結婚に何かを求めるのが間違っている。
誰が言ったか知らないが、長い年月を共にした夫婦に言葉はいらないって、アレ、本当だね。そのフレーズを証明するように、7年という気の遠くなるような時間を過ごした僕と妻の間でも会話がなくなっている。セックスレスに加えて会話レス。いわばサイレント・プロレス。会話こそないが、これ、それ、あれ、どれ、こそあど言葉の多用と筆談メモとアイコンタクトで過不足ないコミュニケーションが取れている。静謐で、きわめて快適な生活空間。心優しく無責任な外野の方々からは、こういう状態を指して、すぐ離婚しろ、結婚奴隷め、向いていない、などと温かい助言をいただくが、少々落ち着いていただきたい。当の本人である僕が現状に少しも絶望していないのだ。というよりもともと結婚に対して過度の期待や希望をもっていないので、こんなもんだろという感想しかないのだ。コブクロとか歌っちゃうような大袈裟な式で、永久の愛を誓って数年後に別れた夫婦を何人も知っている。僕からいわせれば結婚というものに過度に期待しすぎなんじゃないだろうか。現実とギャップが大きくなりすぎるのだ。子供がいれば変わるかもしれないが、せいぜい長くてもこの先数年の平穏で死なない程度の生活が守られること、それが僕が結婚に求めるもの。なので会話がないとかは想定内であり危機などではないのだ。最近よく思うことは、自分以外のものに期待するのはよろしくないということだ。期待するから裏切られてマイナスの感情が生まれる。それなら初っ端から期待しない方がずっといい。以前の僕は仕事で「自分がこれだけやっているのだから、君にもこれくらいはやってほしい」という期待を他人に対して抱いていた。大概、その期待は裏切られるか、パワハラ被害訴えみたいな思わぬ形に変態して返ってきた。そして僕は自分の過ちとエゴに気づいた。今、新しい職場で、部下や同僚に対して、これくらいはやってほしいという期待は持たないようにしている。おかげさまで気持ちよく働くことができている。リラックスして働いてもらいたい…そんなピュアな想いやりから「キミには期待してないから思い切ってやってください」と声をかけたりはするが、なぜかあまりいい顔はされない。逆に期待しているように見えてしまっているのかもしれないがこれは時間が解決してくれると信じている。僕と妻の話に戻すと、僕らの基本的な考えは、結婚に期待しすぎない、結婚は孤独死防止策、次に生まれ変わったら別のパートナーにする、といった点で完全に一致しているので安心していただきたい。妻に求めるものが無さすぎて、ともすると素っ気ない態度に見えてしまうらしく「なんか言うことないのですか?」と言われることもあるが、求めるものがないので言い返すこともない。仮に言い返したら戦争になるだろう。求めすぎない、求めないほうが、うまくいくことが世の中にはまあまああるのだ。(所要時間15分)
破門されました。
妻との関係が次の段階へ移行しました。
妻との冷戦がはじまって1ヵ月、義理の母からの情報により、ようやく彼女の激怒している理由がわかった。下着無断拝借。ガンプラ大人買い。深夜の恋ダンス。怒らせるような行動について心当たりがありすぎて、これ!という決定的なものがわからず、疑心暗鬼、茫然自失になりかけていたけれどようやくわかった。自宅トイレにおける立ちション発覚がそれである。女子の立ちションについては知識と経験が不足しているため、話を男子に限定させていただくが、男子の立ちションたるやご存じのとおり跳ね返りがすさまじく、周囲一帯が濡れる、アンモニア臭が充満する、騒音がひどい、などと衛生環境的によろしくないので我が家では絶対禁止とされていたのだ。妻から課せられたのは強制座りションである。正直に告白するならば、座りションを強制されたとき去勢されたような気持ちになった。それでも僕は無用な争いを避けるために、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、座りションをしていた。もちろん平和を望む気持ちだけで座りションは出来ない。なんらかの強制力がなければ無理だ。僕にとっての強制力は妻の耳だった。僕はトイレで用を足しているときいつも扉の向こうに妻の気配を感じていたのだ。本当に僕が座りションをしているか、妻は扉の向こうで息をひそめて確認していたのだ。数年間。チン黙の争いは続いた。あるとき、油断したのだろうね、妻の気配を感じなくなった。持病の腰痛に加え、昨夏の交通事故によるヒザの負傷の影響もあり、トイレに入り、ズボーンとパンティーを膝まで下ろしてから180度ターンして便座に腰を落とすというルーティーンを行うのが厳しくなっていたので、これ好機とばかりに立ちションへの回帰をはかった。いつ監視が再開されるかわからないので、立ちションへ回帰しつつも警戒を怠らない賢い僕は座りションを偽装した。具体的には、尿意をもよおしてからトイレに入り扉を閉め、ズボーンとパンティーを膝まで下ろしてから外にいる人間に聞こえるような絶妙な音量でいかにも腰をおろしているように「よいしょ」と声をあげ、すかさず両方の手で便座を押してあたかも臀部を便座に置いたようなミシッという効果音を出し、それから襲い掛かる尿意と格闘しつつ、音が立たないように慎重に便座をあげ、音が出てしまいそうなときはそのつど「あ~腰いて~」と声をあげてTOTO製の便座がたてるわずかな物音を隠した。その後、水面に尿が着弾すると音が激しくなってしまうので、水面のない便器の斜面的な部位に尿をあてて事を成し遂げ、事後は「は~どっこいしょ!」と、いかにも腰痛に耐えつつ腰を上げています的な掛け声をあげ、その声にまぎれて素早く便座を下ろしたのである。完璧な隠蔽工作。事実、数か月間は妻にバレなかった。だが僕の精緻な隠蔽工作は妻の強行突破により破られてしまった。一ヵ月前。隠蔽ルーティーンを経て立ちションをしている僕の背後で突然ドアが開いたのだ。妻の仕業である。「ずっとそうやっていたのですか」という妻のマイナス30度の声を僕は今でも忘れることができない。数年前閉じ込められて以来、トイレに鍵をかけないようにしていた。(トイレにとじこめられてます。 - Everything you've ever Dreamed)まさか、僕のリスクに対する高い意識が仇になるとは。「立ったままオシッコをしたらどうなるか…お話したよね?」という妻と、立たなくなったもので便器に狙いを定めている僕。二人の間は数十センチ。尿そこ数十センチメートル。だが心の距離は何光年も離れてしまった気がした。ズボーンとパンティーを膝まで下ろした尻丸出しの情けない姿で背中から小便について説教を受ける。43才晩秋。もう、あんなみじめな思いはしたくない。これがきっかけで妻との冷戦ははじまった。妻は「今後は抜き打ちでドアをあけてチェックいたします」と宣言した(追記/ちなみにトイレ掃除は僕の担当である)。安心してトイレにも入れないタイトロープな生活がはじまった。僕はもう覚悟は決めている。二度と立ちションはしない。僕には見える。ドアをあける妻の目前で堂々で足を広げて座りションに集中する僕の勇姿が。いつドアをあけても構わない。オッケーだ。大事なのは何か問題が起こったときに鍵をかけないことなのだ。心にも。トイレにも。(所要時間19分)
子供なし世帯の一人としてこれだけは言っておきたい。
年収800万円超で増税案 政府検討、子どもなし世帯 - 共同通信 47NEWS
こんなニュースが届いた。この増税が現実になったら、ウチはモロに被弾することになる。夫婦共働き、実際、子供がいる世帯より経済的に余裕があると思うので、増税さもありなん、って感想しかないがモヤモヤするのも事実だ。モヤモヤの理由その一はこの増税案の根底に《子供がいないこと=悪いこと》という考えがあるように思えてならないから。なんか懲罰みたいではないか。子なしの刑。もう慣れたけれどある一定の年齢・社会的立場の人間に子供がいないのはオカシイと考える人が一定数いるのは確かだ。今までそういう局面を何回も経験してきた。たとえば夏から勤めている今の職場は比較的常識のある人間が多いのだけれど、それでも、子供の有無をきかれ「いない」と答えると「あッ…すみません」と言われたことがある。すみませんって、子供がいないのはそんなに悪いこと、あるいは隠さなければならない秘密なのだろうか。妊活がうまくいかずいろいろ考えた結果諦めただけなのだけれど、世間様は、そうシンプルには見ていないように思えてならない。そもそも、なぜ《子供いない世帯に増税》という表現になってしまうのだろう?《子育て世帯の減税・優遇》にすればいいのに。当事者としては懲罰としてとらえてしまうではないか。モヤモヤの理由そのニ。子供いない世帯にはそれが年収800万円超であれ、実のところ、それほど余裕はないからだ。元気で身体が動き働いている今現在はいいが、働けなくなり身体が不自由になった僕らの老後に余裕はない。面倒をみてくれる子供がいないし、年金など公的なものでは到底足りない。毎日梅干しとご飯、ビンテージもののエログッズを切り売りする生活が予想される。老後の自分は今の自分が支えるしかないのである。子供がいない世帯には経済的に余裕があるので増税してもよいという理屈がまかり通るのであれば、子供がいない老世帯の保証を、子供がいる老世帯よりも厚くしてもらいたいものである。今、僕は自分の老後を支えるための貯金のために働いているといっても過言ではない。必死なのだ。政治家は「人生100年」「一億総活躍」つって国民の必死と己の無策を綺麗な文句にすり替えるんじゃねーよ。100年生きるためには今カネを稼ぐしかないのだ。特に子供がいない世帯は。今朝、このニュースについて妻と話した。「なんか僕ら増税になるかもしれんよ」 妻とは一ヵ月ぶりの会話である。マネー話にはビビットに反応する妻がありがたい。「まあ、仕方ないんじゃない?国にお金がないのだから」妻は何事もなかったかのように言い、それから「キミが今の3倍ほど働いて3倍稼げばいいだけのことです。頑張ってください」と無情なフレーズを追加したのだ。妊活を再開するという発想はまったくないようである。増税は仕方ないかもしれないが、うまくやってくれ。上手に僕を騙してくれ。それだけ。(所要時間15分)