Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「人間使い捨て国家」は今、読んでおかなきゃいけない本でした。

明石順平著「人間使い捨て国家」は刺激的なタイトルだが、内容はそれ以上に刺激的である。そして、ブラック企業を容認する国家を糾弾する内容を想像していると(僕はそういう内容と想像していた)、いい意味で裏切られる。なぜなら現在の日本社会全般の問題に切り込んでいるからだ。ブラック企業問題に関心がない人に読んでもらいたい。そういう意味で、今、読んでおくべき本なのだ。

人間使い捨て国家 (角川新書)

人間使い捨て国家 (角川新書)

  • 作者:明石 順平
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/12/07
  • メディア: 新書
 

ざっくりとした内容は、2000年から現在まで約20年間の労働環境にメスを入れながら、今の日本社会の問題点をあぶり出すと共にこれからの日本がどうあるべきかの提言である。ブラック企業と対峙している著者なら、ルポ風にブラックな現場に近いルポも書けたはずだ。そのほうが劇的で告発の色合いは濃くなる。だが本書はあえてそういう手法を取っていない。ブラック現場とは少し距離を置き、データと法と判例から事案を浮かび上がらせる手法を選択している。それが成功している。なぜか?それはブラック企業と対峙する弁護士という立場から淡々と事例を解説するからこそ、かえって悲惨な状況が浮かび上がってくるからだ。そしてそれが相応の説得力を持って出来るのは著者がブラック企業と日々対峙しているからこそだ。とある準ブラック環境で「大変だ~」「死にそうだ~」と騒いでいたフミコ某というクソブロガーとは説得力がまるで違う。

本著で、低賃金と長時間労働がこの国の低迷の原因と著者は断言している。そして安すぎる残業代が残業抑止力として機能していない実態、企業が残業と長時間労働で利益を出す理由、そこから、ここ20年で目にする機会の増えた派遣、コンビニ、外国人労働者、国家公務員、公立校教師、消費税アップという事例が、いかに労働者を搾取しているのかを炙り出していく。ほとんど近年の日本社会の問題を網羅していく様は痛快であるとともに愕然としてしまう。まさに使い捨てである。

著者の指摘はシンプルだ。「罰則が軽すぎる」「努力義務しかない」「そもそも罰則がない」。要するにペナルティがペナルティとして機能していないために強い立場にあるものが弱者を搾取し続ける構造が成立している。そして、その仕組みが強い立場にあるものの手で、強い立場にあるものの良いように作られてしまっていると著者は厳しく指摘している。特に、名前を変えただけ、誤魔化し、抜け道の多さ、財界からの要請で政治が労働者を騙して搾取する政策を作っていく過程には驚いてしまう。一部の人間の利益のために、働き方改革という表向きのスローガンのもとで行われている弱者からの搾取を著者は明らかにしている。

本書を読み終えたときブラック環境に対する怒りが強くなるとともに、目先の利益しか考えていないブラック環境が日本をダメにする主犯という思いが強くなる。日本はこれから人口が減っていく。働き手も減る。労働者を大事にして生産性をあげていくしか生き残る道はないのだ。「命より優先すべき利益などない」「今が異常なのである」著者は形を変えて繰り返されるフレーズだ。これを悲痛な訴えで終わらせてはならない。僕らは奴隷じゃないのだ。(所要時間20分)

子は親の介護をするために生まれてくるのか。

地球が太陽の周りを50回まわる前に自分が生まれた意味を知ることが出来た。生を与えられた意味を知ることも出来ずに、命を終える人も多い。だから僕は内容は別として己の生まれた意味を知ることが出来たという事実を今は喜びたいと思う。

ここ一ヵ月ほど実家に住む母を避けていた。70代後半になる母の介護問題を回避するためである。11月某日。母から「隣の家が滝なのよ。滝なのよ」「隣りの屋根から水が湧いているの」「川が流れている」という連絡があった。海外のレスキュー番組のような鬼気迫る声色。空を見上げると澄みわたるような秋の晴天。赤トンボの編隊はいない。次の秋へ飛んでいってしまっている。秋空を見上げる僕のなかで点滅していたのは介護の2文字。途端に寂しくなった。夕焼、小焼の、赤とんぼ。40年前。幼稚園からの帰り道。一緒に赤とんぼの歌を口ずさんだ母はもういない。今の母は執拗に電話で、滝なのよ、滝なのよ、と繰り返すだけなのよ…。

以来、数週間、実家を訪問しなかったのは、僕が冷血ヒトデナシ男だからではなく、某警備会社のサービスを信頼していたからであり、ただただ介護が面倒であったからである。それでも実家へ行ったのは、将来設計を立てるために、母の要介護度をこの目で確認する必要があったからだ。結論からいうと母はしっかりしていた。宇宙人のようなシワシワの指で母が指した先を見ると、確かに隣家の屋根から猛烈な勢いで水が流れていた。滝のようにという形容は、さすがに大げさだがウォシュレット(中)レベルの勢いはあった。屋根に設置された太陽熱温水器が老朽してそこから漏れている模様。このままでは屋根が腐る。家屋も倒壊するかもしれない。住んでいる老夫婦が心配だ。隣家は低い位置にあるので倒壊しても直接の被害はないが、パジャマ姿で潰れたジジババはあまり見たくない。人として。隣家の老夫婦はどうしたのか、母に訊ねるとジジイは地域の隣組的な組織のリーダー(順番制)を嫌がって北海道に2年ほど仕事で単身赴任するといってから姿を見ないらしい。「バアさんは?」という僕の問いかけを母は聞えないふりスルーした(役所に連絡済)。お察し。

80近くになるジジイが冬の北海道で何をするのだろうか。ババアはまだ人間の形状を保っているのか。床のシミになっていないのか。そんな隣家の問題はさておき、母がしっかりとしていたので僕は安堵していた。安心したのは、母の健康状態に対して、ではなく、介護しなくていい、という己の状況に対してであった。母は鋭い感覚を持っている人である。僕の「こんなに嬉しいことはない。僕はまだ介護しなくていいんだ」という意識の動きを察知して「もし私がボケてもあんたが面倒みてくれるから安心している」と言ってきた。「当たり前じゃないか」僕は相槌を打った。「だよねえ。一所懸命育てたのだから感謝してもらわないとね!私の老後を看てもらうためにあんたを産んだのだから」と母は笑った。本人は冗談のつもりだろう。だが僕は少なからず傷ついていた。そういう意図はあるかもしれない。いやあるだろう。だが、心の中で思っていて、それがどれだけ自分の正直な気持ちであっても、絶対に言葉にしてはいけないこともある。初対面の女性がどれだけセクシーで、心の中で、あーチョメチョメしたいなーと思っても、現実で口にしてはいけないのと同じである。

《親の老後の面倒をみるために生まれた》が僕の生まれた理由。育ててくれたことには感謝している。過度な感謝を表明しないのはそれほど迷惑をかけていない自負があるからだ。メジャーデビューしたラッパーがやたら育ててくれた両親や地域に感謝するライムをしたためるのは、若かりしときに両親や地域に対して暴言、借金、準破壊行為などの迷惑をかけてしまった罪の意識からだろう。ひるがえって僕の場合。両親や地域に迷惑をかけたことがないので、どちらかといえば感謝してるかな…みたいな平均的な感謝になってしまう。平均的な感謝の気持ちしかないが、そういう状況になったら介護はする。しなければいけないし、わりと近年まで紅茶キノコを栽培していたような母だけども僕にとってはたった一人の母だから介護はするさ。だが、しかし、でもさ、親の介護をするのが当たり前と言われて、まあ、当たり前っちゃあ当たり前なのかもしれないが、それを当たり前って断言されてしまうと少しひいてしまうのも事実。だって人間だもの。そして、感謝の気持ちから介護したいと思うようになるのが理想だけれど、親の介護は子供の役目っつう、強制がなければ誰もやろうとは思わないだろう。もし僕が逃げたら?母に訊ねるとそのために弟を生んだという明確な答がかえってきた。強すぎる。覚悟できたよ。

母は老後の面倒を見させるために僕を生んだ。いいじゃないか。どんなものであれ人から期待されて生を受けるのは素晴らしいとポジティブに受け止めたい。生きる意味を見失っている人たちには、あなたたちは親の老後の面倒を見るために生まれてきた、と教えたい。そうやって他人を巻き込んで、このどうしようもない悲しみを薄めていきたい。ちなみに妻からは僕が要介護者になったら財産を没収して即施設に入れると宣言されている。スタンスが明確で大変よろしい。(所要時間28分)

こういう逆境を乗り越えるための、会社員による会社員のための会社員の生き方本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

「それは上司の仕事でしょ」という地獄を僕は生きている。

「部長、あの案件はどうなりました?」「先日のあれどうなってます?」他部署の人たちから質問を受けた。当該案件の結果は先週末に判明していた。結果はバツ。担当の部下氏から「僅差で失注でした」と報告を受けていた。彼の結果報告は「勝つときはいつも圧倒的大勝利」「負けるときはいつも僅差での敗退」の2パターンしかない。旧日本軍大本営発表の悪しき遺伝子はここに生きながらえていた。僕は、頭の片隅にクエスチョンを浮かべながら、「ごめん。ダメだったよ」「申し訳ない。ダメでした」と答えた。彼らは一様に「結果は勝負だからいいんです。でも結果が出たら報告をもらえないと協力できるものも出来なくなりますよ」と言った。彼らの言うとおり。頭を下げるしかない。だが、おかしい。協力してくれた面々への報告がなぜ行われていないのか。僕の頭で点滅しているクエスチョンは、当該案件を担当している僕の部下氏に対するものであった。

提案営業をする際、事前に「こんなサービスを提供したいんだけどオッケー?」という関係部署との調整は必須である。営業が勝手にクライアントに提案し、契約後、「こんなの無理」と現場から突き返されたらおしまいだからだ。社内調整は会社内でいいかっこをするためではない。社内での立場なんてどうでもいい。調整を怠ることで迷惑がかかるのは誰か。クライアントだ。それだけは絶対に避けなければならないのだ。営業は強いようで実は現場をはじめとした関係部署の協力がなければ成立しない弱い部署なのである。だから営業部のミーティングでも他部署との調整は念を入れてやるよう、口酸っぱくいっている。

部下氏は新規開発という面では優秀なのだが、平成生まれのわりに古き悪き昭和の営業マンのような、営業が仕事を取ってきてやってるスタンスで仕事を現場に「投げる」傾向があるので少し手を焼いている。そのような傾向が垣間見られるので、正直いって他部署からは良く思われていない。僕は「現場に足を引っ張られたらいい提案なんて出来ませんよ」という部下氏を、キミねー、それはねー、キミのためなんだよー、つって説得し、手を回して関係部署を集めてミーティングをさせた。ミーティングは、コンセンサスを得るだけでなく、現場の声によって営業の側面からでは見落とした穴が見つかって、大変有意義なものになった。話合いのあと、関係部署からの「取れるといいですね」「吉報を待っています」という声に僕は、結果と報告は部下氏からすみやかにさせますね、と答えながら、営業はこういう人たちに支えられているのだなあ、負けられないなあ、と身が引き締まる思いであった。ミーティングの内容を反映させた提案を営業部でフォーマットにまとめて担当の部下氏に持たせ、「結果が出たら、すぐに関係部署に報告すること」といっておいた。

ところが部下氏いわく「僅差での敗北報告」は僕だけにしかなされていなかった。その結果が僕への「案件どうなりました」の問い合わせ。あれだけ自分の口で、直接、力を借りた人たちに結果報告と説明をしろ、それが次に繋がるんだよ、と親心から言っておいたのに。なぜだろう。嫌がらせか。いや、そんなはずはない。そこまで人は悪くなれない。部下氏に「なぜ結果報告を関係部署にしていないのか」と尋ねた。悔しくて言えませんでした。申し訳なくてどうしても伝えられませんでした。僕はそういう青い回答を祈るような気持ちで待っていた。青くなったのは僕の顔面でした。部下氏は「結果とはいい結果のことを指しているのだと思っていました」とワンダーなことをケロっと仰った。それから彼は「部長には報告を入れました。関係各所への悪い報告は部長がしてくれると私は考えていました。ピンチになった部下をフォローするのは、上司の仕事じゃないですか」と付け加えた。オーマイガー。

「部下をフォローするのは確かに僕の仕事だけど…」とショックのあまりポツポツ言葉を出していると、「ですよね」と追い討ちをかける部下氏。ですよね、じゃねえよ。このままじゃ終らせられないので「そうやって自分の仕事を自分に都合よく定義していると誰も協力してくれなくなるぞ。今回は僕のほうから説明はしておいたけれど次は頼むぞ」と注意をしておいた。「了解しましたー。部長、まるで昭和の営業マンみたいですね」と彼は言っていたので響いているかは疑わしい。部下氏の自信満々な様子を見ていると「もしかして間違っているのは僕の方なのだろうか…」と自信がなくなってくる。(所要時間22分)

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「私にも責任はあります」という偽善について

営業部は「花形部署」「会社の看板背負っている」と持ち上げられることがたまにあって、能天気な先輩やクソ以下のゲロゲロ上司はいい気分になっていたけれども、僕はずっと「バカにされている」と悔しい気持ちでいっぱいだった。《奴ら営業はチンパンだからチヤホヤすればいい気になる》。言葉の裏にそういう本音が垣間見えたからだ。

営業という仕事はスペシャルではない。資格や経験はいらない。慣れてしまえば度胸もいらない。誰でも出来る仕事。それが営業。誰でも出来る仕事ではあるが、続けられる仕事でもない。なぜか。いろいろ要因はあるけれども、突き詰めていくと、孤独だからではないか。積み重ねてきた実績や会社からの評価を取り除くと営業で得られるものはほとんど何もない。仲間もいない。だから自分で自分を客観的に評価して周囲から独立してやっていける人間だけが営業という仕事を続けられる。

そういう一匹狼な要素のせいで、営業以外の人間から「営業は勝手にやっている」「自分のことしか考えていない」と見られることもある。そこから営業を見下している本性があらわれて、こんな仕事を持ってきやがって、じゃあお前が取ってこい、という最悪な関係性になってしまうこともある。僕が会社で取り組んでいるのは、営業マン個人の孤独を軽減すること、そして、他部署(現場)との風通しを良くすること、この2点に尽きるといっていい。

ウチの会社に勝ち続けている男がいる。事業部、つまり現場のトップで先代ボスからの重鎮だ。60歳近くになるはずだが、頭髪は豊か、爪は綺麗、言動はエネルギッシュで若々しい。苦労をしていないだけかもしれない。僕がこの会社に入って2年ほどになるが、彼は問題との距離の取り方が抜群にうまい、完璧なアウトボクサーという印象だ。

おかげさまで会社は堅調(絶好調ではない)であるが、それでも予定された数字の出ていない案件はいくつかある。彼は、そういったビミョー案件に対する感度が鋭い。出来るだけ関わらない位置にご自分を置くのだ。とあるビミョー案件部下に対しては「一応、承認はするけれど、キミたちの熱意をくんでいるだけだよ」といい、渋々ゴーサインを出す。そして期待された結果が出ないと、ボスに対して「私『にも』責任があります。部下の熱意と判断を信じてしまいました」と報告するのだ。

僕は違和感を覚えた。『にも』ではなく「私『に』責任があります」だろう?責任を取るのも上司の仕事。そのぶん多く給料をもらっている。「私にも責任があります」といって、暗に失敗の責任を押し付けながら、己のしくじった「部下をかばっている感」をアッピールするのは僕の考える上司像とはかけ離れていた。社長は賢い方なので、すべてお見通しだと思われるが「次はしっかりやってくださいよ」と言うにとどめてしまうのだ。情の人なのである。おそらく、部下をかばっている人間を責めにくい…と思ったのだろう。

クレイジーなのは、結果的に当該事業部長がビミョー案件の責任を部下にやんわり押し付けつつ、ボスからも部下からも「部下をかばういい上司」という謎評価を得ていること。間違っている。本来の責任を放棄して、部下をかばっている感で補充しているだけなのだから。僕はそういうふうに彼を評価していた。

先月、営業部からチャレンジ要素の強い案件を事業部に持ち込み、彼にその承認をもらおうとしたのだが、おそらく彼のビミョー案件レーダーが反応したのだろうね、「確認する時間がない」「あとで承認はするからウチの部下と進めてくれ」というアウトボクサースタイルを持ち出してきた。彼のペースにあわせていたら時間がなくなるので、仕事はすすめた。残念ながら、当該チャレンジ要素強め案件は始動直後、割りと大きな問題に直面してしまった(その後解決)。

事業部長とボスに報告にいくと、彼は「営業部の苦労と熱意に押されてしまいました。時間がなかったとはいえ、私にも責任があります」と言った。また『にも』すか。ファインディング・にも。いやいやいや。あんた現場のトップでしょ。そうやってこんだあ営業部に責任を押し付けて、踏み台にするつもりなのか。やらせはせん。僕が「私に責任があります。熱意なんてありません」と言うと、傍らに立つ彼がすげえイヤな顔をするのがわかった。ボスが彼に「確認する時間は本当になかったのですか?」と尋ねると彼は「申し訳ありません。時間はありませんでした」と答えた。ボスが発言をうながすように目線を僕に寄こすので「先月1ヵ月間、時間はありました」とありのままに答えておいた。それからボスが「1ヵ月も時間があって計画を確認しないのは責任者としてダメでしょう」と〆て話は終わった。

社長室を出て彼から「営業サンは勝手に仕事を持ってきて気楽でいいねえ」と言われたので「それが営業ですから。部長『にも』ご理解いただけて良かったです」と「にも」で返しておいた。営業は孤独だ。(所要時間26分)

会社員による会社員のための会社員の生き方本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

仕事上の右腕が爆誕した。

僕の「右腕」を探す旅も、ようやく終わる。ボスからは常々「部下に落とせない仕事を任せられる右腕を作り、それによって生まれる余裕をつかって新しい仕事を考えろ」と重圧をかけられていた。これは「既存の仕事ではない新しい仕事で存在価値を証明し続けろ」という厳しい注文であった。(書いてた→「仕事を任せられる存在をつくれ」「部下に仕事を落として楽をしろ」の本当の厳しさがわかってしまった。 - Everything you've ever Dreamed)

このたび、募集をしていないのにもかかわらず、勝手に僕の右腕に立候補してきたのは「生活が苦しいので給与を上げてほしい」とことあるごとに訴えてくる年上部下のMr.ワークライフバランスである。僕から発信されている「右腕欲しいの~」という電波を受信したらしい。トイレの個室で「仕事、誰かに任せられたら嬉しいな…ぐおおお!」とふんばりながら呟いていたのを盗み聞きされたのかもしれない。

 彼の右腕デビューは鮮烈であった。昨日のミーティング。これまでのミーティングではノルマを着実にこなすデキル同僚を前に影のごとく沈黙していた彼が、頼んでもいないのに突然、太陽のごとくピカピカ存在感を発揮しはじめたのだ。ミーティングの内容は、先日の部長会議における決定事項の連絡。才能を発揮できる余地はない。だが、彼はやり遂げた。やり遂げてしまった。

おはようございます。おはようございます。挨拶から連絡事項へ時間を無駄にしない流れ。完璧だ。僕が「昨今の人不足の影響で、現場における募集費が予算を越えていて…」とはじめると「なるほど!」と彼は遮り、それから「つまり今後は募集費を抑制するために新規営業の目標を下げるのですね。みんな分かった?」と言った。ちげーよ。「違います。募集費は増えているけれども、それを見積と提案に反映させるだけであって、絶対に営業目標は下げないからよろしく頼みます」と僕は訂正した。目標を下げるのはノルマ達成が厳しい彼個人の願望だろうか…と一瞬、悶々する僕。すると彼は「つまり営業部としては、その問題を深く考えなくていいということ。みんなわかったね!」とまとめた。だからちげーよ。話聞いているのか。どこが「つまり」だ。まとめになっていない。周りも「いつもは影なのにどうしたんだ?」「おかしくなったか?」と動揺を隠せない。粛々と次のトピックへゴー。

「次は賞与の支給日ですが、例年…」と僕が始めると「あっ」またも彼が遮って「12月の第一金曜日ですね!」と間違った情報を被せてくるので「昨年まではそうですが今年は木曜になります」とわざわざ訂正。嫌がらせだろうか。「それから健診は今月中に」と僕が言い始めるや否やまたも遮る彼。「いい?今月中に受けないと受診できなくなるからね」ちげーよ。「違います。来月いっぱい受けられるけど、出来る限り今月中にお願いしますね」 。そんな感じに微妙なタイミングで僕の話をシャットアウトしては、滅茶苦茶な解釈で「まとめる」「言いかえる」「たとえる」。この連発。ほとんど軽いテロである。きっつー。

僕は管理職として試されていると考えた。そう思わないとやってられなかった。その後も「年末年始は」「正月ですね!」やめて…、「今四半期の目標達成率は…」「みんな引き締めてな」邪魔しないで…、「例の大型案件ですが…」「残念でしたー!でも我々は諦めない」お願いだから…、「来期に繋がる案件を育て…」「言うまでもないけれど来期は今期が終わったあとだからね」やめてー…。という調子で微妙タイミングのクソリプで彼はミーティングの進行を妨害し続けた。年末年始は正月に決まってるだろが。来期は今期の次だろうが。ダメな副官気取りで、僕がデスラー総統だったら、大ガミラスの名にかけて宇宙空間に放り出していただろう。

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ボスから与えられた「右腕をつくれ」というミッションを僕は甘く考えていた。ボスは全部見通していた。だから彼は、時折思い出したように「右腕をつくるのは大変だからね」と僕に声をかけてくれていた。まさかこんな形で右腕があらわれるとは…。「もっと役に立つミギーが欲しい」と僕は願った。これまで数多のトラブルを生き抜いてきた僕がそう強く願ってしまったのは、ミーティングのあとに彼が「話し合いを充実させるために、あえて却下される対案を出し続けました。どうでしたか?」とドヤってきたからである。どうやら僕の右腕を探す旅路は地獄へつながっているみたいだ。まあ、人生なんてこんなものかもしれないね。ヨシ!(所要時間20分)

会社員による会社員のための会社員の生き方本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。