Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

弊社のRPA化が人権意識で吹っ飛びました。

結果から申し上げますと弊社のRPA化は一時凍結ということになった。残念でならない。「管理部門の業務RPA化が頓挫しそうだ」そんな情報が僕にもたらされたのはボスも出席する部門長会議直前3分前。その時点で僕に出来ることは何もなかった。出来ることといえば、昨年ボス自らブチ上げた方針なので計画が予定通りいかないのであれば、担当者の変更、計画の見直し、ボスの気分ケアのための社内接待、等々面倒な事態になるのは間違いなく、その面倒の嵐に巻き込まれないように気を付けることくらいであった。きっつー、と口にしつつ、その時点では計画自体が頓挫するとは夢にも思っていなかった。


RPA化に反対している管理部門が意識高めのコンサルを参謀役に付けたのは知っていたが「また、いつもの論議が繰り返されるのか」と気が重くなってしまった。それは「管理部門の事務処理や入力作業の自動化が管理部門のリストラに繋がるのではないか」という疑念から発火した議論。雇用と条件は確保する。自動化することによって単純作業から解放される労力と時間を割いて、新たな仕事、よりよい環境をつくってもらう業務に従事してもらう。それが弊社のRPA化の基本方針である。仕事は奪われるのではなく、変わる。だからRPA化がリストラに繋がるは彼らの杞憂にすぎない。そのことを丁寧に説明をして粛々と進めればいい。僕は楽観的にそう考えていた。そうなるはずであった。

RPA化に反対する管理部門は「人権」という言葉をつかってきた。「RPA化は働いている人間の権利を奪いかねません!」おお、そうきたか。感心した。一年弱、同じ話を繰り返しているけれども切り口を少し変えてきたなと素直に感心した。それでも僕は、管理部門にとってこそ、事務処理や入力作業をRPAによって軽減すれば、本来取り組むべき仕事に時間と労力を割けるのでメリットは大きいと考えていた。「管理部門ウラヤマシー!」と思ったくらいだ。身分と立場は保証すると言っているのに、信用できないのか、管理部門が念書を求めてきたときはさすがに笑ってしまった。RPA化されてしまう業務以外で会社に貢献できなくても立場だけは守ってほしいらしい。アホか。

ニヤニヤしていたら管理部門のトップから「キミは他人事だと考えているだろう」と名指しで非難されたので「そんなことはありません」と速攻で否定して、単純な作業に従事することがなくなるのに、なぜ反対するのかわかりません、むしろ、喜ぶべきであり管理部門が率先してやってもいいくらいではありませんか?と意見を述べさせてもらった。こなすだけの仕事で仕事をやった気分になられても笑止千万、他人事に決まってるニャロメ、とはモメるから言わなかった。すると彼は「単純作業と雑にひとことでまとめられるのは心外だ」「それにそういう作業を奪われてやることがなくなるほど悲しいものはない」と切り出すと「我々の仕事を侮辱しているし、我々の人権を否定している」と言い、最後に「伝票のまとめかたひとつにも人間性は出てくるものなんだよ…」とご本人は心に響かせるつもりだがまったく心に響かないフレーズでまとめた。大丈夫だろうか。

僕は我慢できなくなって「営業の業務が現実的にRPA化できるのならすぐ検討いたします。新規開発とか地味で地道すぎるのでロボットがやってくれたらいいなあ、って新人の頃から思っていたので。ロボや機械が新規開発を肩代わりしてくれるなら、そのぶんの労力と時間を提案営業のためのヒアリングや商品開発や企画にむけますね。それが本来の営業ですから。汗かいて名刺配るなんて石器時代の営業っすよ」と言った。「もし、キミのいる商品開発や企画もロボットができるようになったら?」と管理部門の人からのクエスチョンには「そこまでやってくれたら本当にラッキーですよね。そのときはまた別の仕事を考えます。具体的にはパソコンの電源オンオフとか…」と返答。

グダグダである。だがこのグダグダもボス事案という絶対に方針転換はないという安心感があったからこそのグダグダであって、おそらく管理部門も方針転換がかなわないのならグダグダすることで己の存在をアッピールしようという思惑があったはずである。僕らはお互いにグダグダに胡坐をかいていたのだ。はっきりいえばこういうグダグダな僕みたいな奴らこそ真っ先にロボットへ変えるべきですよボス!

すると、それまで静観していたボスが「人権は無視できないな…」と言いはじめて雰囲気が一変。「やはり、人を相手にしている商売をしている以上、働いてもらっている人間の権利をいちばんに考えなければならないよな。よし計画は一時とうけーつ!」というボスの軽い一言で議論は終わった。こうして弊社のRPA化計画は、人権意識の前に敗北したのである。そして人権意識の高まったこの会議において、今後社内においては従業員の人権に配慮してボスから平社員まで役職で呼ぶことは禁止され、立場をフラットにして「さん」付けで呼ぶことが決まった。社長を社長をつけずに呼ぶのは、骨の髄までサラリーマン精神がしみついた僕には、はっきりいってやりにくいから、過保護な人権意識はマジ勘弁。(所要時間25分)本を出しました。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

立派に生きるとはどういうことか。

タロウは幼稚園から中学まで一緒だった近所の友達であり、アニメ、エロ本、ロック、原チャリ、マツザカ・キミコ、そんな話ばかりしていたボンクラ仲間であり、周りが年齢を重ねるごとに「いつまでもアニメなんて見ていられるかよ」とつまらねえ大人になっていくなか、逆にボンクラぶりを加速させていったキング・オブ・ボンクラであり、エロ本の大家であり、その小柄な身体から無尽蔵に湧いて出てくる女体への探究心が将来のノーベル賞を期待させた優秀な科学者のタマゴであり、ひとことでいえば地元の巨星であった。多くの神童と呼ばれたクソ生意気なガキが劣化失速して一般ピープルになっていくところ、彼は失速することなくいまだにボンクラで在り続けている。

 しかも永遠に。

 タロウは高校2年の秋、交通事故で亡くなった。前触れなく、あっけなく、ボンクラのまま死んでしまったので、鼻に綿を詰められて横になっている姿を見ても、死んでしまった、という感覚はまったくなかった。今でもない。僕と同じように、加齢臭と年金に悩む中年になっているような気がする。女体に対する探究心が強かった彼が、実戦デビューをしたのかどうかは永遠の謎だ。願わくば、どうか肉体というしがらみのなくなった天国で、楊貴妃、クレオパトラ、マリリン・モンローといった絶世の美女たちを相手に毎晩チョメっていてほしい。

 彼が亡くなったあとも彼のおばさん(お母さん)とは犬の散歩でよく顔を合わせた。しみったれた空気になるのがイヤだったので、こんにちは、さようなら、のカタチだけのやり取りで終わらそう、という企みはうまくいかなかった。ウチで飼っている犬の名前もタロウでそれがどうしてもトリガーになっていたのだ。また犬のほうのタロウも、同じ名を持つ亡き友に忖度したのだろうね、決まって絶好のタイミングでオシッコを電柱ジャーするものだから逃げられなかった。

 おばさんは会うたびに「立派になって~」と僕の肩を叩いた。高校生、大学生、社会人、その時代時代の僕の肩を「立派になって~」と笑いながら叩いた。強く。バンバンと。何回も。おばさんは僕の成長する姿とタロウ(人間)が成長した姿とを重ねているのがわかった。仮にタロウ(人間)が生きていてもおばさんは「立派」とは言わなかっただろう。僕も母親からは「育て方を間違えたわ~」と嘆かれることはあっても立派と誉められたことはない。

突然の事故で命を落としてしまったからこそ、普通にぼんやりと生きているだけでも、おばさんから見れば「立派」なのだ(このエピソードは前に書いた)。こんな哀しく響く「立派」を僕は知らない。「立派よ立派ね」に僕が「たいしたことないっすよ」と謙遜しても、おばさんは「たいしたことないけど立派よ~」と褒めてくれたけれども、いくらなんでも適当すぎやしませんか…。

 おばさんはいつも明るかった。ただ何かのきっかけで たった一度だけ「こんなことは言えないけれど」と本音らしきもののカケラを漏らしたのを僕ははっきり覚えている。おばさんは笑って誤魔化していたが、僕はかなり長い時間、「こんなことは言えないけれど」に続くフレーズが気になっていたけれど、いつしか忘れてしまった。

 タロウが事故ったのは29年前、1990年11月、平成の即位礼正殿の儀がおこなわれた日だ。その日は事後、祭日にならなかったので、その年一度きりの休日だった。その式典の最中にタロウは原チャリで停車していたトラックに突っ込んだのだ。事故の報せを受けたときのテレビ、ラジオ、新聞、世の中すべてがお祝いムード一色を僕は今でも覚えている。平成から令和へ。時代が変わったタイミングで僕はタロウを思い出してしまったのは、そういう理由があったからだ。

 昨日。令和の即位礼正殿の儀が行われた日の朝。僕は、めちゃくちゃ久しぶり(おそらく27~28年ぶり)にタロウのお墓参りに行くことにした。平成の即位の礼は11月だったので命日より1か月ほど早い。だけど僕にとっては、昨日がもうひとつの命日に思えてならなかったのだ。29年前、たった一度きりのあの休日。朝。胃薬を飲み祝賀ムードのテレビを消して墓地へ。ガチ命日を避けたのは、おばさんとばったり会ってしまうのを回避するためでもあった。おばさんは僕と会ったら「立派!立派!」つって肩を叩いてしまう。だけど、命日くらいは立派という言葉の向こうにある僕を透かして見ている中年になったタロウではなく、ボンクラでどうしようもなく、いい奴だった16歳の素のあいつと対話して欲しかった。

雨上がりのお墓には誰もいなかった。予想通り。でも、そこにはまだ煙を出している線香と真新しい赤い花が供えられていた。予想外。おばさんも僕と同じだと気付いた。おばさんの「こんなことは言えないけれど」のあとには「あの日が休日じゃなかったら」が続いていた。線香と花が証拠。おばさんは「29年前、もし、たった一度きりの休日がなかったら」というどうしようもなくやりきれない「もし」を抱えて生きていた。立派立派と僕の肩を叩いてはいたけれども、あの立派は自分自身に言い聞かせている言葉のように今は思えてならない。どうにもならないことにも負けずに毎日を立派に生きている。そんな意味が立派には込められていたのではないか。普通、平凡、しょうもない。立派からは程遠い場所で立派にとりあえず生きている。僕もあなたも。それだけでいいし、それ以上もない。(所要時間30分)

先日、人生についてのエッセイ本を出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

「安易な値下げは己の価値を下げているだけ」という話をしたけど各方面で聞く耳を持たれませんでした。

昨日、昼食を買うために訪れたコンビニで競合他社の営業マンに会った。何回かコンペで顔をあわせるうちに、情報交換をするようになった人物で、年齢は僕と同じ。挨拶をして「最近どうよ」的な軽い話のはずが「仕事のやり方」という少々ヘビーなものになってしまう真面目な僕ら。彼は、採算が取れるギリギリか、もしかしたらアウトまで(推測)値引きをして商談をすすめることがよくあった。僕は「おいおい大丈夫かよ」と笑っていたけれども、とある見込み客との商談の中で、彼の会社安すぎない?、という話題になった。そして、彼のヤバい値引きのおかげでウチの業界自体の価格帯がヤバいレベルまで下がっていると思われていることを知った。ウチは違う。あそこは特別なんです!僕は自分の利益のために釘を刺すことにした。

「安易な値下げっていうのは営業マン自身の価値を下げているのと同じ。業界自体の価値をあげていかないと疲弊するだけっすよ。営業の仕事は商品やサービスの価値をアピールして高く売ることではありませんか。値下げ競争は、血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」すると彼は、「フミコさんて理想主義者だったんですね。超意外。血を吐くマラソンなんて詩的ですね」といって聞く耳持たずな様子であった。僕はリアリストだ。「値下げ競争やめよう」は理想どころか、儲けるための現実なんだけどな。血を吐くマラソンは、詩的ではなく、ウルトラセブンなんだけどな。

「安い」というブランドイメージを持たれるのは、いいことばかりではない。目前の目標達成にとらわれすぎると大きなものを取り逃すというリスクもある。実際、件の見込み客は多少値段は高くても良いものを求めていて、安いイメージをもたれている彼は、土俵に乗せてもらえるか微妙であった。営業の最前線での実感だけれども、「多少値段は高くても…」という要望をもつクライアントが年々多くなっている。まあ、僕に迷惑がかからない程度に値下げ競争をして頑張ってもらいたいものだ。これは信じるものの違いであり、どちらが良いとか悪いとかという話ではない。商品やサービスの価値を上げて、それに応じた適正な値段を設定し、提案する道が僕は正しいと信じているというだけのこと。そしてそれが営業の価値だとも僕は思っている。仕事上の自分の価値くらい自分で決めたいじゃないか。

家で、血を吐きながら続ける悲しい営業の話をしたら、奥様も「私もそう思う」と同意してくれた。「どう考えても消耗戦で勝者はいないよね。誰も幸せになれない」と言ってくれた。「勝ち取っても虚しくなるだけだよ…」と言いながら、これならイケると確信して、「だよね。同じように僕のこづかいを下げ続けることも血を吐き続けるような悲しいマラソンだよ。もうやめないか。こんな誰も勝者のいない戦いは」と僕は続けた。 

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すると奥様は、「そうね。こんな不毛な争いは一秒でもはやく終わらせない」と言うと「それはそれ!これはこれ!」と声をあげてこの虚しい争いにフルパワーで終止符を打ったのでございます。きっつー。(所要時間17分)「人生をサバイブ」をテーマにしたエッセイ本を出しました。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

 

想像できないほどの長いお別れに胸が詰まった。

パソコンを開いて仕事マシーンになっていた僕の隣席に客がやってきた。画面から目を離す。大人3人。80代の夫婦と思われる男女(男性は杖をついている)と僕より年上、見たところ50代後半の息子と思われる男性。黄色いジャンパーがカッコいいぜ。平日の夕方。大きな駐車場のある郊外のコメダ珈琲。「自営業の息子が足の不自由な両親を車に乗せて連れてきたのだろう」と勝手に、今の日本ではめずらしくない情景を推測して、僕は仕事マシーンに戻った。 

つまらないエクセルファイルの彼方から聞こえてくる彼らの会話に違和感を覚えるのにそれほど時間は要らなかった。会話が子供を相手にしているような内容なのだ。うるせー。仕事してんだよ。つか子供いたか?違和感の正体を突き止めようとアクビをする真似をしてチラ見する。子供はいない。お父さんが痴呆で子供に戻りつつあるのかな、いい息子さんで良かったね、と結論付けるがどうもおかしい。どう聞いても若い両親が子供に話しかけているような調子なのだ。「今日どうだった?」「そう!良かったねえ」と話しかけるお母さんに「うん」「そう」と大きな声で応じる息子。彼は障がいを持っている、大きな子供だった。 

年老いた両親に障がいのある初老の息子。お金持ちには見えない。大変だなぁと彼らの今後の幸運を祈りながら画面に意識を戻す。だが、気になってしまう。彼らの会話に暗い影はなく、むしろ生き生きとして楽しそうだったからだ。息子が「今日はどこどこで誰々と何々をしてきたよ」と話すと嬉しそうに「そう!」「今日は良かったね。そう!」と答えながら、楽しそうに優しい質問を返すお母さん。珈琲を飲みながらうなずくお父さん。お母さんも「今日はどこどこでお父さんと何々をしていたよ」と息子に話しかけていた。「シロノワール美味しいね。珈琲おかわりしていい?」とズレた返事する息子。「お腹壊すぞ」と笑うお父さん。 

僕は一瞬でも、うっせー、と思った自分の小ささが恥ずかしくなった。この人たちは、こうやって何十年も生きてきたのだ。今日は何をしたよ。今日は良かったね。今日は。今日は。今日は。そうやって小さな今日をひとつひとつ積み重ねながら。良くなかった今日も、うまく行かなかった今日も、たくさんあったはずだ。それでも良かった今日を確認しながら何十年も歩いてきたのだ。こうやって3人で。 

話のトーンが変わったのはお母さんが週末の予定について切り出したときだ。高齢のご両親は同じ年代の仲間たちと日帰り旅行をするのが趣味で長年グループの幹事をつとめてきたらしい。彼女は言った。「お母さんね。今度の旅行で最後にしようと思うの。だからお別れのつもりなの」。そこのスーパーまで買い物に行ってくると言っているような、特別なことは何もないよと言うような穏やかな口調だった。「お父さんとみんなにお別れしてくるからね。分かるよね」

この二人は息子にお別れを教えているのだと気付いた。いつか、そう遠くない将来、先にいなくなってしまうであろう自分たちとのお別れをちゃんと息子が出来るように。僕が想像できないような長い時間をかけて彼らは大きな子供にお別れを教えてきたのではないか。ひとつひとつささやかな良かった今日を数えながら、長い長いお別れを教えている親の気持ちを想像して僕は胸がいっぱいになってしまって、スマホをいじったり珈琲を飲んだりしてる息子にムカついてしまう。「お前何か言えよ」と。勝手だ。僕もこんなときに言うべき言葉を見つけられないのだから。 

「お母さん!」大きな息子が声を出した。彼は「お父さん、お母さん!おめでとう!よくできました!」と続けた。向かいに座るお母さんが手を伸ばして息子の手に触れるのを僕は見た。老いた二人の目もとに涙がたまっているように見えたが確証は持てない。涙が邪魔をしてぼやけて何も見えなかったからだ。彼らが去っていった後も仕事にならなかった。勘弁してくれよ、今日を大事にしたいと決めたばかりなのに。(所要時間22分)

本を出しました。生きることをテーマにしたエッセイ集です。ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

20年営業という仕事をやってきて近いうちにこの仕事はなくなると思った。

「仕事を断るのも営業の仕事」と常々言っているけれども、それが言えるのもノルマや目標を達成しているからこそだ。もし未達成ならただの言い訳になってしまうからだ。だが今期の見通しは、目標達成ギリギリといったところ。僕の力不足もおおいにあるけれども、営業という仕事が変わつつあるのではないかという言い訳めいた考察をしてみるのがこの文章の目的である。

20数年前、新卒で営業という仕事をはじめた当時、社内で「営業サン」と呼ばれるのがイヤで仕方なかった。「サン」には「作る側の思いも知らずに商品やサービスを売ってくるだけの存在」という意味がたっぷりと入れられているのがわかったからだ。同僚たちからなぜそんな扱いをされるのか当時はわからなかった。だから、サンと呼ばれないよう、売ってくるだけの営業にならないのが個人的な目標になっていた。社内でうまくやりたい、というよりは、そうしないと営業として生きていけない、と思ったのだ。同時に、根拠はなかったけれど営業という仕事は今後30年くらいは存在し続けるという楽観もあった。

そんな僕の予想よりも営業という仕事は早い時期に滅亡しそうだ。数年以内に滅びそう。最近、自分の仕事を通じて強く思う。実際、プライベートでも営業マンに頼るシーンは少なくなっている。事前に商品のウェブサイトや口コミ、レビューをチェックすれば、自社商品を売り込んでくる営業マンに惑わされず、客観的に商品を選べる。実際、僕も車を買い替えるときに営業マンの話をまともに聞かずに買った。そのせいで納車翌日に新型が発表がなされるという悲劇に見舞われ、奥様から「アホバカマヌケ」とお褒めの言葉をいただく結果になったけれどね。

半年ほど前、春の日に、スーツ姿で野山を駆け上がった。今、勤めている食品会社でも営業職で、新規開発営業が主な仕事ではあるが、クライアントが望むもの(売るもの)をそろえる(買ってくる)仕事の比重が年々大きくなっている。その流れの中でクライアントからの「山菜や自然食品の扱いは?」という要望に応じるため、山菜の生産者さんと会うことになった。僕は自分が関わる商品の生産現場には必ず足を運ぶようにしている。「営業サン」と揶揄されるのは二度とごめんなのだ。

食品工場っつうから郊外にあるかと想像していたら山だった。つかガチ野山。道なき道。ウサギ追いしカノヤマ。革靴をドロドロにしながら生産者さんについていき山の頂きに達するとそこに粗末な工場が、と思ったら、ない。なんにもない。謀ったなこのジジイ。と憤りかけていると、彼は「今、通ってきたところ全部が私の工場です」といったのだ。最高のセールストーク、プレゼンテーションだ。

「ガチ野山を最低限の手入れだけしている/シーズンは毎日登って採取している/大変だけど楽しみにしている人がいるからね」と彼はつづけた。僕は考えた。もし、彼のつくったものを営業が売り込んだら。「産地直送。私が育てました(顔写真)。健康!」みたいなありふれた文句になってしまうだろうと。「ガチ野山を毎日わたし自身が登って採っている。楽しみにしてね!」というストーリーはご本人が語るからこそ価値があって、誰かが間に入ったら価値がそこなわれてしまうと。僕は「ご自分で直接売られたほうがいいですよ」とアドバイスしていた。わからないことは教えますからお気軽にご相談くださいと。

実際にものを作っている人の言葉は、多少拙くても、重い。以前はそれを届けるのが営業の仕事だと思っていたが、今は、ダイレクトに生のまま伝えたほうが伝わる。結局のところ僕のような営業はものを作っていない。残念だけどどこまでも「営業サン」なのだ。確かに売ることに慣れてはいる。だけどそれだけ。今はネットなどで生産者が直接発信できるし、その情報に比べたら、気の利いた宣伝文句や営業テクなんて些末にすぎない。極端な言い方をすれば、営業があいだに入らないほうが商品が売れる場合もあるのではないかと、自分の職業を否定するようなことも最近考えてしまう。結局、ガチ野山の生産者さんとは契約しなかった。後悔はしていない。生産者さんをクライアントに紹介して、直接、商売をしてもらうようにした。ウチには一円も金は入らなかったけれども、両者から感謝してもらっているようなのでよしとする。これが投資になって将来的に寄与してくれればもうけものだ。

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ノルマや目標を達成できない営業はいらないが、売るだけの営業はもっといらない。セールスよりコンサルかアドバイザー的な役割が今よりも強くなって、極端な話、自社の商品やサービスを売ることにとらわれないようになるのではないか。コンサルとは第三者と当事者という部分で差別化が図られるだろう。売る側と買う側のニーズを当事者の立場で見て最適解を見つけることが営業職の仕事になる。今はノルマ=売上の営業マンが多いけれども、ノルマの意味合いも変わってくるのではないかな。たとえば「役に立った」ポイント制みたいな(ネーミングセンスなくてすみません)。管理職としては、長期的にみて、営業マンがかかわった人の利益を最大化しているかどうかが評価の対象=ノルマになっていくのではないかと予想している。

僕は営業なので営業職の変化について語っているけれども、どの職種も一緒だろう。時代や世の中が変われば仕事もそれに応じて変わる。変化にアジャストしていくのは誰にとっても大変だ。なくなってしまう仕事もあるだろう。だけど、一歩一歩やりきるしかない。やりきっていれば、かならず、今の仕事の隣にある新しいヒントを見つけられる。普通の仕事を積み上げていけば、普通が普通じゃなくなって、そのうち新しいものが見えてくる。きっつーと愚痴ることはあっても、絶望している暇は案外ないのだ。そういうものだろう?頑張ろう。(所要時間32分)

最近本を書いた。このような仕事にまつわるエッセイも収録されてるよ。ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。