Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年の営業マン生活でわかってきた「仕事の本質」を全部話す。

20年ほど営業という仕事をやってきて、小手先のテクニックにとらわれない本質みたいなものがつかめたのが、数年前、給食の営業をやっている時期だった。ニッチな仕事ではあったけれど、営業という仕事を見つめなおすにはちょうどよかった。現在は違う営業をしているけれど、今のうちにそのとき気付いたことを忘れないためにまとめておこう、というのがこの文章の目的だ。


給食の営業というだけでピンとこないはずだ。僕もわからなかった。ピンとこない理由は、1)誰に 2)どうやって 3)何を売るのかわからないからの3点だろう。
1)誰に=営業の対象は法人の社員食堂と福祉施設で僕は主に社員食堂を担当していた。一般的に社員食堂は自前で運営しているか、業者(給食会社)が、管轄保健所から営業(給食)で許可を取って運営している。給食というと学校給食を連想してしまいがちだが、社員食堂も給食なのだ。あなたの会社の社員食堂にも給食とかかれた営業許可証があるはずだ(マックやスタバが社食がわりに入っているかもしれないが、それはテナントとして入っているので今回は割愛)。確認してみてほしい。

2)どうやって営業をかけるか。これが難しかった。むやみに企業リストそのままに当たってもまずうまくいかない。まず、リストからターゲットにする会社のホームページで資本関係や関連会社をチェックする。調査会社に依頼するときもある。メーカー系の大手に多いのだが子会社に給食会社を持っているところが多いのでそういうところは原則パス。なぜか。そこは天下り先のようなものであってアンタッチャブルだからだ。僕は「あんた、俺たちの定年退職後の行き先をなくすつもりなの」と笑われたこともある。うむ確かに。僕は某メーカーの社食をその子会社から取ったことがあるが、それはレアケース。

次に、絞りこんだ見込み客リストからターゲットの社員食堂がどのような営業形態をしているか裸にしていく。具体的には管轄保健所で情報開示手続きをおこなう。管轄保健所から営業許可リストというカタチで入手でき、そこにはターゲットの住所連絡先に加えて運営形態が記載されている。つまりターゲットを誰が運営しているのか一目瞭然である。ここで大事になるのは相手ではなく敵を知ることだ。現在食堂と運営している敵が、どういう会社なのか、強みと弱み、基本的な事項は営業として暗記しているはずなので(もし、忘れていたらこの時点で復習)、チェックするのはその給食会社の最近のトピック。

「健康食はじめました!」というポジティブなニュースはもちろんだが、食中毒事故を起こしていないかどうか、をまずチェックする。チェックするのは過去3年間分。3年間というのは営業許可申請の際に「過去3年間で食中毒事故を起こしていないか」が問われるからだ。気をつけなけれならないのはターゲットとの商談の際に「御社の社員食堂をやられている会社さん先月食中毒事故を起こしてますよね」とこちらから切り出さないこと。もしその事故を担当者が把握していなかったらメンツをつぶすことになりかねないからだ。あくまで相手がその話題を出したときに対応するときのため。競合他社を貶めることは言わず、一般論として安全衛生の重要性と食中毒の怖さとそれによって失われるものを説明して、オマケで自社の考えを付け足す程度でじゅうぶん。大事なのは「この人、ウチのこと考えてくれている」と思ってもらうこと。そのための敵の情報なのだ。貶す材料ではない。

社員食堂の営業でもっとも困難なのは、アポ取り。相手はターゲットの総務か人事。電話は100件かけて3~4件程度のアポしか取れない。企画提案をできるのは100件のうちいいところ1件だろう(紹介案件のぞく)。ここでめげるか、それともこんなもんか、と考えるか。そこが給食営業として生きていけるかどうかの分岐点になる。毎日マシンのように100件かけて1日あたり3~4件の新規客と会うことを続けていく。会えた客は見込み客からランクひとつレベルアップさせていく。その継続。もっともこのもっともつらい部分を外注にしていくことも可能だ。僕の個人的な経験からいうと、社員食堂の営業といわずに、社員食堂をカイゼンするお手伝いをさせてください、と話を切り出すと相手の「で?」という次のステップに進める可能性が高かった。もっともそれでも100件のうち10件にも満たなかったが(笑)。

3)何を売ればいいのか。ターゲットの担当者に会えるようになったら、訪問回数を重ねていく。給食営業の大きな特徴は動かないこと、時間がかかることだ。僕の経験で一発で成約したケースは1件だけだ。面談数が年間200日×5件×10年=10000件だとすると、10,000分の1。平均すると初訪問から3年くらいで成約というケースが多かった。社員食堂の営業はサンプルを持ち歩けない。だからこそこの動かないという特性を活かして、訪問回数を重ねて情報を取りながら、信頼を積み重ねていく。自社での試食会や現状の社員食堂の分析をおこない、関係性を築き上げて勝負のとき(コンペ等)を待つ。

営業はセールスが仕事ではない。コンサル的な立場から働きかけて相手にプラスを与えるのが営業の仕事だ。給食営業なら「あ、この人はウチの食堂を良くしようとしてくれている」と相手に思わせるのが仕事だ。僕は、社員食堂を良くするよう進めていって結果的に自社のサービスをサービスを薦めないこともあった。自社のサービスが相手の利益に合致しないのなら、相手の利益を最優先して、競合他社を紹介するくらいでいいと僕は思う。今でも、過去にそういう対応をしてきたクライアントからの紹介でより大きな仕事をいただくことがある。相手にプラスを与えない仕事でノルマを達成しても、その場かぎりで、その相手から長期的に仕事を得ることはできないだろう。案件を大きく育てていくには捨てることも大事。営業という仕事を続けていくためには継続的に仕事を得られる仕組みを作っていくことが必要だろう。

食堂のコンペがはじまったときに、関係性を築きおえていて、「コンペをやりたいのだが、どうすすめればいいのか?」というふうに、相手から相談を持ちかけるようになっておけば高い確率で契約を取れる。逆にいえば関係性を築けずに後ノリでコンペに参加しても勝率はあがらない。継続的に勝てない。営業は何を売ればいいのか。それは「商品と営業マン自身がアナタの利益に寄与できますよ」というメッセージではないか。

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給食営業について書いてきたけれど、実のところ、営業の仕事として特別なものは何もない。己を知る。相手を知る。敵を知る。与えられた時間(商品によって違う)を最大限に活かして関係性を築いていく。考えうる最高の準備をしておく。目先の利益にとらわれずに案件を育てて継続的に仕事を得られるようにする。それさえ出来れば売るものは変わっても営業という仕事は出来る。今、僕は食品の営業をやっているけれど、変わったのは成約までの時間と手間だけだ。売るもの、「商品と営業マンがアナタの役に立てますよ」というメッセージであることは何も変わっていない。僕も20年以上営業という仕事に携わるうち、その時々に流行った営業メソッドに走ったこともある。派手で見栄えのするカッコいいメソッドばかりだったが、すべて些末であった。どの業界の営業、もしかしたら営業以外の職種、どんな仕事でも、根底にあるものはもっと地味でシンプルなものなのだ。勝者と敗者をわけるものは、それを愚直に続けられるかどうかなのだ。(所要時間40分)

本を出しました。仕事についても書いてます。

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

妻がカロリーメイトをくれました。

現在2019年10月4日午前11時45分。神奈川県某所にある公園のベンチでこれを書いている。13時の約束に備えて少し早めのランチだ。

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私事で恐縮だがという書き出しをかなり高い頻度で使っているが、今、僕の心にあるのは恐縮ではなく恐怖の2文字。実生活はこづかい減額のため緊縮の2文字。昼食代と酒代を確保するためにSpotifyとダゾーンとAmazonプライムは解約した。「神とロックンロールは死んだ!」と嘆いていたら、今朝、妻が「こづかいを減らしちゃったから」といってカロリーメイトを10箱くれた。ランチの足しにして欲しいとのことだ。そのうち一箱をカバンに入れて、今、食べようと取り出して前立腺まで戦慄している。

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賞味期限19.7.22  本日は19.10.4  古いやん。妻は管理栄養士として働いている。「仕事柄」といって我が家の食材の期限はラベルを貼って管理しているくらいだ。その妻が7月に期限切れしているものを寄越すとはこれいかに。ふざけんな。このやろー。と文句を言うべきだろうが、消費しつくされて面白味のない消費期限と賞味期限の議論に終止するのは目に見えているのでやめる。ただ食品に対しての意識が高いはずの妻がわざわざ期限切れの食品を購入してそれを僕に渡したという事実をあるがままに受け止めたい。そういえば先日、彼女は宗教の勧誘を「私が神です」と宣言して退けていた。すべては神の采配。人間には神が与える役割がある。僕は己に与えられた残飯処理機という役割を果たそうではないか。キゲンギレタベラレルヨー!永遠を生きる神と〆切に終われる我々人間とでは時間のとらえかたが違うのだ。神からは地をはうように生きている人間が口にする賞味期限は見えないのだ。そんなふうに僕は自分に言い聞かせている。そして久しぶりに口にしたカロリーメイトは甘くて美味しかった。(所要時間5分)

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。



逃げ場所のない僕らはポエム化するしかない。

小泉進次郎議員の大臣就任後の発言が「まるでポエム」と批判されている。学生生活の一時期(一週間ほどだが)オスカー・ワイルドを崇拝し、萩原朔太郎さんの「月に吠える」に憧れ、詩人を目指したものの周囲から「ポエムというよりはペテン」と酷評されて挫折した苦い経験を持つ僕からすれば、意図せずとも発言がポエムと認識される小泉議員のナチュラル・ボーン・ポエマーぶりには嫉妬しかない。しかも、いつのまにか脇にはなんとなくクリステル。確かに大臣になってからの議員の一連の発言「気候変動はセクシーに取り組む」「30年後は何歳かな」「私ノドグロ大好きなんですよね」はピントのあっていないものばかりではあるが、これをポエム(詩)と呼ぶのはポエム界を愚弄していると言わざるを得ない。それに今振り返っても議員の「ノドグロ大好き」と僕の「風俗の風が吹いている」にポエムとしての完成度に差があったとは到底思えない。

世間様の小泉議員に対するポエム批判は、僕のポエム愛からの批判とはいささか異なる。「自分は彼が生粋の詩人だと見抜いていましたよ」と後出しで指摘する人をのぞけば「期待していたのに!なんでポエムなんだ」という失望の声が大きいようだ。私は本質を見抜いていた人と仰る人の多くが事後、声をあげるのはどうしてだろう。見抜いていたのなら事前に叫んでほしかった。人間は一方的に期待したり愛情をもったりしてそれが裏切られると「裏切りやがって」「愛していたのに」と勝手に攻撃的になる厄介な生き物である。今回のポエム批判はその構図に僕には思える。大臣のポエム発言の是非は置いておいて、現在の日本社会では、ポエム発言がそれほど特別なものではなくなっている事実に着目したい。身の回りにいないだろうか。前向きだがぼんやりした言葉で煙幕を分厚くはって逃亡をはかるような人間が。一見薄気味悪いほど前向きで良い感じのことをいうので、批判するのを躊躇してしまうのだ。

たとえば我が営業開発会議において案件の進捗を確認すると、何人かは具体的な回答ではなく「仕事というものは人と人とのつながりだと私は思います。ひとつひとつの人間が石となってスクラムを組むように力強い石垣にならないとそのうえにどのような強固な建物をたててもすぐに崩れてしまいます」「結果はおこないのあとについてくる影法師です。光をさえぎる雨雲がさっていけばおのずと影はさしてくると私は思います」といった具合にポエム回答をされるので目まいがする。なんとなくいいことを言っているし、澄んだ目をしているので「もっと簡潔に!」と強い調子で注意することもできず「そっか…人っていいよね…。で、進捗を教えてもらえるかな」と軟着陸させて話を終わらせてしまう。彼らは30代でで小泉議員とほぼ同世代である。彼らがこのようなポエムを垂れ流すのか考えてみると、インターネットやスマホの普及であらゆることが容易に調べられてしまうになったことが原因にあるのではないか。つまりスマホでぴぴぴで簡単に調べられるのになぜ事前に調べないのか?と受ける側がハードルをあげているのでうかつに「わかりません」「知りません」「調べていません」とは言えない汚染された土壌が仕上がっているということ。また事前に調べてあってもとんでもない発言をすればそれが誰であれツイッターに「馬鹿がアホな発言をしていた」と投稿されてネタにされてしまう。それならば適当に無難で前向きなことを言っておこうではないか、という心理になっても不思議はない。

何もいえなくてポエムなのだ。これは「わかりません」がいえない悲劇なのだ。

先ほどの進捗確認でも僕よりも上の世代、60近くの人などは「まだ終わってません」「調べてません」と何の葛藤もなくゲロする。そんなふうに出来ればどれだけ楽だろう。それでも僕は、大臣が「ノドグロ美味しいよね」とポエム回答が出来るくらい平和な世の中であってほしいと祈っている。残念ながら、今は問題が山積みでそんな平和な世の中ではないということ。小泉議員のポエムは、話をはぐらかしているのではなく、人に対して厳しすぎる現代社会が生んだ哀歌なのだ。もちろんポエムな回答のすべてが悪いわけではない。キャバクラでお姉ちゃんに自分の印象を尋ねて「黄昏セクシーだと思います…」というポエミーなことを言われたときすげえ僕は嬉しかったもん。(所要時間22分)

9/27に本が出ました。アマゾン→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

本を出すことがきっかけで家庭崩壊しそうです。

本を書いた。増税直前の2019年9月27日(明日だ!)に発売になるので書店で見かけたら手に取ってもらいたい。最近流行りのフォント大きめ、文字少なめ、空白多めからはかけ離れた、フォント小さめ、文字多め、空白少なめ、タイトル長めなストロングスタイルのエッセイ本である。 (アマゾン→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。)

先日、打ち合わせをした際にK社の担当から「アレ?フミコさん全然宣伝してくれない、どうかしてしまったのではないか、と同僚と話していました」と心配されてしまったので、今、こうして宣伝アッピールをしている次第である。

ひとことでいえばこの本は、僕が読みたいものでも書きたいものでもなく、「今、書かなきゃいけないこと」を書いたエッセイ本である。

最大の売りは普通の中年男(45歳)が書いていること。「普通」とは、中小企業で働いている、サクセスもしていない、人生に大きなトラブルや下剋上のエピソードもない、という意味だ。どこに出しても恥ずかしくない、一般ピープルの会社員が書いた本である。もし、普通でないところがあるとしたら、ほぼすべてをガラケーで書いたことくらいだろう(約13万字/参考までに初稿16万字は所要時間40数時間で書き上げている)。キモいよね。

ギョーカイのコネもないので、帯カバーに「すごい新人があらわれた!」「一気読みしちゃいました」という内容とリンクいていない有名人の推薦文もない。イラストもない。即効性のあるメソッドもない。ただ、45才の中年サラリーマンが家庭、仕事、会社、社会、人生といった生きるうえでの様々なシーンで直面している、「生きづらさ」や「悩み」とどう向き合って、乗り越えてきたかを思うがままに書いた。いってみれば勝者でも敗者でもない、どこにでもいる、ごくごく普通の中年が人生で直面するしょぼい戦いをつづった人生戦記だ。普通すぎる人間の生きづらさや悩みや苦しみなので、スターや有名人の語るそれらよりも、ずっと身近なものになっている。距離が近いぶん、読んでくれた人がそれぞれの答えやヒントを見つけやすいのではないか。あとがきにも書いたがこの本は背後霊本である。調子に乗っているときは死んだ祖母の声で「チョーシに乗るなバカ」と諫め、厳しい局面にあるときは祖父の声で「きっつー」とともに嘆いて支えてくれるような背後霊のような本だ。読んでくれた人が背筋に不気味な冷たさを感じてくれたら嬉しい。

何よりこの本はそれなりに読まれないと困るのだ(本題)。私事になるが、来たる10月からの消費増税にともない、僕のこづかいは15%カットが家族会議で決定している。僕だってバカではない。本を出すことによって入るマネーがあれば、15%カットなぞ痛くもかゆくもない、とタカをくくっていたのだ。本を書いたことで入るマネーは家族口座に入金されるが、そのうち少なくとも7割は僕のものになると考えていた。そうはいかなかった。

先ほど申し上げたとおり、この本は家庭、仕事、会社、社会、人生について書かれているが、家族についての描写が3割ほどある。10-3=7 7割取り分の根拠である。見本本を読んだ奥様は、「なかなか面白~い」「謎の中毒性があるね~」と上々の評価をくださって持ち上げたあとで、上空1万メートルから叩き落とすように、執筆当時若干家族サービスがおろそかになっていた事実を挙げて、僕の言論を圧殺すると、つづけて「家族への言及が3割あるので、ギャランティーと慰謝料と肖像権使用料として3割の3倍で9割いただきます」と仰ったのである。

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(問題個所のひとつ「運動神経はみじん切りされている」「逆上がりができなかった」。「こんなことをワールドワイドに開示するなんて馬鹿なんですか?」と詰問された。全体を通して読んでもらえるとリスペクトしているのがわかるはずなのに…)

 僕が反論すると「全部を取るわけではないのだから、売れればいいだけじゃないですか。普段から『僕チンは営業マンだー!売ることのプロだー!』と言っているのは嘘なんですか?」という具合で聞く耳をハブしていない感じなのである。きっつー。ここでさらに反論するとより大きな災厄が降りかかるので耐えがたきを耐えている次第である。納得は出来ない。だけど、ボク、男の子だもん!「印税生活おめでとうございます」「印税うらやましい」というお言葉をSNSでいただくが、《印税とやらの1割しか僕の懐には入らない》圧倒的事実を前にするとすべてが嫌味と呪詛に聞こえてしまうのだ。要するに想定の10倍ほど売れてくれなければ、僕の魂と日々の生活と作家人生は野垂れ死ぬのである。

告白しよう。僕は万事がうまくいくようであったら、会社員生活とおさらばできるかもしれない、そんな淡い夢みていた。夢はかなわなかった。無惨に砕け散った。ならばせめてこづかいを補填するくらいのマネーは欲しい…そう願い、祈ることは悪いことだろうか…。このようなワタクシめの厳しい事情を察していただき、まずは本書を手にとってパラパラ読んでもらいたい。そして気に入ったら買ってもらいたい。よろしくお願いします。

 令和元年9月25日 東京ヤクルトスワローズが惨敗した給料日の夜に。(所要時間22分)

妻が新興宗教の勧誘を失礼のないように断りました。

己の良心に従って新興宗教のセールスを断ったら心が死んだ。自分で思った以上に深刻なダメージで、完全回復できていない。先日、大きな台風がやってくる直前の午前中、某新興宗教のセールスが我が家へやってきて、僕が対応した。女性の二人組だ。おばはんと若い女性。もしかしたら親子だったかもしれない。彼女たちは簡単な自己紹介をすると、タンクトップから腋毛をのぞかせているふざけた恰好の僕を相手に、真顔のまま、チラシを見せて、あれこれセールストークをはじめたが、お二人の幸薄いオーラがすべてを無にしていた。そんな負の空気をまとっているグループにどんな物好きがすすんで入ろうというのか。ひととおり話を聞いた後で、申し訳ないけど、つってお断りをした。友好的なムードであった。誰かハマる人がいるといいねって笑いながらリビングに戻ってくると、妻は「キミは何をしているのですか。バッサリと話を斬ってしまいなさい。私はいつもそうしています」と物凄い剣幕で叱られた。バカなのか、アホなのか、両方なのか、と。なぜそこまで言われなければならないのかわからなかった。

僕は営業マンだ。営業のことはだいたい知っているつもりだ。駆け出しのころ飛び込み営業をやらされた苦しさを忘れたことはない。誰も話を聞いてくれない苦しみ。あの存在を全否定されるような苦しみは誰にも経験させたくない。あの頃の自分の姿と新興宗教ガールズを重ねて、せめて話だけを聞いてやろう、という気持ちになったのである。それのどこが悪いというのか。奥様は「本当に営業マンですか?」と僕の20数年間の営業人生を全否定した。全否定きっつー。奥様は、営業という側面からいって、入信するつもりがないのにセールストークを全部聞くのは、時間と手間の無駄である、本当に彼女たちの営業成績を配慮するつもりがあるのなら、イチ早く話を打ち切って、次の営業機会に向ける時間を浪費しないようにすることではないですか、と僕を罵った。小娘の分際で営業で20年食ってきた僕に何を言うかという気概はゼロになっていた。正論すぎて何も言えなかったのだ。でも、何か強い言葉をかけたら折れてしまいそうな、幸薄い新興宗教ガールズにばっさり言うことができようか。「間に合ってます」と新聞のセールスのようにいったら、ロゴ入り洗剤、生産者(信者)明記の無農薬野菜、本部への招待券、主催プロマイド、という販促グッズで心を揺さぶられるかもしれないではないか。そう抗弁する僕に奥様は「笑止。今度機会があったら私がきっちり完璧に断る模範をキミに見せてやります」と言った。営業マンとしてのプライドをぽっきり折られても僕は彼女の言葉に半信半疑だった。営業の何がわかるというのか、そう思っていたのだ。そう、昨日までは。

昨日の夕方、新たな使徒がやってきたのだ。前回僕が対応した団体ではなかったが、やはり女性二人組。なぜ幸薄い雰囲気は解像度の低い玄関のモニタでもわかるのだろうか不思議だ。使徒を確認した僕は奥様に「ささ、お手本を」と声をかけた。彼女は自信満々の様子でドアに向かった。僕は忘れないだろう。ドアをあけて差し込んできた光に浮かびあがる白いワンピースを着た彼女の姿を。新興宗教ガールズは簡単な自己紹介を述べるとチラシを出した。ここまでは僕と同じだ。どう出る?まさか何の芸もなく「間に合ってます」で打ち切るのか。耳をすましていると奥様の声が聞こえた。「申し訳ありません…」セールスお断りという通俗的な意志を感じさせない澄み切った声だった。何が起こっているのか。僕は物陰から見た。奥様の後ろ姿が見えた。彼女は腰の高さにあげた両の手のひらを上に向けていた。落ち着き払った雰囲気。それから彼女は「申し訳ありません…今はこのような場所に住んでいますが…」と声に悲痛の色を含ませて言うと「私が神です…」と続けた。時が止まった。「私が神なのです…」使徒たちが息を飲むのがわかった。気が付くと彼女たちは退散していた。結婚して8年になるが、まさか神だったとは。残念ながら僕には「私が神です」と言える精神的な強さはない。手本にならない。普通は無理だ。とすると本当に奥様は神なのだろう。そりゃ俗世界の底で生きる平々凡々な人間である僕とレスになってしまうのも納得なのれす。(所要時間22分)

9月27日に本が出ます。

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。