただ、あの場所に神と退職金制度はなかったけれども。こうして僕は内定を貰った。「家族に最終確認をさせてください」といい、その場を後にした。逃げるつもりだった。足の踏み場もないほどの地雷が埋められた大地に一歩を踏み出すような無理をするには僕は年を取りすぎてしまった。妻に実情を報告して「ヤバいよ。前よりもヤバいかもしれない。ブラックホールかもしれない」と泣きついた。「じゃあ断れば?」「いいの?」「君みたいな中年が務められる職場が他にあるの?いいかげん目を覚ましてください。このままじゃ夫婦滅亡ですよ」ED。無職。バツイチ。この機会を逃したら僕は負の三冠王になってしまう。それだけはイヤだ。僕はブラック地雷を踏む覚悟を決めた。このようにして夢も希望もない再就職が決まった。今、僕に出来ることは地雷を踏んで吹っ飛ばされたとき天国に召されること。血で血を洗っていたはずが、まさか現場で皿を洗うはめになるとは。キツすぎるけどこれもまた人生。(所要時間16分)

夫婦滅亡の日まであと1日となりました。

何を隠そう明日平成29年2月8日は夫婦滅亡の日である。年末。「今度会うときは客だ」と捨て台詞を残し、家族に相談もせず、何の展望も計画もなく、ボスとの美しい罵り合いを経てめでたく怨恨退職した。わずか半日で営業部長から無職に身を落とした僕を家族は温かく迎えてくれた。1ヶ月の猶予を与える。その間に生活レベルを落とさない程度の収入を確保できる職業を見つけるか、商売を始めること。温かな味噌汁と共に妻が僕に課した条件はシンプルかつシビアなこれだけ。「万が一、というか百に一くらいの可能性があるけど、しくじったら?」「全財産ボッシュートのうえ夫婦滅亡」僕の保険証券を精査しながら笑う妻のうなじが真冬の月よりも遠く、冷たく感じられたのをつい昨日のことのように覚えている。こういう経緯で僕の転職デスゲームは始まったのである。しかも無理ゲー。きっつー。このような話をすると、なぜ離婚しないのか、馬鹿なのか、マヌケなのか、野垂れ死ねとありがたい助言をいただくが、しばし外野には黙っていてもらいたい。僕と妻の間には、生活におけるほとんどの事項について考え方に大きな隔たりがあることは認める。だが安心してほしい。人生を共に歩むうえで大事な、そして根本的な考えは完全に一致している。僕と妻は生まれ変わったら、お互い、絶対に別のパートナーを選ぶという点では考えが完全に一致しているのだから。さて滅亡の日が明日に迫っている(1週間ほど延ばしてもらったのはインフルでダウンした期間を考慮してもらったからである。妻のドライアイにも涙)。「果報は寝て待て」という引きこもり擁護の言葉があるが僕はそれを信じない。ハロワで傷ついた心を昼ビールで癒したり、誰も見ていない月9を観たり、披露する機会のない恋ダンスをマスターしたりと孤独な戦争に従軍していた。人事を尽くして天命を待つ、というヤツである。そして先ほど、引田天功の魔術のように突然天命が来た。僕を営業部門の中間管理職としてハンティングしたいという奇特な企業殿からの申し出があったのだ。「明るくて働き易くて好条件な職場なのに慢性的な人不足に泣かされています」「給与もガンガン上がります」「今の社長もアルバイトからの叩き上げです」という担当者のコメントから若干のブラック・スメルがしないわけではないけど、待遇に関しては、概ね希望通りなので面接で細かい点を確認して何もなければ決まるだろう。決めたぜ!サヨナラソロホームラン!さて。今回の再就職はひとえに僕の能力、人格、実績のおかげである。よく、なんとか賞を取った人が「今回の受賞は支えてくれた人たちのおかげ…特に妻には感謝の言葉では足りないくらいです」などと量産型聖人のようなつまらないコメントをするが、僕はしない。なぜなら無職の1ヶ月間、求職活動に支障が出るほどの家事を担当させられたうえ、「無職に口無し」「稼がざる者、食うべからず」「働かないこと林受刑者のごとし」などとプレッシャーをかけられてきたのである。ただし、家族に迷惑をかけたのは事実なので、その分は金で返していきたい。程度の差こそあれ人生とはマネーゲームなのである。頑張るぞー。こうして僕は夫婦滅亡は回避することが出来た。感謝や謝罪の言葉は敢えて口にしない。それは逃げであり、結局のところ言葉ではなく行動で示し、返していくしかないからだ。だがひとつだけ自分の言動で謝らなければならないものがある。僕は怨恨退職の際に「今度会うときは客だ」とイヤミな捨て台詞を残してきたが訂正したい。なんて恥ずかしいことを言ったのだろうか。同僚たちに合わせる顔がない。僕は血を血で洗うような抗争を繰り広げてきたかつての競合他社で世話になることになる。今度会うときは敵なのだ。(所要時間18分)

会社員時代の所業が呪いとなって無職の僕に襲いかかってきている。

ご無沙汰しております。現在、僕は箱職人の義父のもとで、お茶煎れ、菓子の買い出し、ペンキ塗り、犬の散歩、詰将棋、恋ダンスの練習、ファミコン版魔界村の攻略、平日スノーボード…といった箱の技術承継と関係のないことに追われる忙しくも充実した日々を無為に過ごしている。義父が箱つくりのイロハを教えようとしないのは「職が見つからないから職人に…」という浅はかな僕の考えを見透かしているからだと思う。職人の意地というやつだ。今、僕は無職。サラリーマン時代、僕は「無職は無意味、無価値」と口癖のように言っていた。その言葉は自分自身への呪いの言葉となってはねかえってきている。時計の針を戻せるのなら、あの頃に戻って「未来の自分に呪いをかけないで」と伝えたい。自分が無職になった今だから言える。言い訳や自己保身ではない。僕は間違っていた。無職は決して無意味や無意味なんかじゃない。いわば準備段階。さなぎ状態。僕のように比較的健康な肉体、そこそこの職業能力、歪んだ性格を持ちながら、職に就かずに昼間から酒を飲んでブラブラしているのは、無意味・無価値に見えるかもしれない。だが、それは違う。そこそこ健康な心身を持ちながら、理由も目的も信念もなく無職をやっている人間は、無意味や無価値などではなく、ただただ有害である。国を食い潰し滅ぼさんとする害悪の準備段階である。害悪のさなぎである。偏見や思い込みではない。自分自身がその立場に身を落として経験してわかった事実だ。僕のような理由なき怠け者無職に対する生活保護は一刻も早く打ち切り、彼の国への送金を禁じているように親御様からの送金を禁じるべきだ。権利ばかり主張して義務を果たさない、害悪の無職には、皆様の尊い血税で作られた公園のベンチに座ることも、はたまた、カタギの皆様が汗水垂らして維持をしている電気・ガス・水道を利用してブログを書く権利などないのだ。その一方で、凡庸な若者や極端に楽観的な人がうらやましいと思う機会も増えた。さしたる能力や実績もなく、凡庸な夢だけで無職を生きていられるし、人生を振り返り自分本来の可能性や人生の意味を考えたりとくだらないことで時間をつぶせる。エクセレント。普通レベルの人間はそうはいかない。通常、己の人生を振り返るのにはせいぜい10分もあれば十分だからだ。それに、そろそろ無意味に意味や価値を見出すようなくだらねえゲームはやめにしていただきたいものだ。自分の価値や可能性を信じるのは大変結構なことだが、評価というものは基本的に他人からなされるもの。路肩に転がっている石ころが自分で宝石レベルの値札をつけているほど悲惨なショーはないのだ。きっつー。ああ、一刻も早く、この無職地獄から脱出したい。再就職がかなわぬのなら箱作りに残りの人生をかけたい。しかし、朝から魔界村をやっているボンクラに箱の未来は任せられない。義父がそう考えるのも無理のないこと。僕に職人としての未来があるのかないのか、ファジーな状態、もやもやした気持ちを抱えて生きていくのは地獄なので、義父に僕を後継者にするつもりがあるのか問いただしてみた。義父の答えは想定外であった。「我が流派は江戸時代から続いているだけで歴史的価値はなく、技術的に特別優れているわけでもない。唯一のセールスポイントは跡取りがいないため間もなく断絶という日本人が好む悲壮感、絶望感のみ。今風にいえばプレミア感。もし跡取りがいたらそのプレミア感がなくなってしまうだろう?」切実な理由がそこにはあった。こうして箱職人への道も閉ざされたのである。これも過去の所業が呪いとなって返ってきたのだろうか。しかし諦めたらそこでゲームは終わり。僕は諦めない。今日も、求職活動を本格化させよう、事業を起こそうと決意して弾丸のように自宅を飛び出した。そこまではよかったのだが、吹きすさぶ冬の風はすさまじく、コンビニで買ったカップ酒をちびちびやって体を温めながら、海岸でひとり、凍えそうなカモメ見つめ泣いていました。このまま飲んだくれてアル中ハイマーになってしまえば楽なのかもしれない。波が砂に書いた「再就職」の字を消してどこかにいってしまうように、僕の経歴からこの無職時代も消してくれればいいのだけれど、現実社会がそんなに甘くないことを20年サラリーマンをやってきた僕は良く知っている。夫婦滅亡まであと1週間。(所要時間20分)

42歳、無職のリアル

会社を辞めて4週間、まだ仕事は見つからない。世間体を気にして朝のゴミ出しもスーツを着て、あたかも出勤前のパパを装ってやっている。妻からは1ヵ月以内に今後の見通しを示さないと大変な災厄が降りかかると警告されている。今朝、「相談もなく会社を辞めてしまって…何サマですか」と妻から言われた。彼女は何の見通しもなく身勝手に辞めた僕のような人でなしに『様』を付けて慕ってくれている。ありがたいことだ。「僕のような勝手人間に『様』なんてつけないでくれよ。水臭い」という僕の感謝の言葉を遮って、彼女は「生活水準は落としたくない」と言う。なんて冷たい人なのだろう、このような危機を協力して乗り越えるのが家族のあるべき姿ではないか、無職という立場を棚上げして、パートで働く彼女に説教して差し上げた。「多少、家計が苦しくなってもいいではないか」と主張する僕に、彼女は、では仮の話をさせていただきますが、と前置きしてから「今、A子はパートで働いています」「ハイ」「A子の職場は人間関係がイヤな感じで、仕事もキツイとします」「最悪だね」「辞めたい。しかしA子の主人は無職で家計を支えるために辞められません」「そんな職場は辞めた方がいい。僕もブラッキーな会社を辞めた途端に胃痛が治ったよ」「A子は次の仕事のメドがついたのでパートを辞めました。しかし次の仕事の時給は前よりも低くなってしまいました」「そりゃ大変だ」「生活費はギリギリまで切り詰めているので、あとカットするのは主人へのおこづかいのみ」「仕方ないよね。緊急だもの」「A子は私です」「えー!」「もし、キミが再就職に失敗して生活水準が以前よりも下がってしまったら、いの一番でカットされるのはキミの小遣いであることを忘れないように、死ぬ気で頑張って生きてください」。毎朝、このような有形無形かつ荒唐無稽な重圧を受けている。今朝は真面目に「とくダネ!」も見ないで求職活動に取り組んだ。前に登録したいくつかの転職サイトからは、まったく反応がない。小遣い死守のため、生活水準を落とさないため、前職と同等の待遇を入力した途端に、積極的に助言をくれていたアシスタント役からの連絡は途絶え、企業からのアプローチは皆無。何万社登録してあるサイトであっても、特別なスキルを何も持たない平凡無気力な42歳の前には無力なのだ。朝一で職安に行ってみた。先日、離職票を持って行った際に職安のロビーで見かけた「チャンス求人」コーナーなら、あそこなら、僕の生活水準を維持する《100万円求人》があるに違いない。だってチャンスだもの。チャンスを活かすも殺すも自分次第、そういう意気を胸に僕は、チャンス抱きしめて、ユガタチャンス、ユガタチャンスと吉川晃司を歌いながらハロワに向かったのである。チャンス求人コーナーに辿り着いて「チャンス!前回の求人より時給が10円アップしています!1日80円アップ!」という文面を目の当たりにしたときの絶望をあらわす言葉を僕は持っていなかった。端末コーナーからは「ダブルクリックってどうやんの!」という初老男性の絶叫が聞こえた。きっつー。僕のやってきたところは想像以上に悲惨な戦場なのかもしれない。夫婦滅亡まであと1ヵ月。頑張るぞー。(所要時間16分)