Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ゲイングランドと永遠の子供たち

ニンテンドースイッチ版ゲイングランドを、難易度を落とし、コンティニューを駆使して、クリアした。

SEGA AGES ゲイングランド|SEGA AGES(セガエイジス)|セガアーカイブス|セガ

30年かけてのクリアなので感慨もひとしおである。ゲイングランドは、『「ゲイングランド」を舞台に、閉じ込められた人々を救い暴走したコンピュータを停止させるため、20人の仲間が力を合わせて戦うタクティカルアクションシューティング』で、ルールは、敵を全滅させるか、仲間を全員脱出させればステージクリアとなるシンプルなもの。ゲイングランドがゲーセンに登場したとき、僕は中学3年生で、ボンクラな友達と夢中になって遊んだ記憶があるけれども、ヤンキーの多い、ビーバップで湘南爆走族な土地柄に、その戦略性が合わなかったのか、わりと早くゲーセンから姿を消してしまったのが残念でならない。幼稚園から中学校まで一緒だったT君は、ボンクラフレンズの有力メンバーで、放課後、一緒に電車に乗って隣町のゲームセンターに出向いていた間柄だった(僕の住んでいた町にはゲーセンがなかった)。残念ながら僕もTもゲイングランドをクリアすることは出来なかった。僕の場合は、ゲイングランドの難易度に打ちのめされて純粋に挫折しただけだが、Tはゲーム内の仲間を大事にしすぎて、先に進めなかったような記憶がある。ゲーム内で弾に当たったりして死ぬと、その場所で死体になって、後から来る仲間の救出を待つことが出来るのだが、Tはさっさと出口に向かえばいいところを死体の救出に向かってやられていた。ゲームのルールがわかっていないかのように無謀に弾幕へ突っ込んでいくTのプレイスタイルのアホさを僕は忘れることができない。もうひとつTについて印象に残っているのは、ゲーセンで徘徊するヤンキーたち、不良たちの恐怖に怯えつつ、僕は絡まれないよう目線を合わさないようにしながら「頭の悪い集団」と見下していたけれど、Tはそんなヤンキー不良軍団にどこか憧れを抱いているような言動が見られたことだ。「目を合わせるとバカがうつるぞー」僕は冗談まじりで助言したけれども、冗談ではなく、もっと、マジで、強く、しつこく、言っておくべきだった、と30年経った今も後悔している。今年の正月、実家のまわりを散歩しているときにTのお母さんに会った。2年前、僕が会社を辞めて昼間ブラブラしているときに偶然に会って以来である。ボンクラフレンドのTは、平成2年、高校2年生のとき、交通事故で他界した。僕と違う高校へ進学したTはヤンキーへの憧れからヤンキーもどきになった。股を開いて原チャリに乗る、プチ・ヤンキー化したTを見たのが最後で、その数週間後、Tはトラックに突っ込んでしまった。Tのお母さんに会うたび、僕は、懐かしさとともに後ろめたさを覚えてしまう。Tのお母さんは、会うといつも「立派になって!」と言ってくれる。自分の息子のやって来なかった未来の姿を、僕の向こうに見ているのがわかって胸がつまってしまう。僕は人の親ではないけれども、彼女の、親の悲しみや無念はわかる。僕は、「立派な大人」とはとてもいえない。けれども、立派に大人にはなっている。ただのオッサンになった僕でも、子供を喪った彼女からみれば十分に「立派」なのだ。Tのお母さんに会って、「フミコ君、立派、リッパー」と言われると、まだ、全然、立派な大人になれていない、後ろめたさを僕は覚えてしまうのだ。僕はぼんやりと当たり前に生きているオッサンで、当たり前のなかで忘れてしまいがちだけど、その当たり前が当たり前ではない奴らも大勢いるのだ。Tのお母さんに「中学生のとき、あいつと遊んだゲームで今、遊んでいるんすよ」と言うと、彼女は、あら、あの子の分まで頑張って、といって笑った。死んだ人間の分までゲームで遊ぶなんて、正直、ダサくて、ごめんだ。けれどもそのときの僕は、Tの分もやってやろうという気持ちになり、本気でゲイングランドの攻略に取り掛かった。ゲームの中で、仲間を犠牲にした。かつてのTのように仲間を救うために弾幕に飛び込んだ。難易度ダウン。コンティニュー、コンティニュー、コンティニューの果てにどうにかクリアした。幼稚な僕はときどきテレビゲームと自分の人生を重ねてしまう。Tはいつまでも仲間だ。人生というゲームで途中退席してしまったけれど、彼が僕の人生をいくらか楽しいものにしてくれたこと、僕の人生という名のゲームをクリアするのに必要なかけがいのない戦士であったこと、そういうのは忘れないようにしたい。そして、ただ立派に大人になっただけではなく、ゲイングランドで重宝した勇敢なソルジャーや火の球を放つ魔法戦士でなくてもいいから、凡人のままでいいから、少しでも立派な大人に近づけるようになりたい。ゲーム終盤の猛烈な弾幕をドット単位で回避しながら、僕は、そんなことを考えていた。(所要時間24分)

(※Tについては大人になれなかった子供たち - Everything you've ever Dreamedでも書いた)

最近はダイエットもポリティカル・コレクトネスに配慮する必要があるらしい。

ここ最近で、いちばん驚いたのは、妻が、膣締めダイエットをやっていたことである。そういえば昨年の秋くらいからペットボトルに水を入れたり、鏡の前で妙なポーズを取ったりしていたような記憶がある。あのとき妻は、おぼこい顔をして、リビングで締めたり緩めたりしていたのか。なんて破廉恥なのだろう。残念ながらチンしかない僕には、チツを締めることによってどれだけの負荷がかかるのか想像もつかないので、当該ダイエットについてもどれだけの効果があるかも知らなかったけど、調べてみると書籍なども出版されたりしており、それなりに人気があるらしい。 

くびれと健康がとまらない!  膣締めるだけダイエット (美人開花シリーズ)

くびれと健康がとまらない! 膣締めるだけダイエット (美人開花シリーズ)

 

 寝正月でぽっこりした僕の腹部を見た妻が、一緒に膣締めダイエットをしましょう、と言ってきたとき僕は彼女が錯乱したのかと思った。残念ながら妻は正気でした。妻は、私は効果があらわれてきているような気がする、二人で競うようにダイエットをすればより大きな効果が出る、と付け加えた。おかしい。「いやいやいや。ダイエットの必要性は感じてはいるけれども、締めるべきツーチーを持たない僕に、そのダイエットだけは無理だよ」と僕は答えた。我ながら正論だと思った。正しいはずだ。論理的にも、生物学的にも。すると妻は、ああ、優柔不断な阿呆がまたバカなことを言っている、といっているような小馬鹿にした表情を浮かべ、「そうやって理屈をこねて、もっともらしいやらない理由をこしらえているのですね」「今はポリティカル・コレクトネスというのがあって男女は平等なんですよ…」と文末まで日本語にするのも面倒だけどあえて口にしてみたというような感じで僕に言った。そこまで言われたら僕だって膣締めダイエットをやってやろうではないか、という気分になるものである。チツがなくても僕にはチンがある。チンは力なり。新年1月3日の夕刻、茜色の夕日差すリビングで僕と妻は対峙していた。ジャージ姿で。妻は、私と同じポーズをしてください、といい、水の入ったペットボトルを太ももに挟むと、尻を突きだし、両の手の平を前面に押し出すような格好をして、「ハーイ!」と声をあげた。「締まってるの?」と僕は訊いた。彼女は「ハイ!」と答えた。正直、ダサいポーズなので真似したくなかったし、伴侶の目の前で締めるのも人としてどうかと思ったけれど、ハイ!ハイ!ハイ!と手を叩きながら声をあげる妻に気圧されて、やらざるをえない状況に追い込まれた。締めている妻にはなんというか人の域を超えた凄みみたいなものが感ぜられたのだ。僕は妻をコピーするように水の入ったペットボトルを太ももに挟み、尻を突きだし、両の掌を前に突き出し、占締めるべきチツがないので代わりにケツを締めた。ハイッ!という上ずった声が他人の声に聞こえた。これがポリティカル・コレクトネスなのか…、そんな疑問も全力で尻を締めているうちにどうでも良くなった。その瞬間は、確かにそれが、それこそが、僕らのポリティカル・コレクトネスだった…。夕暮れが二人を包んでいた。チツとケツを締めあげて向かい合う妙齢の男女の影。妻に合わせて前傾姿勢を深めた。ちょうど力士が向かい合うような恰好。尻の突き出しが極限を迎えると、肉体の構造的に、どうしても尻が緩んでしまう。僕のメタボを想って、チツを締めている妻だけに恥をかかせられない。僕は、肛門括約筋に喝をいれるべく、ハイ!と声を出した。妻は、余裕の表情を見せていたので、どうやらチツを締めるという行為は、ケツを締める行為よりも体勢に影響を受けないのだと、僕は知った。45年ただ生きてきてケツを締めているだけの僕にでも新たな学びと気付きはあるらしい。そして僕は気づいた。ケツを締めながら残酷な事実に気づいてしまった。それは妻が僕を男性だと見なしていないという事実だった。そうだろう?異性を前にした女性は普通、「私は今、チーツを締めていまーす!ピース!」なんて宣言するわけがない。一般的にチツを締めるのは誰もいない部屋だろう。つまり僕は誰もいない部屋の空気や観葉植物と同レベルということになる。その悲しい事実に気づいた瞬間、ケツに入っていた力が抜け、屁が漏れてしまった。音も、臭いもない屁。誰にも気づかれない屁。そんな屁と自分とを重ねてしまう。妻がご学友との新年会に向かうために身支度を済ませてから、鏡の前に立ち、尻を突きだしてチーツを締めながら「うん!今日もかわいい!」と鏡の前のもうひとりの自分に声をかけてから出かけていく姿を僕はただ眺めていた。眺めることしかできなかった。もう、僕には尻にいれる力は残されていなかった。(所要時間25分)

「健康経営はやめましょう」と社長に進言したら会社で四面楚歌状態です。

昨年末の部長会議で根拠をあげて「健康経営からは手を引いた方がいい」と意見を述べてから社長と対立している。対立というと大袈裟になってしまうが、溝を埋めるのが困難なほどの意見の相違が社長と僕の間にはある。実際には社長と僕だけが対立してるのではない。僕以外の部長クラスは全員、社長に賛同しているので、僕は四面楚歌である。そんな状況のまま年を越してしまった。

経済産業省によれば、健康経営とは、「従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践すること」であり、「企業理念に基づき、従業員等への健康投資を行うことは、従業員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や株価向上につながる」効果が期待されている。http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/kenko_keiei.html

健康経営は、経産省と東京証券取引所が2015年に「健康経営銘柄」を定め、経産省が「健康経営優良法人認定制度」を設けてから、ちょっとしたブームになっている。特に「健康経営銘柄」は、一業種につき一企業なので、リーディングカンパニーとして世間様から見られるようになる。健康経営とは、認定等イコールお墨付きで、健康経営を、従業員や求職者、取引先、世間一般に「見える化」することで、人材の確保やブランドイメージの構築、従業員のモチベーションの向上、生産性アップに繋げようとする取り組みのことである。簡単にいえば、健康経営の認定を受けることで、「ウチの会社は健康経営をして人を大切にしてますよー」という、良い印象を内外にアッピール出来、それが経営にも商売にもメリットがあるという仕組みである。その認定の基準は(多少認定機関で違うかもしれないが) 経営理念、組織体制、制度施策実行、評価、法令遵守に分けられており、それらの項目をクリアすることで認定を受けられるようになる。

「企業がその認定を受ける手伝いをしよう」というのが社長の考えである。僕の勤めている食品会社としては、制度施策実行のうち「保健指導」「食生活の改善に向けた取組」「運動機会の増進」の認定を受けるサポートを事業にするというのだ。社員食堂は社業の一部であるが、他の事業と比べて安定はしているものの、利益率が低くて一時は撤退も考えたほどである。なぜ社員食堂の利益率が低いのか。諸々の理由はあるが、僕は社員食堂がその企業の本業ではない福利厚生の一環だからだと考えている。給食の営業マン時代に「社食に力入れても」「会社が苦しいから社食にまでは回らない」と言われてきた。それこそ星の数ほどだ。言葉だけではない。経営がうまくいかなくなるといの一番に削減されるのが福利厚生だ。僕は社食を閉鎖縮小する会社をいくつも見てきた。

だが、健康経営の視点でみると社食は単なる福利厚生ではなくなる。認定や銘柄を得るために必要な、いわば成長戦略の一環となる。つまり企業が金をかけるようになる。社長はいわば金のなる木である健康経営サポート事業に、食品会社のノウハウを活用して打って出たいと考えている。現在の事業を活かせる素晴らしい考えだと思う。「御社の健康経営を食品会社のノウハウを活かしてバックアップいたします」というフレーズもすごくクールだ。だが僕はあえて社長の提案を否定した。「良い考えですが時期を失しています」と。金のなる木、健康経営サポートをすでに事業化している企業が多数あることをその理由とした。

社長は「競争になるのは覚悟している」と仰ったけれども、今回は分が悪すぎる。なぜなら健康経営サポートを事業化している企業は、同業の食品系企業だけではなく、ソニーやNECといったメーカー系から、NTTのようなインフラ系から保険会社まで、あらゆる業種のビッグネームが参入しており、そのうえウチ単独で参入しても食に関する部分だけの限定的なサポートとならざるをえないが、それらビッグネームは食を含めたトータルなサポートを事業化しており、今からでは勝ち目がない、と僕は意見した。社長は「競争から逃げているだけでは勝ちのこれない」と僕に言った。確かに正論だ。だが僕は逃げたつもりはない。大企業との熾烈な競争で体力を使うのではなく、その体力を新しいフィールドでの戦いに使いたいだけなのである。

社長の意見は正しい。健康経営は食品会社としては事業の柱にしなければならなかった。だが、いかんせん遅かった。健康経営銘柄が定められたのは四年前。僕にいわせれば参入は五年遅い。金のなる木の実はもう取り合いになっており、大きくて手の長い巨人が有利だ。これから参入するにはかなりハードルが高くてより一層の工夫が必要になるだろう。その工夫を考えろと社長は仰っている。僕は楽に勝ちたいのでその道は選びたくない。逃げるのではなく楽に勝ちたい、それだけなのだ。

ひとつ疑念がある。その疑念は、前の会社のときに苦い経験として味わったものだけれども、「厳しい仕事に取り掛かっている自分たちの姿に酔っているだけではないか」というもの。厳しい仕事だったから負けても仕方ない、挑戦することに意義があるのだ、というマスターベーションこそ、企業をダメにする病だと僕は思っている。僕は挑戦したうえで勝ち残ることにのみ意義があると考えているので、おのずと勝算が高い選択肢を選ぶようになる。それが健康経営サポート事業へ参入しないこと、だった。

おそらく社長は会社を永くやっていくことを判断の前提としているが、僕が考えているのは一年先に会社が勝ち残っている未来だけである。ぶっちゃければ、会社なんて僕が引退するまで存続していればいい。つまり、正しいとか間違っているとかではなく、経営者か否かの違いだけなのだ。社長からは「それなら代案を出しなさい」と命じられ、他の部長からも「そこまでいうのなら代案を出せ」「まさか代案がないのに社長の構想を否定するとかないよね」「腹をくくれよ」と重圧をかけられている。なので、年末年始の休み中、ツイッターもやらずに健康経営サポート事業に代わる事業案をずっと考えていたけれども、今のところ、金になる代案、社長を納得させるような事業案は見つかっていない。運命の部長会議まであと7日。きっつー。(所要時間32分)

恩人の死で世間の薄情さを思い知らされた。

「あの人、亡くなったってよ」昨夜、かつて大変世話になった先輩の訃報を受けた。亡くなって、数年経過してからの訃報。それだけ彼とは疎遠だった。20数年前。心身を壊した若手営業社員数名の補充として、庶務から営業へ移ってきた僕に、その先輩は親切に接してくれた。彼が真っ先に教えてくれた「お客目線の自分都合」という仕事の進め方は、今も営業職として働く僕の、座右の銘になっている(余談だが、数年前、怪しげな営業セミナーを受けたときに、講師がまったく同じ文句を口にして驚いてしまった)。「お客目線/自分都合」とは、字面通りの意味で、特に独自性も面白みも深みもないけれど、仕事を進めていく際は相手の立場を考えながらも、自分の都合の良いところに落としどころは持っていくという基本スタンスをあらわした言葉だ。僕は今も、仕事上の判断で迷ったとき、エロい店やエロくない店でぞんざいなサービスを受けたときは、お客目線、自分都合、と唱えて平静を保つようにしている。

先輩のあだ名は「ミスター・ゼロ」。飲み会で激しく飲酒した先輩が、焼酎用の氷入れ容器へ嘔吐したあとは、陰で「ミスター・ゲロ」と呼ばれていたけれど、基本的にはミスター・ゼロ。ゼロの由来は、無駄を徹底的に無くそうとしていた彼の行動にあると思っていた。特に事務用品の無駄使いを忌み嫌っていた。「紙を無駄にするな」と裏紙の積極的使用の執拗に叫ぶのは理解できたが、使用済みホチキスのタマを集めて再利用している姿は理解しがたいものがあった。

僕よりも十歳ほど年上の彼は、しょっちゅう上司から呼ばれて注意を受けていた。「仕事を取ってこい」「契約を持ってこい」と。彼は何年も仕事を取っていなかった。ミスター・ゼロはそんな彼を揶揄するあだ名だった。無駄を忌避する彼自身が、営業部にとって大きな無駄になっていたのだ。哀しかった。入社数か月で僕を含めた新人たちは、ミスター・ゼロよりも結果を出すようになっていた。結果を出さない先輩ほどバカにされる存在はない。実際、僕の同期のなかには、露骨にミスターゼロを馬鹿にする奴もいた。僕は馬鹿にするようなことはなかった。恩を感じていた、とか、優しさから、ではない。その頃、すでに僕は彼、ミスターゼロに対する興味を失っていたからだ。いいかえれば、僕がいちばん残酷な仕打ちをしていた。

僕が会社を辞めるとき、ミスターゼロから「辞めた会社のことなんかすぐに忘れろ」という言葉をいただいた。僕は、その言葉に従って、「1・2の…ポカン!」で全部忘れた。ミスターゼロのことも。全部を。そして彼の訃報。正直いって「お客目線で自分都合」以外、彼から教わったものはない。彼自身の印象も希薄で、顔面は「会えばわかるかな…」レベルの曖昧な記憶しかない。名前は思い出せなかった。僕に去来したのは悲しさより申し訳なさだ。少しでもお世話になったのだから、せめて顔と名前くらいは覚えておくべきだった。営業マンとしてはいまいちだったが、いい人だった。彼より人のいい営業マンを僕は知らない。冷血に思われないよう自分を弁護するなら、名前や顔や肉体を喪っても言葉が誰かの中で活きていれば、それがその人の生きた証で、その意味で彼は僕の中で生きていることになるのだ。つまり言葉が神なら、僕ら人間は言葉のしもべにすぎないのだ。

今朝、年末の買い出しの帰りに、小路の片隅にあったゲロゲロゲロッパの痕跡を見つけた瞬間、ふと、頭にミスター・ゼロの本名が降ってきた。SNSで検索すると、昨夜、猫を抱いた自撮りをアップしていた。その笑顔は僕の記憶よりもずっとくたびれて、ゾンビみたいだったけれど、まだ生きていた。ガセで良かった。申し訳なさに突き動かされるように、空白の時間を埋めるように、僕は彼にフレンド申請をした。ご無沙汰しております。以前勤めていた会社でお世話になった私ですよ、と。数時間後返事が来た。「すみません。心当たりがないのですが」。忘れられていたのは僕の方でした。どうやら、終わってしまった人間関係を掘り起こしてもゾンビが出てくるだけでいいことはないらしい。(所要時間20分)

アポなし年末挨拶には無慈悲な鉄槌をくだしている。

「年末の挨拶はアポなしでオッケー!」みたいな風潮を抹殺したいと常々思っている。なぜなら、今、年末の挨拶にアポを取らずに来る図々しい客のせいで、僕の気持ちが折れそうだからである。こちらの仕事が納まらねえ。「そんなの断れよ(笑)」と仰る方もおられるだろう。僕個人の問題ならばスパっとそうするが、会社対会社の話なのでそう簡単にはいかないのだ。そもそも、僕が「年末の挨拶に伺いましたー!」とキラキラ笑顔の来客に「無礼者!帰れ!」と言えるようなタフな心を持った人間であれば、会社勤めなどしていない。つまり、アポなし年末挨拶客との戦いは、会社に勤めているかぎり永遠に続くのだ。きっつー。告白しよう。僕自身も長年、アポなしで年末挨拶をしていた。だから今更、アポなしヤメろなんて、わがままなのは、自分でもわかっている。ただひとつ、お利口な僕は、アポなしの挨拶巡礼のなかでひとつだけ禁句を設けていた。そのフレーズだけは絶対に言わないと。

現実問題として今、僕は管理職。挨拶をするよりもされる側になる機会の方が多い。「立場は人を変える」という言葉がある。そこには「あの人は立場を得て立派になった」というポジティブな意味もあれば、「あの人は肩書を得て変わっちまった…」という残念な意味もある。僕は前者でありたかったが、残念な後者である。己のアポなし挨拶歴史を棚に上げて、アポなしで来る客を迷惑だと思っているヒトデナシだ。しかし、なぜ、一本電話をかけてアポを取れないのだろう?ナメているのだろうか。僕の経験からいえば、単に、めんんどくさいからだ。出来るだけ多くのクライアントをまわるためには、クライアントの都合に合わせていられない、そういう考えが年末年始アポなし挨拶にはある。つまり「一年間ありがとうございました。今後ともー」と相手へのサンキューとリスペクトのポーズを取りながら、あくまで挨拶をする側の都合なのである。そういったものを心の底に沈めて、アポなしで年末挨拶にくる取引業者の人に対応している。

アポの有無はあれど客に貴賤なし。僕は出来る限り誠意をもって誠実に対応している。だからアポなしで年末挨拶に来る人が申し合わせたように「お忙しいところアポなしですみません」と言ってきても、誠実に「忙しいし、アポなしは困ります」と返している。すると、営業マンというのは面の皮が厚いものでございまして、恐縮するどころか、「イヤー。お忙しい部長に我々の年末の挨拶のために、わざわざ時間を取ってもらうのもどうかと思いましてー」などとワンダーな理屈を持ち出して、わざわざ時間を割いている僕に言うのだからたいしたものである。どうやら彼らには僕の皮肉とその裏にある本気の嫌がりが伝わらないみたいだ。

ムカつくのは、話が弾んできて面談が長くなってきたとき、わざとらしく腕時計をみて「あっ!」と虚をつかれた声を出し、すみません、私たち次の約束がございまして…などと言ってくるときである。次に会う客にはちゃんとアポを取っているのね、僕は軽く見られているのね、でもわかるよ同じ営業マンだから…顧客ランクAをランクZより大事にするよね…という気持ちを押し殺して、「今度はアポを取ってじっくり話をしましょう」と都会に染まった僕は言ってしまうのである。このように、僕は相手が、僕が禁句としていたフレーズさえ言わなければ、アポなし客であれどもそれなりに丁寧な応対をする。その禁句とは「ちょうど近くに用事があったので」。それを言われると即座に「私に会うのは《ついで》ってことですか?」と詰問するようにしている。もちろん《ついで》のときもあるだろう。暗黙の了解である。だが、アポなしでやって来て、それを言葉にするというのはナイ、というのが僕の考えだ。相手があたふたするのを確認してから「ついででもまあいいですけど、ご用件は?」と追い討ちをかける。「年末のご挨拶にまいりました」と相手が言い終わるのを待ってから、「いやいやそれだけで来社するはずはないでしょう、そろそろ本題に移りましょうよ」とふたたび追い込む。「いえ、今日は挨拶だけで!」と相手が窮すのを見計らって、僕は「じゃあお引き取りを」つって、かつてクソ上司がその身を犠牲にして僕に教えてくれた、『必殺!テーブルに広げた手帳パタン閉じ』を食らわすのである。

ブラック上司が身をもって教えてくれた「時間を生み出す方法」が魔法レベルで役に立っているので全部話す。 - Everything you've ever Dreamed

無慈悲な手帳パタンをやられた人間は皆、魂を抜かれたような顔になるので面白い。たかがアポがないだけで大人気ない、《ついで》だっていいじゃないか、という批判もあるだろう。そしてその批判は相手に対して失礼だ可哀想だという感情からきているのだろうが、そもそも失礼なのはアポなしでやってくる人間であり、可哀想なのは、事務所の扉近くにマイデスクがあるために居留守がつかえず、アポなし客の攻撃を回避できない僕の方なのである。それに、どれほど無慈悲な報復をしても、アポなし年末挨拶に来るような連中は、何もなかったかのように、年が明けたらアポなしで年始の挨拶に来るから、心配するだけ無駄なのである。(所要時間23分)