Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

僕たち私たちは今日結婚を卒業します卒業しまーす。

卒婚といって、別居状態を卒業ととらえる人がいるのを知ったとき、すげえバカバカしいと思う一方で、それを必要とする人がいるのもわかる気がした。そういえば、アイドルのグループ脱退を卒業と呼ぶのが普通になっている。ともすると、ネガティブな印象を持たれがちな行動、たとえば別居や離婚や脱退を卒業と称し、前向きにとらえ、ポジティブな意味を持たせるのは、実に素晴らしいと思う。退職も、既存のワク組みからの脱出という意味では、別居や脱退と同じだ。僕は、名もなき人の書く退職エントリーを読むのがまあまあ好きだ。「私、退職します!」と宣言する退職エントリーは「退職を考えるようになった経緯」「成し遂げた実績」「関係者への感謝」「今後」「将来の夢」という決まりきったパーツを組み合わせればそれなりのブツに仕上がるので、安心して読めるし、なにより、退職エントリが、その書き手のピークになっていることが多いからだ。線香花火が消える間際にひときわ明るく光る事象みたいなものなのだろう。退職は、多かれ少なかれ、その職場に対する不満が原因になっている。「会社には不平不満がない。違う環境で夢を追いたいだけなのだ」という奇特な人もたまに見かけるが、不平不満がなくても、新たな環境とそれまでの職場とを比較して満足できないから転職にいたっているにすぎないので僕に言わせれば不平不満を出発点にしている点では同じだ。あるいはただのクソ偽善者かもしれないがね。退職エントリーを執筆する理由のひとつには、そうした不平・不満が発するネガティブな印象を払拭することもあるのだろう。素晴らしい。僕が素晴らしいと思うのは、事象そのものは何も変わっていないのに、それを指し示す言葉を変更することで、お手軽に意味合いを変えているからである。なぜ、卒業といいかえるのだろうか。一般的に、人間は不幸せであることをみっともないと思うものだ。第三者から「みっともないと思われたくない」そういう心理に乗じて、じゃあ卒業!つーことにして前向きにとらえよう、と考える人が出てくるのが世の常、自然である。いってみれば失敗のポジティブ化である。人間はネガティブなものには金を出さないがポジティブなものには財布の紐を緩める生き物だ。アイドルの脱退でも、別居状態にある夫婦でも、なんでもいいのだけど、別居やら離婚やら脱退を卒業と呼ぶ背景を良く見てみるといい。そこにはビジネスや金の動きが必ずあるはずだ。人の不幸は蜜の味なのである。先日、たいして仲良くもない知人が離婚した。結婚からわずか一年半。おかしい。永遠の愛を誓っていたというのに。その知人は自身の離婚を卒業と仰っていた。高い授業料を払いましたよ、といってポジティブに人生の学びを得るのは結構なことだが、他人にお祝いという形で授業料を出させていることを忘れて、卒業といえるのは、失敗という自覚がないからだろう。金星あたりに移住して永遠に入学と卒業を繰り返して不毛な人生を歩いていってもらえれば僕は嬉しい。失敗のポジティブ化は結構だが、失敗やしくじりという本質がわかっていなければ、同じことを繰り返すだけだ。一生、搾取され続けのいいカモだろう。僕と妻は短期別居状態を繰り返しているが、ポジティブに卒婚とは言わない。いってみれば失敗失敗失敗の連続だが、大失敗にならずにすんでいるのは、失敗をポジティブ化しすることなく、そのまま失敗ととらえているからだと僕は思っている。(所要時間16分)

元給食営業マンが話題の1食6000円の高すぎる学校弁当「ハマ弁」を考察してみた。

www.asahi.com

横浜市の全中学校で導入されている「ハマ弁」の衝撃的なニュースを見た。16年度の公費負担が1食あたり6000円を超え、利用率は1%台に低迷しているという。僕は前の会社で給食関係の営業をやっていて、実はハマ弁については市が行ったヒアリングに参加した過去があるので、この事業の厳しさは予想していたが、ここまで酷い状況になっているとは。大きな問題は二点。膨大なコストと低すぎる利用率。営業マンの目線からこれらの原因にアプローチしてみたい。

学校給食とハマ弁のような弁当では契約形態が違う。一般的に給食の契約は、年間又は月間の委託費(人件費や各経費と利益が含まれる)契約となり、その他に1食当りの単価(食材費)を定めるが、弁当契約は1食あたりの販売価格を定めるのみだ。ざっくりいえば弁当契約は労務コストを圧縮出来るためコストダウンがはかれる一方、固定費をかかえる事業者サイドは、売り上げが想定を下回った場合、運営が不安定になってしまう(相応の売り上げ数が必要となる)。ハマ弁については現在一食あたり400円前後の価格設定がなされている。では、なぜたかだか400円のハマ弁ひとつに数千円もかかっているのか。このミスマッチが上のニュースにインパクトを与えている。

上の記事を読んで誤解されている方もおられるようだが、ハマ弁事業が赤字だから公費が投じられているわけではない。ハマ弁は、市と事業者とが協定を結び利用者に販売するというやり方を採用している。公募要綱を確認すると当初から公費負担が定められている。事業が不調だからではなく、当初から公費負担は決められていたのだ。

横浜市 市立中学校における横浜型配達弁当(仮称)の実施事業者を公募します! (平成27年09月17日記者発表資料概要)

こちらの記者発表資料より「3.公費負担」を抜粋する。「栄養バランスのとれた温もりのある昼食を持続可能な仕組みとするため、公費負担を行います」とあり、「『横浜らしい中学昼食のあり方』の実現にあたって必要な機能、仕様を追加するための費用の一部を公費負担する」としている。項目としては複数メニューやさまざまな支払方法に対応するシステム構築運営、弁当箱・保温コンテナ、配達回収とある。もちろん、これらは業者負担ではないため公募プロポーザルの審査対象ではない(業者とは関係がない)。

想定されていたかどうかはわからないが、この公費負担が事業規模に比べて大きくなっているのだ。たとえばタブレットやスタホからアクセスできる予約システムや複数の支払に対応する決済システム。必要かどうかはさておき、これらのシステム導入維持費は相当額になっているのではないか。16年度の市費負担は3億円を超えるらしい。この数字に初期投資額は含まれていないとされているが、僕はかつて関わった案件で、保温用弁当箱をまとめて購入したことがあって、そのときはワンセット4千円だった。1万5千食想定のハマ弁でこれを1人あたりツ2セット導入すると1億2千万。また、同じ神奈川県の二宮町が4000食/日程度の給食センターを建設する際は、建築費7億4610万円(床面積1500㎡/建築単価497,400円)プラス付帯設備費1億710万円、9億円弱がかかっている。ハマ弁がいくらコストがかかっていっても、給食センター建設に比べれば低コストなのは間違いないのだ。

そういう事情を知っていたので、ハマ弁の事業規模からいって、3億円超の市費負担にはそれほど驚かなかった。少々かかりすぎ、というのが正直な印象だ。僕の驚きは他にある。この記者発表資料によれば《これらの公費負担は食数の増減にかかわらず一定となる方法で行う》とされている。売り上げがゼロでも一定額の公費負担。ありえない。裏がありそー。実際はどうだかわかりかねるが公費垂れ流しになっていた可能性は十分にある。利用率(売上)が想定の15分の1なのに公費負担は一緒。ないわー。

もうひとつ。もっとも大きな要因とされる利用率の低さについて。20パーセント見込みが1パーセント台に低迷している。僕からいわせれば1万5千食/日という予想が甘過ぎなのだが、とりあえずそれは置いておいて、利用率の低迷の要因は、400円という値段に内容が伴っていないのが大きいのではないか(ニーズに合っていないということもありうるが)。おかしい。400円という価格はデリバリー弁当にしては少々高い。高いのに良くないから売れない。シンプルな理屈だ。先程述べたがこの400円という価格には人件費をはじめとするコスト全部が含まれている。つまり400円のうちの一部、何割かが食材費となるわけだ。弁当のクオリティーは食材費をどれだけかけられるかが重要なファクターとなる。ここでハマ弁特有の事情が見えてくる。公募型プロポーザルの結果、選定された事業者は株式会社JMCという企業である。

横浜市 ハマ弁(横浜型配達弁当)の事業者について (平成27年12月10日記者発表資料概要)

興味深いのは、この選定された事業者に加えて他4社が協力事業者として名を連ねていること。実施体制は「全体統括   ㈱JMC」「献立作成など  ㈱わくわく広場」 「弁当製造配達回収 ㈱美幸軒 ハーベスト㈱ エンゼルフーズ㈱」となっている。注)エンゼルフーズは大磯問題で撤退済(横浜市 「ハマ弁」製造業者の変更について (平成29年09月29日記者発表資料概要)。

400円前後の販売価格の弁当のなかに、これだけの関係会社がいて、それぞれが利潤を追求する株式会社なら?最初に削られるのは食材費である。食材費の低下はクオリティーの低下へつながり、価格に見合わないと利用者に判断されたのだと僕は考えている。その理由は孫請けとも言うべき体制にある。

こんなイメージ。

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おかしい。当初は《市内全域全業務を一括で実施することを実施条件とし、選定した事業者と5年間の協定を締結することを想定しています》としていた(業務※献立作成、注文管理、調理配達、回収洗浄、保管)。そして主な評価項目として配達弁当事業実績の有無と実施体制を挙げていた。それが実際にはJMCという旅行会社JTBの関係会社(給食や弁当会社ではない)を頭とした協力体制になっている。なぜ方針を転換したのだろう。それも専門外の企業に。

僕がいた会社がこの公募を辞退したのは一括受託が不可能だったからである。なるほど横浜市内全中学を1事業者でカバーするのは困難だ。それならばエリアごとに業者を選定して競わせるなど民間の力を活かす道はあったはずだ。

話は終わらない。実はハマ弁はこの4月から値下げを断行するのである。値下げ額はメニューによるが最大130円(470円のメニューなら340円になる)。平成29年12月13日付で教育委員会事務局で出した「ハマ弁の価格の見直しについて」を抜粋(リンクがPDFなので割愛)。《ハマ弁の提供内容や注文システムは他都市のデリバリー型給食よりもきめ細かい内容となっています。今回、価格についても利用しやすくなるように他都市のデリバリー型給食並みの価格に設定します》とある。ちなみに近隣鎌倉市は330円である。

素晴らしい!より良いサービスが他の市町村よりも低価格で利用出来る!さすが横浜!などと感激することなかれ。どうビジネスモデルを組み直したのか調べてみて愕然とした。利用者は値下げされた新価格でハマ弁を購入できるが、旧価格との差額を事業者は市に請求し、市はその差額を支払うそうである。つまり従来の仕組みを維持したまま公費負担が増すだけ。改善や見直しは棚上げされている。いや、おそらくだけれど、もともと関わっている人間が多すぎる高コスト体制なので削減しようにもできないのだ。ハマ弁問題の根底には「謎すぎる実施体制」と「失敗を認めないこと」にあると思われる。利用率の低さと莫大な公費負担はその結果にすぎない。納税者からしたらたまらんよね。ではまた。(所要時間41分)

「ブログやってます」は就職の武器にならない。

あまりにもリスクが高いので自己責任になってしまうが、自分を見つめなおすために、一度、仕事を辞めてみるのも悪くない。昨年の一時期、僕は日払いアルバイト生活を送っていたのだが、後悔はしていない。むしろ無職に感謝している。自分の置かれている状況、立ち位置がよくわかったからだ。どんな事情であれ、40オーバーのいい大人が日中ブラブラしてる状態を、世間は良く思わない。そう、頭では重々承知しているつもりだったが、実際、家族に白け顔で溜息をつかれたり、知人友人から「自由でいいなー」「俺も無職になりたい」と嫌味っぽく言われたりするのとではまったく違った。無職きっつー、と思い知らされた。この実感は無職にならなければ経験できなかったものだ。正直いえば短期間のうちに再就職できるという勝算はあった。同じ業界で生きていくだけなら、前職でそれなりのポスト(管理職)までやったので、苦労しないだろう、と。ダメでござった。その結果が8カ月ものあいだ食器洗い、葬儀屋、屋外駐車場の各アルバイト生活である。なぜダメだったのか。前提として僕は家族プレッシャーにより収入ダウンは許されなかったので、再就職でも、それなりのポストに就かなければならなかった。ところが、同業他社で希望の収入を得られるポストは空いていなかった。また、同じレベルの能力なら若い方を選びます、と中高年全否定の理由で断られたこともあった。「ウチの社長より年齢が上だから」という理由で断ってきた会社もあった。そのときは器とアソコちっさ、とバカにしていたが、ふたたび管理職となった今、振り返ってみると、自分より年上で経験もある部下を持ちたくない、という心理はわからないでもない。久しぶりに求職活動をしてみて、昔と違うのは、SNSとの付き合いを質問されたこと。「ツイッターやフェイスブックをやっていますか?」「ブログを書いたことがありますか?」などなど。ツイッターのフォロワー数やブログのPV数など、突っ込んだ質問をしてきた会社もあった。それなりにやっているのでアバウトに答えた。フォロワーは2万人ほど、ブログは17、8年ほど書いています、月にこれこれくらいですかね、読んでくれている人は、つって。これらの数字の価値はわからないけど、長いことやっている事実に対する反応を期待していた。「ずいぶん長いことやられてますな」的な。ところが予想に反しリアクションは「そうですかー」と極めて薄いもの。それから「閲覧数100万といっても1万人が100回閲覧しているだけかもしれませんしねー」と言われた。話を訊くと、その会社はHPの閲覧数が売上に結びついていないらしい。うむ然り。そりゃ軽く見られるわな。国内1億人をターゲットにしている企業にとって1万人は0.01%。月10回更新するブログなら10万人が10回、20回更新なら5万人が20回閲覧しているにすぎない。日常的にネットやブログに接していると、ブログをやっていることが世の中からどう見られているかわからなくなりがちだ。雑な捉え方かもしれないけれど、普通の企業では、個人ブログなんてその程度の捉え方しかされないか、まったく評価されないのが普通なのだろう。再就職の決め手になったのは、自分をどう売り込むか戦略的に考え、どれだけの利益を会社に与えられるか費用対効果を明らかにしたプレゼンテーションだった。いずれにせよ、ブログをやっていることは基本的にブロガーやインターネットのごくごく一部の中だけの評価基準であって、就職するにあたっては、ブロガーであることを過信しないほうがいいのは間違いなさそうだ。少なくとも僕のブログとブログ歴は再就職には何の役にも立たなかった。内容を聞いてさえもらえなかった。こんな怨念と憎悪と恥辱に塗れたブログの中身を聞かれなくて良かったと今は思っているけれどね。(所要時間20分)

僕らを縛りつけるもの

好きなことで生きていくと決めたのなら、誰にも縛られず、好き勝手に、この世界の片隅で生きていけばいい。だが、現実をみると、そううまくはいかないらしい。きっつー。会社を辞めたりするなどして、自由な生き方を選択しなさった人から見れば、20年以上もサラリーマンをやっている僕など、会社に縛られている人間としか見えないだろう。ナウくいえば「社畜」。給与に縛られ、上司や部下といった人間関係に縛られ、納期・〆切に縛られ、就業規則に縛られ…確かに会社員は縛られてばかり。こんな束縛からの逃避、この支配からの卒業を考えてしまうのは、尾崎豊世代でなくとも、当然のことだ。ただ、ここで発生する「辞める」「辞めない」の選択肢は、どちらも正解であり、等価値だ。一方、人間とは実に小さな考え方をする素晴らしい生き物で、程度の差こそあれ、自分と違う選択をした者を良く思わない傾向がある。中傷や攻撃をするような輩もいる。僕もそうだ。悲しいかな、サラリーマンサイドからでしか物事を考えられない。昨年、アルバイトをしているときは、時間だけはたっぷりあったので、くだらないことから、モテる方法や孤独死や遺言といった真剣な問題まで、ありとあらゆることに思いを巡らせることができた。そしてある疑問に行きついた。それは「なぜ、生き方と働き方をひとつにまとめてとらえてしまうのか?」「なぜ、生き方の評価を他人に委ねるのか?」というクエスチョンだ。働き方は生き方の一部だ。しかし、「好きなことで生きていく」は、働き方を意味するようになってしまっている。その根底には働くことがカッコいいという思い込みがあって、そこから、カッコよく生きているように見せるためには働いていなければならぬ的な発想が生まれたのではないかと僕は考えている。働くことは生きるための一部で、手段にすぎない。そもそも働くことは必ずしもカッコよくない。好きな生き方さえ出来ていれば、好きな働き方でなくてもいいはずで、僕は、最近そういう考え方をするようになった。他人から見れば社畜で縛られて働いているように見えるかもしれないが、それも好きな生き方をするためだと。人生と労働とを分けて考えるようにし、自分の生き方の評価を自分でするようにしたのだ。インターネットを眺めていると、脱サラをして自由になった人が、いくら稼いだ、月ウン万みたいな、金儲けの話をするようになっていく姿をまあまあ高い頻度で見かける。人間関係やしがらみを忌み嫌っていたはずなのに、新たな人間関係を構築しようとしている。わざわざSNSでアッピールしている。仮想通貨の上下動に一喜一憂している。会社という束縛から逃げたあとでも金や人やモノに縛られている。僕からみれば、縛られるモノが違うだけで、縛られている状態としては会社勤めと一緒で変わらない。むしろ、ただ受動的に縛られていた会社勤めのときよりも積極的に縛られにいっているように見える。ジョークのつもりだろうか。結局のところ、好きなことで生きていきたいのではなく、好きなことで生きている姿を人に見てもらって評価されるのが好きなだけなのだ。それは他人からの評価に、人に縛られているということ。会社勤めと本質的には何も変わらない。せっかく組織から離脱したのなら、もっと自由に生きてもらいたいものだ。もったいない。自分を評価し、縛りつけるものは自分自身だけであることが理想で、僕はその場所を目指したいと思うのだ。(所要時間18分)

労働条件を改善するためにやったこと全部話す。

この春から営業の責任者になる。高く売り込み、評価して貰って入った会社であり、突然、あーっ!と奇声をあげたり泣きだしたりする同僚もいない、実に働きやすい環境でもあり、出来るだけ長いあいだお世話になりたいと思っている。給与も上がるし。だが、半年ほど働いてみて、これからも働いていくためには契約上で問題になりかねないことが見つかってきたので、ボスに改善を訴えた。

僕の労働条件をざっくり説明すると、年俸制で、そこに残業代は含まれている。僕は管理職である。管理職は労基法上の管理監督者は違う。労基法上の管理監督者には残業代を支払なわなくてもいいことになっているが、それは非常に限定的な定義で、認められるには、1.経営者との一体性、2.出退勤の自由、3.ふさわしい待遇が備わってなければならない。ほとんどの管理職は管理監督者とはされない(と思われる)。前の会社はブラックだったので、管理職は基本的に管理監督者とされ、つまり「残業代や割増賃金は発生しない」状態だった。

今の職場はホワイトな環境なのだが、残業代については、機会があったら改善を求めようと考えていた。僕ひとりの問題ではなく、会社全体の労務管理の改善だ。それが会社の安定とリスクヘッジにつながると考えたからだ。具体的には管理職の残業代についてだ。管理職の残業代は固定残業代(定額残業代)としてあらかじめ支払われていた(固定額は個々による)。固定残業代は長時間労働や過重労働の温床とされる考え方もあるが、僕は否定しない。残業代の支払いと長時間労働過重労働の問題は本来別のものだからだ。僕はあらかじめ残業代を固定額として支払われている(45時間分)。

給与規程を確認していて、ひとつ僕が気になっていたのは、自分のもらっている給与のどの部分が残業代なのか明確でないことだ。今の食品会社に入って約半年になるが、いまのところほとんど残業をしていない。ただし繁忙期や新規事業所の立ち上げが重なれば、ある程度の残業の発生が予想される。昨今のトレンドとして固定残業代はその有効性において厳しく判断される傾向にある。長時間の残業が発生したとき問題が発生するのを未然に防ぎたかったのだ。

僕は営業の総責任者になるタイミングで、ボスに上申した。現在の給与規定、残業代(割増賃金)の規定には少々問題があると伝えた。管理職に年俸込みで支払われている固定残業代が基本給と区別されていないと。残業がそれほど発生していない事実を知っているボスは改善の必要性を尋ねてきたので、僕は最近の判例を持ち出し、「もしものときのリスクヘッジ」として改善を求めた。僕が持ち出したのはこの判例である。→最高裁:医師の定額年俸「残業代含まず」 - 毎日新聞 

固定残業代はかなり厳密に規程しても有効性が否定されているトレンドについて説明し、今の給与規定では、将来的に問題となりうるので、規程を厳密にするか、固定残業代そのものについて考え直す必要性を訴えた。個人的な待遇改善ではなく、リスクヘッジと最近のトレンドにあった提案であったことがボスを動かしたようで、期末までに規程を変更することになった。固定残業代の廃止は管理職の手取りが減ってしまうとしてボスは将来的な検討事項としてくれた。

もうひとつ。実は僕の所属している営業開発部門には、後方支援業務をやってくれる女性スタッフがいる。彼女には幼稚園児の子供を育てているので就業規則に則り午後4時までの時短で働いてもらっている。彼女は子供の小学校進学にともない、時短勤務が出来なくなってしまうことにより退職を視野にいれて悩んでいた。

僕は1.本社女性スタッフに子育てをしている人間が数名いること(状況)。2.仮に彼女たちが子供の小学校進学を理由に退職した場合、同レベルのスタッフの欠員の補充には困難が予想されること。3.新スタッフに係る募集費および教育訓練の時間を考慮すると、現スタッフに働いてもらうことがコスト的にも抑えられること。以上3点。これらをコストを明確にした上で時短勤務を子供が小学校を卒業するまでの延長を提案した。この提案についてはボスは即決で了承してくれ、各部署の長に(僕もだ)、時短勤務のスキームをつくるよう指示を出した。

以上このブログで公開できるのは2点、世間から見ればたいしたことではないかもしれない。でも小さいことでも職場環境の改善の提案をして、ほぼほぼ通ったので満足している。労働組合がないので、社内プレゼン資料から実際の提案まで労使交渉を自分ひとりでやるしかなかったのが大変だったといえば大変だったがカタチになるので苦労が報われた思いだ。うまくいった要因を僕なりに分析してみると、ボスが話のわかる人であることが大前提なのだが、営業の基本スキルを使い、それがはまったから。

問題提起と必要性の説明。メリットとデメリットの提示。世の中のトレンドの紹介。これらの材料を与えて、ボス自身に、ボスと会社の利益が最大となる選択肢を選ぶよう、そしてこれがもっとも大事なのだが、経営者は多かれ少なかれ良い経営者と見られたいと僕は思っているのだけれど、社員から「ウチのボスはスゲー」と思われるような選択肢を選ぶように、持っていった。落としどころに落とす、というヤツだ。難しいことはなにもしていない。全部、シンプルな正攻法。自分都合のお客様目線。僕が営業でやっていることの応用だ。

これまで、勤めてきた会社内でこんなことをやったことはない。メンドーだからだ。そして会社を良くしようと思ったことがないからだ。なぜ、今回はこんなメンド―なことをやったのか。それは今の会社に長く勤めたいからだ。僕は昨夏に突然やってきた新参者だ。新参者の僕がいきなりそれなりのポジションになる。ホワイトな職場環境ではあるが、面白く思わない人もいるだろう。いや、絶対にいる。その不平不満を処理しないかぎり僕は居場所を失うかもしれない。そのためには営業の実績にプラスして、会社に勤める社員にとって利になることをしなければ認められないと考えたのだ。会社を良くしよう、ではなく、居場所を失いたくない不安から発した打算があったのをここに告白しておく。

賢い人なら見透かしているだろうが、打算からでも結果的に皆に利益があるならそれでいいはずだ。僕は法学部を出てからも、趣味で社労士や行政書士の資格を取ったり、主だった判例をチェックをしているのだが、それが役に立つのだから面白い。履歴書にそういう資格や趣味は書いていないのでボスは少々驚いたようだ。このように僕は居場所をつくるため、いってみれば自分のためだけに労働条件を改善した。つい先日まで関係部署と新たな規程と就業規則の作成に取り掛かっていて、期末までにカタチになる見込みが立ったのでブログに書いてみた。一連の提案のあと、「労務管理的な仕事もやってみないか」とボスにいわれて、「前提条件が変わるので新しい労働契約を結びましょう」と冗談を言ったら、さすがに苦笑いされたけどさ。(所要時間40分)