Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

本を出すことがきっかけで家庭崩壊しそうです。

本を書いた。増税直前の2019年9月27日(明日だ!)に発売になるので書店で見かけたら手に取ってもらいたい。最近流行りのフォント大きめ、文字少なめ、空白多めからはかけ離れた、フォント小さめ、文字多め、空白少なめ、タイトル長めなストロングスタイルのエッセイ本である。 (アマゾン→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。)

先日、打ち合わせをした際にK社の担当から「アレ?フミコさん全然宣伝してくれない、どうかしてしまったのではないか、と同僚と話していました」と心配されてしまったので、今、こうして宣伝アッピールをしている次第である。

ひとことでいえばこの本は、僕が読みたいものでも書きたいものでもなく、「今、書かなきゃいけないこと」を書いたエッセイ本である。

最大の売りは普通の中年男(45歳)が書いていること。「普通」とは、中小企業で働いている、サクセスもしていない、人生に大きなトラブルや下剋上のエピソードもない、という意味だ。どこに出しても恥ずかしくない、一般ピープルの会社員が書いた本である。もし、普通でないところがあるとしたら、ほぼすべてをガラケーで書いたことくらいだろう(約13万字/参考までに初稿16万字は所要時間40数時間で書き上げている)。キモいよね。

ギョーカイのコネもないので、帯カバーに「すごい新人があらわれた!」「一気読みしちゃいました」という内容とリンクいていない有名人の推薦文もない。イラストもない。即効性のあるメソッドもない。ただ、45才の中年サラリーマンが家庭、仕事、会社、社会、人生といった生きるうえでの様々なシーンで直面している、「生きづらさ」や「悩み」とどう向き合って、乗り越えてきたかを思うがままに書いた。いってみれば勝者でも敗者でもない、どこにでもいる、ごくごく普通の中年が人生で直面するしょぼい戦いをつづった人生戦記だ。普通すぎる人間の生きづらさや悩みや苦しみなので、スターや有名人の語るそれらよりも、ずっと身近なものになっている。距離が近いぶん、読んでくれた人がそれぞれの答えやヒントを見つけやすいのではないか。あとがきにも書いたがこの本は背後霊本である。調子に乗っているときは死んだ祖母の声で「チョーシに乗るなバカ」と諫め、厳しい局面にあるときは祖父の声で「きっつー」とともに嘆いて支えてくれるような背後霊のような本だ。読んでくれた人が背筋に不気味な冷たさを感じてくれたら嬉しい。

何よりこの本はそれなりに読まれないと困るのだ(本題)。私事になるが、来たる10月からの消費増税にともない、僕のこづかいは15%カットが家族会議で決定している。僕だってバカではない。本を出すことによって入るマネーがあれば、15%カットなぞ痛くもかゆくもない、とタカをくくっていたのだ。本を書いたことで入るマネーは家族口座に入金されるが、そのうち少なくとも7割は僕のものになると考えていた。そうはいかなかった。

先ほど申し上げたとおり、この本は家庭、仕事、会社、社会、人生について書かれているが、家族についての描写が3割ほどある。10-3=7 7割取り分の根拠である。見本本を読んだ奥様は、「なかなか面白~い」「謎の中毒性があるね~」と上々の評価をくださって持ち上げたあとで、上空1万メートルから叩き落とすように、執筆当時若干家族サービスがおろそかになっていた事実を挙げて、僕の言論を圧殺すると、つづけて「家族への言及が3割あるので、ギャランティーと慰謝料と肖像権使用料として3割の3倍で9割いただきます」と仰ったのである。

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(問題個所のひとつ「運動神経はみじん切りされている」「逆上がりができなかった」。「こんなことをワールドワイドに開示するなんて馬鹿なんですか?」と詰問された。全体を通して読んでもらえるとリスペクトしているのがわかるはずなのに…)

 僕が反論すると「全部を取るわけではないのだから、売れればいいだけじゃないですか。普段から『僕チンは営業マンだー!売ることのプロだー!』と言っているのは嘘なんですか?」という具合で聞く耳をハブしていない感じなのである。きっつー。ここでさらに反論するとより大きな災厄が降りかかるので耐えがたきを耐えている次第である。納得は出来ない。だけど、ボク、男の子だもん!「印税生活おめでとうございます」「印税うらやましい」というお言葉をSNSでいただくが、《印税とやらの1割しか僕の懐には入らない》圧倒的事実を前にするとすべてが嫌味と呪詛に聞こえてしまうのだ。要するに想定の10倍ほど売れてくれなければ、僕の魂と日々の生活と作家人生は野垂れ死ぬのである。

告白しよう。僕は万事がうまくいくようであったら、会社員生活とおさらばできるかもしれない、そんな淡い夢みていた。夢はかなわなかった。無惨に砕け散った。ならばせめてこづかいを補填するくらいのマネーは欲しい…そう願い、祈ることは悪いことだろうか…。このようなワタクシめの厳しい事情を察していただき、まずは本書を手にとってパラパラ読んでもらいたい。そして気に入ったら買ってもらいたい。よろしくお願いします。

 令和元年9月25日 東京ヤクルトスワローズが惨敗した給料日の夜に。(所要時間22分)

妻が新興宗教の勧誘を失礼のないように断りました。

己の良心に従って新興宗教のセールスを断ったら心が死んだ。自分で思った以上に深刻なダメージで、完全回復できていない。先日、大きな台風がやってくる直前の午前中、某新興宗教のセールスが我が家へやってきて、僕が対応した。女性の二人組だ。おばはんと若い女性。もしかしたら親子だったかもしれない。彼女たちは簡単な自己紹介をすると、タンクトップから腋毛をのぞかせているふざけた恰好の僕を相手に、真顔のまま、チラシを見せて、あれこれセールストークをはじめたが、お二人の幸薄いオーラがすべてを無にしていた。そんな負の空気をまとっているグループにどんな物好きがすすんで入ろうというのか。ひととおり話を聞いた後で、申し訳ないけど、つってお断りをした。友好的なムードであった。誰かハマる人がいるといいねって笑いながらリビングに戻ってくると、妻は「キミは何をしているのですか。バッサリと話を斬ってしまいなさい。私はいつもそうしています」と物凄い剣幕で叱られた。バカなのか、アホなのか、両方なのか、と。なぜそこまで言われなければならないのかわからなかった。

僕は営業マンだ。営業のことはだいたい知っているつもりだ。駆け出しのころ飛び込み営業をやらされた苦しさを忘れたことはない。誰も話を聞いてくれない苦しみ。あの存在を全否定されるような苦しみは誰にも経験させたくない。あの頃の自分の姿と新興宗教ガールズを重ねて、せめて話だけを聞いてやろう、という気持ちになったのである。それのどこが悪いというのか。奥様は「本当に営業マンですか?」と僕の20数年間の営業人生を全否定した。全否定きっつー。奥様は、営業という側面からいって、入信するつもりがないのにセールストークを全部聞くのは、時間と手間の無駄である、本当に彼女たちの営業成績を配慮するつもりがあるのなら、イチ早く話を打ち切って、次の営業機会に向ける時間を浪費しないようにすることではないですか、と僕を罵った。小娘の分際で営業で20年食ってきた僕に何を言うかという気概はゼロになっていた。正論すぎて何も言えなかったのだ。でも、何か強い言葉をかけたら折れてしまいそうな、幸薄い新興宗教ガールズにばっさり言うことができようか。「間に合ってます」と新聞のセールスのようにいったら、ロゴ入り洗剤、生産者(信者)明記の無農薬野菜、本部への招待券、主催プロマイド、という販促グッズで心を揺さぶられるかもしれないではないか。そう抗弁する僕に奥様は「笑止。今度機会があったら私がきっちり完璧に断る模範をキミに見せてやります」と言った。営業マンとしてのプライドをぽっきり折られても僕は彼女の言葉に半信半疑だった。営業の何がわかるというのか、そう思っていたのだ。そう、昨日までは。

昨日の夕方、新たな使徒がやってきたのだ。前回僕が対応した団体ではなかったが、やはり女性二人組。なぜ幸薄い雰囲気は解像度の低い玄関のモニタでもわかるのだろうか不思議だ。使徒を確認した僕は奥様に「ささ、お手本を」と声をかけた。彼女は自信満々の様子でドアに向かった。僕は忘れないだろう。ドアをあけて差し込んできた光に浮かびあがる白いワンピースを着た彼女の姿を。新興宗教ガールズは簡単な自己紹介を述べるとチラシを出した。ここまでは僕と同じだ。どう出る?まさか何の芸もなく「間に合ってます」で打ち切るのか。耳をすましていると奥様の声が聞こえた。「申し訳ありません…」セールスお断りという通俗的な意志を感じさせない澄み切った声だった。何が起こっているのか。僕は物陰から見た。奥様の後ろ姿が見えた。彼女は腰の高さにあげた両の手のひらを上に向けていた。落ち着き払った雰囲気。それから彼女は「申し訳ありません…今はこのような場所に住んでいますが…」と声に悲痛の色を含ませて言うと「私が神です…」と続けた。時が止まった。「私が神なのです…」使徒たちが息を飲むのがわかった。気が付くと彼女たちは退散していた。結婚して8年になるが、まさか神だったとは。残念ながら僕には「私が神です」と言える精神的な強さはない。手本にならない。普通は無理だ。とすると本当に奥様は神なのだろう。そりゃ俗世界の底で生きる平々凡々な人間である僕とレスになってしまうのも納得なのれす。(所要時間22分)

9月27日に本が出ます。

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

ありがとう消費増税!

「今日酷い話があったんだよ」夕方の食卓で僕は切り出した。無意識に「仕事の話を家庭に持ち込まない」というルールを破っていた。それほど、腹にしまっておけない、ときめかない話だった。そして誰よりも奥様に聞いてもらいたい話だった。


とある取引先の会社との交渉が難航している。一般にも解放されている社食案件で、来月予定されている消費増税にともなう値上げ交渉だ。「値上げは出来ない」が先方の回答だった。「では現行価格のままなら内容を落として増税分を確保しますね」と提案するとそれも拒否した。ホワイ?福利厚生を落とすことは社員からのクレームにつながるから。社食は全社をあげて推進している健康経営の要だから。そういう理由だった。


「ウチも税金を納めなければならないので困ります」と訴えた。すると担当者は「我々双方とも損をしない秘策があります。御社にはご迷惑をおかけしません」と言って笑った。夕方再放送している時代劇に出てくる悪代官のようなわかりやすい悪の笑顔。イヤな予感しかなかった。率直に言ってこの先を聞きたくなかったが、そんな僕の心の叫びが愚鈍な悪代官へ届くはずもなく「外部利用者の販売価格を上げてそれで全体の増税分をカバーしましょう」と担当者は言った。呆れて何も言えずにいるのをナイスアイデアすぎて声を失っていると勘違いしたのだろうか、彼は自信ありげに「これは私個人ではなく社の方針です」と続けた。


もうアホかと。控えめにいってクソかと。クソ1。値上げをする外部利用者の数を現状より微増を見込んでいること。値上げをすれば利用者は減りますと忠告すると「御社の企業努力でそこは!」などと言う。なぜアンタの消費税を払うのにウチに企業努力が求められなければならんのか。クソすぎる。クソ2はもっと酷い。彼のいう外部利用者は、その大半が一般利用者ではなくその会社で共に働いている派遣スタッフやパートスタッフそれから協力会社の人たち。つまり正社員様が納めるべき消費税をなぜか低賃金で働いている弱い立場の人間が負担するというクソ仕様。さらにクソなのは表向きは彼らのことを「パートナー」と呼んで尊重してる感を醸し出していること、さらに消費増税にともなう二重価格の改訂をバレないよう秘密裏に進めようとしていることだ。きっつー。


「何とかこの方針に沿って改めてうまい方法をご提案いただき」などと勝手なことをぬかしやがるのでいい加減頭にきて「二重価格の一方だけ値上げすれば、どれだけ巧妙にやっても導入初日で絶対にバレます。バレたらパートナーさんたちで騒動になりますよ。そのときウチは方針に従っただけだと説明するだけですが、その責任は取っていただけますよね?」と言い切って、現在、相手の出方待ちになっている。僕は契約解除してもいいと考えているが、大人の事情で無理っぽい。相手が方針撤回するのを祈願するばかりだ。今回の消費増税で「自分さえよければ弱い立場の者を犠牲にしてもいい」と考える人間の醜さを再確認することが出来て良かったと無理矢理前向きにとらえて胸糞悪い話を忘れることにする。


奥様にこの話をしたら「酷すぎ。血も涙もない人間ているのね。許せない」と憤慨していた。「だよね」と僕は相槌を打った。僕に出来ることは「消費増税を理由に来月から僕のこづかいを減らすキミも同類なのだが」と言いたい衝動と苦い失望とを、胃薬と一緒に胃袋の奥底まで流し込むこと。それだけだった。(所要時間25分)

9月27日発売↓

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

「自分をサブスクで使えて会社はラッキーですね」と自己評価高いマンは言った。

自己評価高いマンに命を削られている。30代半ば。男性。企画職。彼は仕事がひとつ終わるたびに「自分どうです?」と意見を求めて回っている人物。真顔で「自分どうです?」「今回の仕事の仕上がりには自信があります」「実は…横浜市民です」と突き押し相撲でどどーんとこられたら、あ、まあ、いいんじゃないかな、て誤魔化すしかない。「全然ダメだよ」「きっつー。あれが君の本気なの?」と冗談でも口にしたら、アソコを千切りにされかねない。それくらいの勢いなのだ。彼についたあだ名=自己評価高いマン。彼は「会社からの評価がすべて」と口癖のように言っている。評価がいいものだと思いこんでいるからうらやましい。彼のなかで評価はプラスのみでありマイナス評価は存在しない。かつて賞与の査定の際にマイナスをつけられたときなどは、自分はやめますよ、いいんですか、いいんですか、と騒ぎを起こし、周りの精神的に弱い同僚を巻き込み「こいつと一緒にヤメますよ?」と退職カードをチラつかせてマイナスを回避させた。そういうスタンスが評価をガタ落ちさせていることに気づかないのだから幸せだ。同じ部署でなくて良かった…と安心していたのだが、昨年、僕が営業の部長になった途端、それまで僕を中途採用の陰気なオッサン扱いしていたのが嘘のように、部長~、部長~、と絡んでくるようになった。その厚顔ぶりに思わず睾丸が縮みあがったのをつい昨日の出来事のように覚えている。以来、僕は、自己評価高いマンの「自分どうです?」攻撃にさらされている。「ダメじゃん」とダメ出しをすれば、「その部分は自分も納得いっていない部分なのでそれがわかっている自分の客観性すごくないですか!」、「普通かな」と平均的な評価をしても「普通にいい企画っていうのは一般ウケ最高という意味ですね!」とムテキングな反応しかないので、相手をすればするだけ心身を削られていくばかりのクソゲー仕様なのだ。嫌味のつもりで「自己評価高いね」と言うと「自分で自分を愛せない人間は誰からも愛されませんよ。ご自身を愛せない部長はかわいそうですね」と愛を説かれる始末。評価。評価。評価。最近は「自分をサブスクで一カ月定額で使える会社はそれだけで得をしているんですよ」と言い出したので評価獲得の神に祟られて少しおかしくなっているのかもしれない。そんな自己評価高いマンあらためサブスク君が今月いっぱいで会社を辞める。「お世話になりました」「お疲れ様」型どおりの挨拶をしたあとで妙なことを訊かれた。「周りから私はどう見られていますか?」自己評価から抜け出したらしい。率直に「ヤバい奴」と答えたら「ヤバいってヤバいくらい良いという意味ですね」とワンダー変換されるのを恐れて答えに窮してしまう僕。「何もないですか?」「うーん。別に」「別にとはどういう意味ですか」「辞めていく人間に評価をくだす立場じゃない、というか、フェアじゃないかなって…」「誰からも慰留されませんでした」「辞める人間に対してはそんなもんだよ」「そうですか」「ま、サブスク精神で新しい職場に得したなーと思わせてあげなよ」というペラペラなやりとりと気持ちの入っていない握手をして別れたら、あら不思議、サブスク君が「あの営業部長、私が退職するのに労いの言葉も評価もない冷血人間だ」と社内で言いふらしているので、マジで死んだ。新しい職場でサブスクでボロキレのように使い倒されてほしいものだ。(所要時間19分)

9月27日発売↓

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

20年前の出会いが「仕事を『自分の仕事』にとどめているうちは仕事人として2流」だと今も教えてくれている。

「自分が取ってきた契約や仕事にいつどこまで関わればいいのか」は、営業職の永遠のテーマだ(どこまでが自分の仕事の範疇になるのか問題は、他の職種でも同じだと思う)。20年超の営業ライフで、何人かの先輩が、自身で開発した仕事にいつまでも携わろうとして、上役から注意される姿を見てきた。彼らは「自分の仕事だから」と異口同音に言っていた。それが原因で退職する人もいた。

僕にもまだ、そういう「自分の仕事」という意識はあるけれども、今は仕事を振ってからは結果を報告として受け取るだけで、それが「営業の仕事」だと割り切っている。だから「自分で新規開発し、案件になるまで育てて、成約した仕事の行く末を見るのが悪いことですか?」と部下に言われると返答に窮してしまう。正しいからだ。「営業の仕事は次の新たな仕事を取ってくること。取ってきた仕事にいつまでも関わって新規開発に割く時間と労力が削がれるなら本末転倒だ」と言いながら、なんだか自分自身を裏切っている気分になってしまう。

 

僕も彼と同じように「自分の仕事」という意識はある。ただ、仕事を他の人に任せなければならないことも理解しているだけだ。営業マンにとって新規開発して取ってきた仕事は子供みたいなもの。その子供が外でどのような扱いを受けるのか気になってしまうのは仕方がない。ちゃんとやれているかな、お客さんに説明したように動いているかな、と。仕事を任される側からみれば、子供を連れてくるのはいいが不良は勘弁ということになるのだろう。

 

子供が外の世界でうまくいっているときはいい。だが、うまくいっていないときは放置できない。20代の頃、取ってきた仕事を運営に引き継ぎ、安心しきっていたら、顧客担当者から「あなたから聞いていた話と全然違うんだけど」という連絡を受けることが何度かあった。大半は、請求書が約束の日に届かなくなった、納品の時間が少し遅れガチといった、慣れからくる些細なミスがほとんどだったけれど、いくつかは、僕が説明してきた内容とはほど遠いようなサービスが提供されているような深刻な事態で、最悪、契約解除までいってしまったものもある。

 

若かりし日の僕は、営業本来の仕事が疎かになるのもかまわず、現場に張り付き仕事がどう動いているのか確認した。「自分の仕事」を監視。だが、周りから「それは営業の仕事じゃない」と注意されたり、現場から「俺たちを信用しないのか。お前の仕事は何だよ」と叱られたりして、納得は出来なかったけれど、現場に張り付くのはやめた。そのとき僕が学んだのは、自分の取ってきた仕事を引き継ぐ際には、成約するよりもいっそう注意深く説明する必要がある、ということ。その観点からみれば、最悪の事態は僕の配慮不足が招いていたともいえた。反省。こうした、痛すぎる失敗から、僕は関係各所に仕事を引き継ぐ際に、定められた連絡事項以外に、自分は営業の際にしてきた話を伝えるようにしている。お客へのセールストークを社内での再現。くどいと言われながらも、それは20年近くずっと続けている。さいわい(小さな問題はあるけれども)、僕がメインで携わった仕事では解約のような致命的な失敗は起こっていない。「自分の仕事」を「営業の仕事」に落とし込めたと自負している。

 

当時、仕事でうまくいかないときに僕が頼りにしたのは、通っていたスナックにいた引退間近の保険業界のベテラン営業マンだった。上司や先輩は僕をライバルの一人と見ていたのか、仕事は見て盗めスタンスを崩さないような、クソ心の狭い人間ばかりだった。今のようにネットもなく、ビジネス書籍やセミナーも少なかった。偉人や経営の神様の本を読んで「ああ凄いなあ」と感銘は受けたけれども、自分とは世界が違いすぎる感が強すぎた。頼りになるものが少なかったのだ。僕はスナックでベテラン営業マンの彼から、いろいろなことを学んだ。顧客管理の方法。同業他社のサービスを褒めたうえで売り込むこと。関係部署へのセールストーク再現も彼のアイデアを拝借したものだ。

彼は「取ってきた仕事を全部知ること」の大事さを、「お客から説明を求められたとき、その質問がこちらからはどんな些細でくだらないものであれ、その人にとって一大事だったらどうする?」というクイズを通じて教えてくれた。僕は自分の扱っている商品やサービスを隅々まで知ることの大事さを教えられたと思っていた。それだけではなかった。彼が本当に言いたかったのは、売る側からは些細な問題でも、客からすれば一大事になりうる、ということは営業しかわからないことで、それを関係各所に伝えるのが「営業の仕事」なのだということだった。彼は、営業の本質を教えつつ、こう言っていた。「仕事を『自分の仕事』にしているうちはたいした仕事はできない」

 

前の職場を辞める直前の一年間、リストラ奉行をやらされた。リストラといっても肩たたきよりも適材適所の異動の意味合いが強かった。それでも、人を動かすのだから、せめて現場の仕事を自分の目で確かめて、知ってからやるべきだと思い、出来る限り現場に入るようにした。僕が成約した、とある工場の現場仕事は1~2週間も入れば理解することができた。これなら、人か時間を削減できるという確信が持てた。現場に入りましたというあざといアッピールもあった。

「私は会社のデスクからではなく、実際の現場に入って、仕事を全部知ったうえで、リストラを行います」という宣言は反感を買った。「一週間からそこら仕事をやっただけでわかるのかよ」「今の現場の仕事は現場で時間をかけて作り上げてきたものなんだよ」。確かに、僕が入ったラインは僕のような素人が入っても、仕事が流れるようにシステムが出来上がっていた。確かに、同じ仕事を一週間限定でやるのと10年続けていくのとでは違った。僕は仕事を知りえたけど、まったくわかってはいなかった。「自分の仕事」にすれば多少の荒行は許されると勘違いしていた。営業にとって自分が取ってきた仕事は子供だ。だがこの子供は親の目の届かないところで、成長を遂げている。その成長の仕方や度合を見守る度量が営業には求められているのではないか。

 

そういえばスナックの彼からはこんなふうに言われていた。「自分の仕事と鼻息荒くしても、営業という立場で知りうる仕事とは所詮営業からみた仕事にすぎない」うろ覚えだけれどそんな感じの言葉だった。言われたときは「そらそうだ」と軽く考えていた。僕はリストラ奉行になったときに、現場を知ることが必ずしも分かるということではないと思い知らされた。会社のような組織では、営業の取ってきた仕事がたくさんの人を通じて大きくなっていく。全貌を知ることは出来ても、細かなところまで理解するのはかなり難しい。信用して任せることが必要になる。「自分の仕事」には限界があるからだ。

 

営業職が、携わった仕事の細部まで全部を知ろうとすることは驕りだ。だから後輩から「自分で新規開発し、案件になるまで育てて、成約した仕事の行く末を見るのが悪いことですか?」と言われたとき、まず僕がやるべきことは、型どおりの諌めをするのではなく、彼のそういう仕事に携わりたいという意気を買ってやることだった。それから現場に貼りつくことのメリットとデメリットを自分の経験を踏まえて聞かせることだった。「自分の仕事」という気持ちを忘れることなく、「営業の仕事」へ落とし込むことを伝えることだった。こういうのは小さくて地味だけれども案外仕事を進めていくうえでは大きなことだ。仕事の仕組みを作ったり、職場環境を整えたり、数値目標を達成させることよりも、こういうことを体系化して後進に伝えていくのが営業人生の終わりに差し掛かりつつある(きっつー)僕の仕事のように思える。

20年前、スナックでいろいろ教えてくれた彼のような存在に慣れたらいい。「仕事を『自分の仕事』にしているうちはたいした仕事はできない」「天狗になるなよ」という彼の言葉は、当時の、ちゃんと教えてくれる人がいればやれるとイキがっていた僕ではなく、管理職になった今の僕に、時空を超えて向けられているような気がしてならない。(所要時間39分)

寄稿しました。若者よ。正しく悩んでテキトーに働こう。 – キャリアの海

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