Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「この町にイオンが出来るんだぜ!」とヤンキーは言った。

 海沿いにあるコンビニエンスストアの駐車場で懐かしい顔を見かけた。軽自動車から出てきたそいつは中学時代のクラスメイトで「不良」に分類されるタイプの人間だった。シンナーもタバコもやらなかったわりに僕はヤニそいつと仲が良く、アイアン・メイデン、モトリー・クルー、ブラック・サバス、メタリカ、そいつがセレクトしたヘビーメタルばかりを入れたソニー製のカセットテープ(通称「メタルカセット」)を貰ったりもした。決して友人ではなかった。そいつからはゲンコツやビンタや強烈なデコピンを食らってヘコヘコしていたので、僕にはそいつの配下になった気はないが、そいつは僕のことを子分の1人と考えていたのは間違いない。心外だが仕方ない。僕と子分1号2号の違いに気づく人はいなかったのだから。
 
 そいつは芸術的なまでに勉強が出来なかった。九九も出来たか怪しいものだ。中学時代の僕はお陰さまで勉強をしなくてもそこそこ優秀だった。受験がちらつきはじめた頃(当時の神奈川県には中学2年の終わりにアチーブテストというプレ受験があった。今そのテストがあるのかは知らない)、先生やクラスメイトからそいつとその周辺の不良グループを指して「あいつらはお前の足を引っ張る存在だ。付き合わないほうがいい」と助言されるようになった。あいつは悪い友達だと。外野の声を気にしたわけではないが、自然と距離を置くようになった。僕からなのかそいつからなのかあるいは両方からなのかわからない。僕が隣町の高校に進学してしまうとそいつとの距離は決定的なものになった。ジャイアン的な圧力で、強制的に聴かされ感想と確認のために、ドゥドゥドゥヴィヴィーンドゥドゥドゥヴィヴィーン、とギターリフの口真似をさせられた忌々しいメタルテープもどこかへいってしまった。高校で周りの優秀なクラスメイトに圧倒された僕も相当ボンクラでバカなことをしたけれども、高校にも行かずにチンピラまがいの格好でふらふらしている本物のそいつと比べれば子供の遊びみたいなものだった。遊びは幸せだ。時が来れば、終わる。終わりのない遊びは、もしかしたら悲劇かもしれない。
 
 僕が大学に進むとそいつとは住む世界が完全に変わってしまい、時々、そいつが駅前の居酒屋で仲間とジャージ姿で騒いだり、領空を主張するように足を開いて原チャリをかっ飛ばしている姿を見るくらいになってしまう。僕もわざわざ声をかけようとは思わなかった。ヘッドフォンのボリュームを上げて原チャリの音をかき消したりもした。二十歳になり地元で催された成人式の席でそいつから声をかけられた。「お前今何してんの?」「東京の大学で法学部に通ってる」「やっぱ違うわ」「毎日ダルいだけだよ。そっちの方がいい」違いとそいつは言ったが、大人になりはじめの僕はそいつと接点があることを周りに知られたくないと思った。それから僕らはそれぞれ違うグループと繁華街に繰り出し、朝まで騒いだ。僕は大学を出て就職すると、そいつの姿を見ることもなくなった。
 
 三十才を過ぎて会社帰りのスーツ姿で地元の居酒屋で飲んでいるときにそいつから声をかけられた。今から10年ほど前になる。そいつは中学生のときの数万分の一のパワーで僕の肩をゲンコツで叩くと少し胸を張るようなポーズでこう言った。「この町にもイオンが出来るんだよ」まるで勝利宣言をするような尊大さが哀れだった。ショッピングモールがただ地元で暮らしているだけの男の勲章であるはずがない。僕は無性に腹が立った。こいつは僕を馬鹿にしていやがる。模範的とはいえないがそれなりに真面目に生きて社会人になった僕をかつてゲンコツとビンタとデコピンで支配したように、イオンで支配しようとしているように思えた。俺の町。俺のイオン。凄い俺。アホか。反論する価値すら見いだせなかった僕は口先だけを動かすように「凄いね」と言った。ガキ大将は誉めておけばいい。それが僕の開発した最強の処世術だった。するとそいつは「バカにしてるのか。本当にそう思っているのか?」と答えを求めないクエスチョンを置いて自分の席に帰っていった。中年に差しかかったジャージ軍団の席がどっと沸くのが見えた。僕はそいつの真顔のクエスチョンで、自分が、知らず知らずのうちに、そいつやそいつの属するもの全てを軽蔑して下と見なしている自分に気づいた。表面的にあわせていたのを見透かされていたことも。お前はあの頃から、ずっと、そうやって、俺を見下してきた。そう言われた気がした。外野から「あいつとは付き合わない方がいい」と言われたのを思い出した。あいつは悪い友達だと。違う。悪い友達は僕だったのだ。
 
 気まずい居酒屋の夜から10年。生き方には良いも悪いも、上下もなく、ただ違いがあるということを完全な中年になった僕は知っている。おそらく、落ち葉の舞う駐車場の向こう側にいるそいつも。ジャージ姿のそいつは軽自動車から魔法のように子供たちを出して小さな背中たちに何か声をかけコンビニ店内に追いやると僕を見つけて、静かに頷いた。ハンサムは二重アゴのみっともない顔になっていたけれども、自信に溢れ眩しかった。かつてバイオレンスで世界を支配しようとしていた男はやり遂げていたのだ。自分の世界を見つけていた。僕にはわかった。そいつの頷きは悪い友達を許し、認めるものではなく、僕への新たな挑戦、宣戦布告なのだと。オーケー。バッチコイだ。振り返ると海が見えた。あの頃より砂浜はいくぶん小さくなってしまったけれども今もまだある。僕もまた、そうだ。僕は今も馬鹿みたいにメタリカを聴き続けている。そして、僕らの町にまだイオンはやって来ていない。今のところ。(所要時間30分)
 

結婚に何かを求めるのが間違っている。

誰が言ったか知らないが、長い年月を共にした夫婦に言葉はいらないって、アレ、本当だね。そのフレーズを証明するように、7年という気の遠くなるような時間を過ごした僕と妻の間でも会話がなくなっている。セックスレスに加えて会話レス。いわばサイレント・プロレス。会話こそないが、これ、それ、あれ、どれ、こそあど言葉の多用と筆談メモとアイコンタクトで過不足ないコミュニケーションが取れている。静謐で、きわめて快適な生活空間。心優しく無責任な外野の方々からは、こういう状態を指して、すぐ離婚しろ、結婚奴隷め、向いていない、などと温かい助言をいただくが、少々落ち着いていただきたい。当の本人である僕が現状に少しも絶望していないのだ。というよりもともと結婚に対して過度の期待や希望をもっていないので、こんなもんだろという感想しかないのだ。コブクロとか歌っちゃうような大袈裟な式で、永久の愛を誓って数年後に別れた夫婦を何人も知っている。僕からいわせれば結婚というものに過度に期待しすぎなんじゃないだろうか。現実とギャップが大きくなりすぎるのだ。子供がいれば変わるかもしれないが、せいぜい長くてもこの先数年の平穏で死なない程度の生活が守られること、それが僕が結婚に求めるもの。なので会話がないとかは想定内であり危機などではないのだ。最近よく思うことは、自分以外のものに期待するのはよろしくないということだ。期待するから裏切られてマイナスの感情が生まれる。それなら初っ端から期待しない方がずっといい。以前の僕は仕事で「自分がこれだけやっているのだから、君にもこれくらいはやってほしい」という期待を他人に対して抱いていた。大概、その期待は裏切られるか、パワハラ被害訴えみたいな思わぬ形に変態して返ってきた。そして僕は自分の過ちとエゴに気づいた。今、新しい職場で、部下や同僚に対して、これくらいはやってほしいという期待は持たないようにしている。おかげさまで気持ちよく働くことができている。リラックスして働いてもらいたい…そんなピュアな想いやりから「キミには期待してないから思い切ってやってください」と声をかけたりはするが、なぜかあまりいい顔はされない。逆に期待しているように見えてしまっているのかもしれないがこれは時間が解決してくれると信じている。僕と妻の話に戻すと、僕らの基本的な考えは、結婚に期待しすぎない、結婚は孤独死防止策、次に生まれ変わったら別のパートナーにする、といった点で完全に一致しているので安心していただきたい。妻に求めるものが無さすぎて、ともすると素っ気ない態度に見えてしまうらしく「なんか言うことないのですか?」と言われることもあるが、求めるものがないので言い返すこともない。仮に言い返したら戦争になるだろう。求めすぎない、求めないほうが、うまくいくことが世の中にはまあまああるのだ。(所要時間15分)

破門されました。

妻の実家は江戸時代から続く箱職人で僕はその一子相伝の弟子である。ここ数十年は義父が「伝統」といえるかどうかわからない、いかがわしい技術をひとりで守ってきた。妻と義妹が姉妹で技の伝承を頑なに拒んだのは伝統を守るのが嫌だからではない。伝統といえるかわからない代物だからだ。実際、義父でさえ「自分の代で無くなったほうが世の中のためだ」と言っているくらいの代物なのだ。義父いわく、技術的に大したものではなく、有史上一度もブレイクしたこともなく、ただ長くやってきただけの、歴史的な価値のない技術であり流派なのである。代々の当主も箱だけでは食べられず、副業的サブ的な仕事として細々と陰で続けてきたのである。工房に作品は置いてあるもののまったく売れない。月売上は一万くらいだろう。哀しいかな、単位は個ではなく円である。そんな伝統を誰が引き継ぎたがるだろうか。一応、僕が後継者ということになっているが、それは「滅びてもいいけど自分の代で滅ぼすのはいかにも自分がダメみたいで嫌だ。先祖に面目ない」という義父のエゴに付き合っているだけのこと。義父が亡くなったらその翌日に流派を廃して陰気な箱工房をカラフルなガンプラ工房へリフォームするのが僕の夢。そして「職人」てどことなく求道者っぽくてカッコよく、もしかしたらテレビやラジオの女子大生レポーターの取材を受けるかもしれない。そんな淡い期待、合法的なJDとの出会いの可能性を踏まえて跡継ぎとなったのである。意識の低い弟子だが、お茶入れ、菓子の買い出し、工房の掃除、FMラジオのオンオフ、グーグル検索等々弟子として為すべき仕事は適度に手を抜いてやりこなしてきたという自負はある。そんなピュアな僕に対して師匠は何も教えない。「教えることは何もない」「俺は俺の時代を生きる」などとカッコいいことを言って煙に巻くが突き詰めれば「教えるほどの深い技術がない」「早く自分の任期、終わらないかなー」という自分本位のあらわれにすぎないのだ。そもそも北斗神拳のような一子相伝を標榜しているが実態は世間様から求められていない技術なのである。ところが、先の日曜日の午後、突然、義父から破門された。自分ではパートタイムながら良く弟子ってると考えていたので青天の霹靂である。理由は「修行に身が入っていないから」「生活をかける覚悟がない」。おかしい。江戸時代から今まで誰もが生活をかけずに気楽に続けてきたというのに、なぜ、平成の世になって。先月、平成29年11月度の箱売上はなんと1。単位は万円ではなく個である。内容はもっと深刻で僕の母がお情けで買った1個のみ。生活などできない。将来性もない。ここ一年ほど義父と僕とで不真面目に工房でお茶を飲んだりポケモンGOをして遊んでいたので売上の停滞は仕方ない。自己責任だ。それでも売り上げの停滞はモチベーションの喪失となって、東京五輪で来日する外国人向けに開発していたペニスケースの開発も中断している体たらく。僕は義父を問いただした。なぜ、破門ですか、と。義父はあっさりと白状した。娘、つまり僕の妻が、父さんの技術を引き継ぎたいと申し出てきたからであった。おかしい。結果的に一子相伝になっているだけなのだから、夫婦で伝統を継承して盛り上げていけばよいではないか。僕の意見を義父は拒否した。「小汚い中年サラリーマンよりも、そこそこ若い娘が親子関係から師弟関係となりたったひとりで父親から伝統を引き継いでいるほうがドラマチックでかっこいいだろ」と義父はもっともな理由を述べた。妻はドールを収納する可愛くて和風な箱をオーダーメイドで作ってネット通販で売り込もうと考えているらしい。僕「ガンプラ工房でワー!」、妻「ターゲットを絞ったネット通販で箱の魅力を世界に伝える」。ビジョンに差がありすぎるので、妻が一子相伝のケンシロウに指定されても、うむ、然り、と僕でも納得してしまう。ジャギにはならない。だが、僕はまだ後継者を諦めていない。ネット通販の失敗例や箱ビジネスの将来性の無さを説いて妻のやる気を削いでいきたい。汚くて卑怯。女々しい。どんなバッシングを受けても僕は気にしない。それくらいガンプラ工房はあきらめるには惜しい夢なのだ。(所要時間19分)

妻との関係が次の段階へ移行しました。

妻との冷戦がはじまって1ヵ月、義理の母からの情報により、ようやく彼女の激怒している理由がわかった。下着無断拝借。ガンプラ大人買い。深夜の恋ダンス。怒らせるような行動について心当たりがありすぎて、これ!という決定的なものがわからず、疑心暗鬼、茫然自失になりかけていたけれどようやくわかった。自宅トイレにおける立ちション発覚がそれである。女子の立ちションについては知識と経験が不足しているため、話を男子に限定させていただくが、男子の立ちションたるやご存じのとおり跳ね返りがすさまじく、周囲一帯が濡れる、アンモニア臭が充満する、騒音がひどい、などと衛生環境的によろしくないので我が家では絶対禁止とされていたのだ。妻から課せられたのは強制座りションである。正直に告白するならば、座りションを強制されたとき去勢されたような気持ちになった。それでも僕は無用な争いを避けるために、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、座りションをしていた。もちろん平和を望む気持ちだけで座りションは出来ない。なんらかの強制力がなければ無理だ。僕にとっての強制力は妻の耳だった。僕はトイレで用を足しているときいつも扉の向こうに妻の気配を感じていたのだ。本当に僕が座りションをしているか、妻は扉の向こうで息をひそめて確認していたのだ。数年間。チン黙の争いは続いた。あるとき、油断したのだろうね、妻の気配を感じなくなった。持病の腰痛に加え、昨夏の交通事故によるヒザの負傷の影響もあり、トイレに入り、ズボーンとパンティーを膝まで下ろしてから180度ターンして便座に腰を落とすというルーティーンを行うのが厳しくなっていたので、これ好機とばかりに立ちションへの回帰をはかった。いつ監視が再開されるかわからないので、立ちションへ回帰しつつも警戒を怠らない賢い僕は座りションを偽装した。具体的には、尿意をもよおしてからトイレに入り扉を閉め、ズボーンとパンティーを膝まで下ろしてから外にいる人間に聞こえるような絶妙な音量でいかにも腰をおろしているように「よいしょ」と声をあげ、すかさず両方の手で便座を押してあたかも臀部を便座に置いたようなミシッという効果音を出し、それから襲い掛かる尿意と格闘しつつ、音が立たないように慎重に便座をあげ、音が出てしまいそうなときはそのつど「あ~腰いて~」と声をあげてTOTO製の便座がたてるわずかな物音を隠した。その後、水面に尿が着弾すると音が激しくなってしまうので、水面のない便器の斜面的な部位に尿をあてて事を成し遂げ、事後は「は~どっこいしょ!」と、いかにも腰痛に耐えつつ腰を上げています的な掛け声をあげ、その声にまぎれて素早く便座を下ろしたのである。完璧な隠蔽工作。事実、数か月間は妻にバレなかった。だが僕の精緻な隠蔽工作は妻の強行突破により破られてしまった。一ヵ月前。隠蔽ルーティーンを経て立ちションをしている僕の背後で突然ドアが開いたのだ。妻の仕業である。「ずっとそうやっていたのですか」という妻のマイナス30度の声を僕は今でも忘れることができない。数年前閉じ込められて以来、トイレに鍵をかけないようにしていた。(トイレにとじこめられてます。 - Everything you've ever Dreamed)まさか、僕のリスクに対する高い意識が仇になるとは。「立ったままオシッコをしたらどうなるか…お話したよね?」という妻と、立たなくなったもので便器に狙いを定めている僕。二人の間は数十センチ。尿そこ数十センチメートル。だが心の距離は何光年も離れてしまった気がした。ズボーンとパンティーを膝まで下ろした尻丸出しの情けない姿で背中から小便について説教を受ける。43才晩秋。もう、あんなみじめな思いはしたくない。これがきっかけで妻との冷戦ははじまった。妻は「今後は抜き打ちでドアをあけてチェックいたします」と宣言した(追記/ちなみにトイレ掃除は僕の担当である)。安心してトイレにも入れないタイトロープな生活がはじまった。僕はもう覚悟は決めている。二度と立ちションはしない。僕には見える。ドアをあける妻の目前で堂々で足を広げて座りションに集中する僕の勇姿が。いつドアをあけても構わない。オッケーだ。大事なのは何か問題が起こったときに鍵をかけないことなのだ。心にも。トイレにも。(所要時間19分)

子供なし世帯の一人としてこれだけは言っておきたい。

年収800万円超で増税案 政府検討、子どもなし世帯 - 共同通信 47NEWS

こんなニュースが届いた。この増税が現実になったら、ウチはモロに被弾することになる。夫婦共働き、実際、子供がいる世帯より経済的に余裕があると思うので、増税さもありなん、って感想しかないがモヤモヤするのも事実だ。モヤモヤの理由その一はこの増税案の根底に《子供がいないこと=悪いこと》という考えがあるように思えてならないから。なんか懲罰みたいではないか。子なしの刑。もう慣れたけれどある一定の年齢・社会的立場の人間に子供がいないのはオカシイと考える人が一定数いるのは確かだ。今までそういう局面を何回も経験してきた。たとえば夏から勤めている今の職場は比較的常識のある人間が多いのだけれど、それでも、子供の有無をきかれ「いない」と答えると「あッ…すみません」と言われたことがある。すみませんって、子供がいないのはそんなに悪いこと、あるいは隠さなければならない秘密なのだろうか。妊活がうまくいかずいろいろ考えた結果諦めただけなのだけれど、世間様は、そうシンプルには見ていないように思えてならない。そもそも、なぜ《子供いない世帯に増税》という表現になってしまうのだろう?《子育て世帯の減税・優遇》にすればいいのに。当事者としては懲罰としてとらえてしまうではないか。モヤモヤの理由そのニ。子供いない世帯にはそれが年収800万円超であれ、実のところ、それほど余裕はないからだ。元気で身体が動き働いている今現在はいいが、働けなくなり身体が不自由になった僕らの老後に余裕はない。面倒をみてくれる子供がいないし、年金など公的なものでは到底足りない。毎日梅干しとご飯、ビンテージもののエログッズを切り売りする生活が予想される。老後の自分は今の自分が支えるしかないのである。子供がいない世帯には経済的に余裕があるので増税してもよいという理屈がまかり通るのであれば、子供がいない老世帯の保証を、子供がいる老世帯よりも厚くしてもらいたいものである。今、僕は自分の老後を支えるための貯金のために働いているといっても過言ではない。必死なのだ。政治家は「人生100年」「一億総活躍」つって国民の必死と己の無策を綺麗な文句にすり替えるんじゃねーよ。100年生きるためには今カネを稼ぐしかないのだ。特に子供がいない世帯は。今朝、このニュースについて妻と話した。「なんか僕ら増税になるかもしれんよ」 妻とは一ヵ月ぶりの会話である。マネー話にはビビットに反応する妻がありがたい。「まあ、仕方ないんじゃない?国にお金がないのだから」妻は何事もなかったかのように言い、それから「キミが今の3倍ほど働いて3倍稼げばいいだけのことです。頑張ってください」と無情なフレーズを追加したのだ。妊活を再開するという発想はまったくないようである。増税は仕方ないかもしれないが、うまくやってくれ。上手に僕を騙してくれ。それだけ。(所要時間15分)