Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

営業部長から皿洗いパートになった僕が現場のおばちゃんから教わったプロ意識が凄すぎる。

今、僕は社員食堂で時給935円のパートとして働いている。《営業部門の責任者》というニンジンを目の前にぶら下げられ、研修という名目で、慢性的に人手不足の地獄現場に送り込まれたのである。営業としてのプライドはないのか。生粋の社畜め。43歳がっ。そのような批判・指摘を仰る方々は口を慎んでいただきたい。的外れだ。というのも今ここの現場でしか学べない、ライブ感のあるプロ意識に触れる機会は、何物にも替え難い財産であるし、そもそも社員ではないパートタイマーの僕は社畜になりえないのだ。せいぜいパ畜。そんなパーチクの僕が任されている仕事は洗浄コーナー。コンベヤ式の食器洗浄機で1000人分の食器を洗浄し、食器消毒保管庫に収納するという極めてクリエイティブな仕事。そこを取り仕切るおばはん、通称『ミーシャ』から僕はおぞましいまでのプロ意識を叩き込まれている。ところでプロとは何だろうか?その定義はいろいろあるけれど『自分の技術や知識を駆使して己の居場所をつくる』のがプロだと僕は思う。会社員を20年やって部長までなった僕がまさか社員食堂の片隅でパートおばはんからプロ意識を叩きこまれることになるとは…人生とは摩訶不思議だ。食器洗浄の仕事は、下膳された食器から食べ残しを除去し軽く洗ってからコンベヤ式食器洗浄機のコンベヤに食器を置く係と、洗浄が終わった食器群をコンベヤの末端で受けて、翌日使いやすいよう種類ごとにカゴに入れて収納する係、大きく分けて二つに分かれており、双方に阿吽の呼吸とリズム感、そしてキモチのシンクロが求められる。食器を送る側が受ける側の状況を確認せずに許容量以上の食器を送り込んだらコンベヤの末端からウワーッと絶叫があがってホイ労災。ミーシャは30年近くこの仕事を任されているので自ずとリーダーになる。僕が配属された当初、南米おばはんの「アニータ」とシニア人材センターから派遣されてきた「沼ッチ」、そしてミーシャと僕の4人から構成された洗浄チームは、2週間弱が経過した現在、ミーシャと僕の2人しか残っていない。ミーシャの高すぎるプロ意識が周囲の者を駆逐したのである。食器を送る側と受ける側では圧倒的に送る側が優位である。主導権を握れるからだ。ミーシャはその優位なポジションを絶対に譲ろうとしない。居場所を脅かす存在は排除。アニータや沼ッチは、ミーシャが占有する楽ポジションをうかがい、極めて陰湿な方法で抹殺された。ミーシャは受ける側を顧みない。悪いことは重なるものでございましてコンベヤは故障しており最速モードから変更ができない。普通の人間ならば受ける側が収納しやすいように食器の種類ごとに送るものだがミーシャはなぜか殺意をもってバラバラの種類を送り込むのである。想像してほしい。1000食分、主菜皿、小鉢、飯椀、汁椀、カレー皿、丼、プレート、箸、スプーン、フォークがめちゃくちゃに送られてくる様を。断言しよう。ミーシャは『ぷよぷよ』対戦モードの強者だ。アニータも沼ッチもミーシャの食器連鎖攻撃に心を折られて離職へ追い込まれてしまったのだ。「ふざけんなよ。あのおばはん何とかしろよ」と年少のマネジャーに文句をいったら「あの人、以前、注意したら●●●●に駆け込んで問題になったんすよ。結果的に●●●●でも手を焼いて見捨てられたみたいですが」などと不穏なことを言う。きっつー。逃げたい、思ったが、営業責任者のポジションはどうしても諦められず、ミーシャの『ぷよぷよ』食器連鎖攻撃に僕は耐え続けた。するとミーシャは最終奥義職場ボイコットを繰り出してきた。腹痛のために仕事を休んだのである。今日、僕はたった一人、洗浄コーナーという名の戦場で戦った。下膳コーナーのシンクから回収した食器を軽く手洗いしてコンベヤに置き、それからおもむろに走って洗浄機のスイッチをオン、そのままの勢いを維持しつつコンベヤの末端で食器を受け、カゴに入れて収納、それを終えたら下膳コーナーへダッシュ、もちろんスピードを殺さないように洗浄機をオフするのを忘れない。これを3時間、途中ヘルプに来てくれた人もいたけれど、基本的に一人でぶっ通し。妻とセックスレスという都合上、一人でするには慣れている一人上手の僕でもキツくて心が折れそう、正直もうダメだ、って気分になっている。今、僕はあれだけ憎んだ彼女を待ち望んでいる。ミーシャ。明日は来てくれるだろうか、いや、来てくれなければ困る。正社員になるためには、食器の山で死なないためには、悔しいが、ミーシャに頭を下げるしかない。同僚を血祭りにあげてでも自分の居場所を守る、そんな間違ったプロ意識の前に僕らはただひれ伏すしかない。(所要時間21分)

43歳無職からの脱出が想像以上に過酷ですでに心が死にかけてる。

深夜1時、安酒を飲みながら自宅マンションの万年床の上でこの文章を書いている。この文章がアップされる平成29年3月1日午前8時、僕の43歳の肉体は、もう、ここには存在しない。何もかもがイヤになってしまった。さようなら。お別れだ。実は、内定をもらっている会社から、ゴールデンウイーク明けといわず3月からあなたの能力を貸してもらいたい、というありがたい言葉をいただいた。めでたく無職返上と相成ったわけである。ところが全然めでたくなかったのだ。一応、営業の責任者としてヘッド・ハンティングされたはずなのだが、なぜだろう、おかしいなあ、某一流企業の社員食堂でパートスタッフとして働くことになったのである。「主に下膳コーナーで大量の食べ残し、押し寄せる食器類、利用者からの無慈悲なクレーム、それらに対して貴兄の辣腕を振るっていただきたい」と電話の先の声が深刻な雰囲気で言うので、少々オツムの働きが悪い人なのだろう…と同情しつつ、どういうことなのか聞いてみる。判明したのは、人不足が如何ともしがたいレベルに達して猫の手も借りたい状況に陥っているが猫を飼っていないので僕に声を掛けたという世知辛い事実。意地悪で「猫の手でいいならそこらのノラ猫でいいではないか、ノラがいないならあなたが行けばいいではないか」と言ってやると、すでに他の現場に掛け持ちで入っており年が明けてから休みが取れていない、疲れているのに眠れない、と返された。聞かなきゃ良かった。きっつー。ユニフォームもあるし、頻繁に所定時間外労働はあるけれども、老練かつ厄介な仲間もいるので安心して働いてくださいなどと可もなく不可もないことを蚊の泣くような声で言うものだから、余計、気持ちが萎えてしまう。前職と同じ業界なので、何となく中身は想像はできたが、僕が考えていた以上に悲惨な様子が見て取れた。悲惨の中身もよくわかってしまう。「お願いします…」「期間は最短で2か月間ですから…」とお願いベースで話す一方、「断ったら内定はなかったことに…」「このチャンスを失ってもいいんですか?」と恫喝する小生意気なスタンスにますます萎えていく僕の気持ち。賃金の方は出来るかぎり出しますから…と言ってくれたのが救いだったが、僕の望む面接時に約した本採用の賃金は、辞めるはずの人が辞めないせいで今は難しいと言う。ふざけてるのだろうか。もうイヤだ。逃げよう。辞めよう。と思ったけれど、内定が消えたら離婚からの慰謝料というコンボが炸裂して経済的に追い詰められるのは目に見えている。逃げられない。とても。無職以上正社員未満の僕には逃げる場所も権利もないのだ。僕に残された選択肢は、心を殺して食器洗いマシーンになることのみ。死して屍拾うものなし。なお、提示された時給は神奈川県地域別最低賃金に5円プラスした935円。たった935円。そんな金額に束縛されてしまう自分が哀しいけれど、今はこのはした金が繋ぎとめてくれるものについて考えることにする。(所要時間15分)

ガチガチの競合他社に転職いたします。

僕はこれまでインターネット上に公開されてきた転職・退職エントリーを「ただの自慰行為」として激しく批判してきた。その僕がこのように転職・退職エントリーを書いている。なぜか。他人の自慰を見せられるのは不快だが、自慰をするのは気持ちがいい、それを公衆の面前でするのはもっといいことに齢43にして気付いてしまったからである。よくよく考えてみると、僕の人生は自慰の連続のようなものであった。不快極まりないと思うが僕の自慰にお付き合い願えたらこんなに嬉しいことはない。転職・退職エントリーを研究したところ、どれも個性と自尊心と偽善に満ちあふれ、型にはめたように「感謝」「学び」「実績」「これからの目標。夢・希望」という要素にまとめられていたので、僕もそのセオリーに沿って書いてみたい。

感謝

退職エントリーには感謝を口にしなければならないという暗黙のルールがあるらしい。なぜ、第三者が閲覧しているワールドワイドウエブに向けて特定の誰かへの感謝を記さなければならないのだろう。FBやLINEやメールで《直接》関係者に感謝を伝えればいい。かつての同僚への感謝を忘れない自分自身の姿に酔っているだけである。厳しい言い方をするのなら、感謝するよりも感謝されるような仕事をしていなければダメなのである。それほど謝意を持つのならやめなきゃいいのにと思う。僕は給料分は仕事したという自負があるので特別な感謝はしない。あるのは晴らすことのできない怨念だけである。

学び

つづいて学び。意識高めの若者は「気付き」というらしい。働くことを通じて自分が成長できたことをアッピールするのも退職エントリーのお約束になっている。RPGのレベルアップじゃあるまいし「成長できました」なんてよく真顔で言えるなーと感心するばかりである。新卒の人が成長出来ましたアッピールするのは理解できる。会社も教育に熱心な期間だからだ。しかし、中途入社やそれなりのキャリアを経た即戦力かつ実力者は、いちいち成長、学び、気付きをアッピールしない。できない。出来て当たり前の世界だからである。死して屍拾うものないビジネスの世界では、成長できる余地イコール隙になって、相手に付け込まれることがある。誤解してほしくないのは、僕は成長を口にするなと言っているのではないということ。ただ、安易に口にするなと言っている。本当に出来る人はインスタントに成長を口にしない。口にするときは自分の中で消化分析し終えているのだ。何歳になっても人間は成長できると主張する人もいるが、大多数の人間は年齢を重ねれば重ねるほど成長しなくなる。自分は成長しないという厳しい現実を忘れないことのほうが、成長アッピールよりもずっと重要だと僕は思う。

実績

実績をアッピールする転職・退職エントリーも実に多い。求職エントリーなら、自分はこんな仕事をしてきましたというアッピールは大変重要で意味があるといえる。だが、すでに転職先が決まっている状態で、なぜ、そんなものを公開するのだろうか。完全な自慰であり、気持ちいいことは否定しないが、「よくわからないけどスゴイなあ」「履歴書に書けよ」という言葉しか見当たらない。そもそも「○○プロジェクトの一員として当該プロジェクトを成功へ導く」と記載されていても、どの程度、その仕事に関与したのか部外者にはまったくわからない。お茶を入れたり、菓子を出したりする程度の関与かもしれない。公表するのなら事業やプロジェクトの何パーセントに貢献しているのか、数値でわかりやすく記載してほしい。

 これからの目標

先日お伝えしたとおり競合他社への転職が決まった。営業エリアも顧客ターゲットもほぼ同じ、会社の規模は次にお世話になる会社の方が大きく、経営方針も無慈悲なので、かつての同僚たちをこの手で殲滅することになる。ざまあ。などと正直な感想を表に出すと《非人間的》《ウォーズマン》と批判・糾弾されるので、公式には悲しい、きっつー、ということにしておきたい。人間だもの。微力ながら、この露悪的な文章がネット上にはびこる薄気味悪い退職・転職エントリー絶滅に繋がることを祈って、結びの言葉とさせていただきます。(所要時間19分)

ASKA「700番第二巻/第三巻」を読みました。

 

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「自宅のIPアドレスではないところから、公開しようと考えた。細心の注意を払った。有名人ブログからの公開も考えたのだが、盗聴盗撮集団に気づかれないよう、一般人のブログのように装った」(12頁)

出だしからサスペンスなASKAさんの「700番第二巻/第三巻」を読み終えて、深く感動している。残酷で、孤高で、掛け値なしに素晴らしかった。これは魂の書である。己を信じ、大いなるものに抗い、戦った者だけが紡ぐことの許される言葉である。

 

700番 第二巻/第三巻

700番 第二巻/第三巻

 

  時々「万里の河」や「はじまりはいつも雨」をカラオケで歌ったり、「MULTI MAX」のファーストアルバムを所有している程度の、とても、熱烈なチャゲアス・ファンとはいえない僕が、なぜ、朝一番で、このピアノソナタのような神々しいタイトルの書籍を手に取り、むさぼるように読破したのか?何もすることがない無職だからである。ゲスい野次馬根性に衝き動かされたからである。何より、安全・安心が欲しかったからである。暗殺。出家。トランプ政権発足。いつ何が起こるかわからない不安定な世界。お茶くらいは安心して飲みたい。お茶を愛する者として、危険物が混入するような事実、可能性があるのなら、それが万が一であっても看過することはできない。「余計な~物など~無いよね~~」とASKAさんの粘着質な声で安全を保証してもらいたかったのだ。そんな僕の安全意識はさておき、この本に求められるのは、ASKAさん自身の言葉でどこまで一連の事件の真相が語られているのか、の一点に尽きる。ネタバレになるので詳細は避けるが、入院治療、ギブハブによる盗聴盗撮、なぜ尿検査にお茶を提出したのか、なぜお茶から反応が出たのか、その真相がはっきりと語られている。しかし、まさか、以前使用したスポイトを○○っていなかっただけとは…。素晴らしいのは、ASKAさんはあくまでASKAさんの真相を語るだけで読み手にそれを押し付けたりはしていないこと、読んだ者の判断に委ねているところだ。どうとらえられてもSAY YES。そんな強い意志がうかがえた。いくつか印象的なセンテンスを挙げる。

その医師は悪い人ではなかった。(中略)ただひとつ。「妄想」という点を除いては。後に、福岡から駆けつけた弁護士たちに「彼は病気です。だいたい、電源の切れたパソコンから盗聴と言っている時点で変でしょう?」と、答えたという。時代に追いついていない。(54頁)

 

何者かがパソコンに侵入した過程も確認できた。私は、すぐに友人たちに電話を入れた。「ごめん!パソコンをハッキングされて、オマエの電話番号を抜かれた。申し訳ない。電話番号をすぐに変えてくれ」(58頁)

 

土曜日、友人から電話が入った。いちばん望んでいたモノが手に入った。「盗聴で得た私の声」をサンプリングしたゲームだ。(113頁)

 

そのゲームには「イージーモード」「ノーマルモード」「ハードモード」があった。私の声は「ノーマルモード」だけに使用されていた。(114頁)

 

けれど空は青。(115頁)

 

企業の皆さん、問題はカメラです。昆虫の目です。ひとつだけルールを決めさせてください。「これを、戦争に利用してはならない」(124頁)

 

もし、取材であり公開されることが分かっていれば、プログラマの間で悪用禁止とされている「ギブハブ」のことなど口にしていない。幸いにも私はそれを言い間違えた。「ギブハブ」ではなく「Gi○○ub」だ。Gi○○ub」自体は違法でないので名前は伏せるが(略)(141頁)

 

Appleとの付き合いは長いが、もう、何十回と、パスワードを書き換えられてきた。しかし、1週間に2回も書き換えられたのは記憶にない。(146頁)

 

「DAIGOみたいじゃん。でも、わかる。特に、センスだよね。物事、センスで決まるから、センスのないヤツは、何をやってもダメだからね。オレたちの業界でも同じ」「やっぱり、音楽の世界でもそう?」「同じだねぇ」「スタッフを決めるときに、重要なことってあるの?」「これは、持論なんだけど、女性社員にモテないヤツはダメだね」(171頁)

 

サスペンスかつミステリアス。そして非モテ批判。 これらの文章を読み、どう感じ、どう思うか。そういった判定を下すことが、ASKAさんへの最低限の敬意だと僕は思う。僕もこの文章の最後に自分なりの判定を示したいと思う。昨年、僕は小保方晴子氏の著作「あの日」を「言い訳文学」と高く評価した。だが、この「700番」には言い訳めいた記述は一切なく、潔い。両者ともに世を騒がせた事件の核心に触れているのだが、読後感はまったく異なる。時にポエミーな表現を用いて感情に訴えかけようとする小保方さんに対して、ASKAさんは淡々とASKA視点の真相を語りかけてくるだけだ。その視点は、全編にわたって落ち着きと潔さに貫かれている。根底にあるのは強い確信。「僕は監視されている」「警察は恐ろしい」「尿検査はイヤだ」ただ、その確信はおそろしく孤独だ。はっきりいおう。僕には「700番」で語られる真相が何を意味するものなのか、根底にある確信がどこから来ているのかよくわからなかった。ギブハブ。格闘ゲームに自身の盗聴ボイス使用。ブルーレイ時代に証拠をCD-Rに保存。ただ、尿検査に尿のかわりにお茶を出した行動だけは、イタズラで自分の尿のかわりに犬の尿を提出して猛烈に怒られた過去を持つ僕には少しだけわかった気がしたけれども。

だが、それは仕方のないことなのだ。ASKAさんは天才なのだ。凡人に天才の確信が理解できるはずがない。そこにASKAさんの悲劇がある。「しゃかりきコロンブス」というイカしたフレーズを紡ぎだせる天才と僕ら凡人では、そもそも、見えている世界が違うのだ。「700番」は《天才とはわかりあえない》という現実を突きつけてくる。裏返せばそれは《誰にもわかってもらえない》という天才の悲痛な叫びに他ならない。その残酷さ。孤独。「わかってもらえなくてもいい、ただ、わからないことを理由に否定しないで欲しい」という願い。僕はそこに妙に魅かれてしまった。さて、僕はこの「700番」を読み終えて「ASKAさんは●●●」と確信した。●●●に入る文字は想像にお任せする。皆にもこの傑作を読んでいただき、それぞれの●●●を埋めてもらいたい。僕はこれからもある一定の距離を置いてASKAさんの活動を見守ろうと決めた。新曲「FUKUOKA」マジで良かったです、頑張ってくださいとエールを送りたいところだが、今は、まず、この書を生み落してくれたことに感謝を伝えるべきだろう。

 

ありがとう。

 

ASKA 

(所要時間2時間15分 読書時間含めて)

700番 第二巻/第三巻

700番 第二巻/第三巻

 

 

就職が決まりました。

再就職に向けて面接を受けてきた。かつて血で血を洗うような争いを繰り広げた同業他社から声を掛けられたのだ。食品業界の底辺を跋扈していた同じ穴のムジナ。内情は想像がつく。隣りの芝生は青いというが、絶対に青いはずがない。だが、長年の社畜生活で芝生の色を青くするのも鮮血で染めるのも自分次第であることを僕は知っている。新ボスは僕のことを大変評価してくれていて、営業部門の中間管理職、課長待遇で迎えてくれるといってくれた。「前職でも営業課長だったよね」「部長でした…」このやりとりの後に訪れた沈黙より重苦しい沈黙を僕は知らない。完全実力主義、学歴は関係ない、グローバルに展開と暑苦しいアピールをする新ボスは、おそらくいい人なのだろう。ただし、そこそこ学歴もあって既得権益、年功序列、終身雇用を是とする僕とは住む世界が違いすぎた。だが、何よりも無職生活から抜け出したかった。僕くらいの中年になると「停滞!」をアッピールする会社にはオクスリを出したくなるけれども、「挑戦!」を執拗にアッピールする会社にも北朝鮮レベルの不安を覚えてしまうものだ。僕に不安を募らせたのは、そういった会社の姿勢などではなく、僕のことを評価して声をかけたといいながら「当面の給与については時給になるかも」「1年間は試用期間で」「営業として働いてもらうのは5月からになるけどいい?」という一連の説明である。「辞めるはずの人間が辞めなくてさー」という声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。前の会社と同等、いや、それ以上のブラック・スメルが鼻をつくようになってきて、耐えきれなくなってしまう僕。それに気づいた新ボスが「安心して欲しい。5月までの生活の保障は考えてあるから。研修も兼ねて人員不足の現場にヘルプで入れるように手配するから」と言ってくれたが、フォローにも、気休めにもなっていなかった。僕は恐ろしいことに気づいてしまった。隣りの芝生は青いというが、それって実はただ自宅の庭に生えている芝生の青さに気づいていないだけなのではないか?かつて、ソビエトの宇宙飛行士ガガーリンは「地球は青かった」と言った。ガガーリンが地球の青さに気づいたのはブラック宇宙に飛び出したからだ。僕も同じだ。外に出てしまったからこそ、前の居場所がそれほど黒くない、ともすると青いことに気づいてしまったのだ。ただ、あの場所に神と退職金制度はなかったけれども。こうして僕は内定を貰った。「家族に最終確認をさせてください」といい、その場を後にした。逃げるつもりだった。足の踏み場もないほどの地雷が埋められた大地に一歩を踏み出すような無理をするには僕は年を取りすぎてしまった。妻に実情を報告して「ヤバいよ。前よりもヤバいかもしれない。ブラックホールかもしれない」と泣きついた。「じゃあ断れば?」「いいの?」「君みたいな中年が務められる職場が他にあるの?いいかげん目を覚ましてください。このままじゃ夫婦滅亡ですよ」ED。無職。バツイチ。この機会を逃したら僕は負の三冠王になってしまう。それだけはイヤだ。僕はブラック地雷を踏む覚悟を決めた。このようにして夢も希望もない再就職が決まった。今、僕に出来ることは地雷を踏んで吹っ飛ばされたとき天国に召されること。血で血を洗っていたはずが、まさか現場で皿を洗うはめになるとは。キツすぎるけどこれもまた人生。(所要時間16分)