Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

パオパオパッパッパのパオーン


 夏を迎えるというのに昨年1月からのインポが治る様子がなくて半袖の俺は少し焦り始めている。寝ても覚めてもインポ。ポーポポポポポポーポー。俺は追い詰められている。背が高い。顔がいい。そういった俺を形容する身体的特徴のひとつとしてインポを捉えるようなスタンス、或いはゆとり教育的見地から勃たないのもこれ個性とみなすような諦めの境地、すなわちインポ的悟り、もしくは解脱フロム勃起に俺はまだ達していない。だから薬、診察、断酒、イメクラ「電車でGO!」、快楽天、BOMB!、綾波レイ、○ー○○○○。思い付くかぎりのすべてを俺は試し、破れ、枕を濡らし続けている。インポテンツ。ED。これらの言葉の発音に内包されているどこか明るく、おかしげで、間の抜けたトーンがインポの問題の焦点をずらし、解決の障害になっている。インポなんですか、大変ですねとそう親しくない淑女は言う。だがその声色はどこか人を馬鹿にしている風情で、俺がTSUTAYAの店内に消えるや否や電柱の影からインポのくせに人並みにレンタルなんて、と嘲笑い、写メで撮った俺の小さい背中を見て見てインポが歩いている、などという卑劣な文面と共に友人に散布していたのだ。また、ある淑女は、まあインポなんて…性欲から切り離されて、なんて、ああなんて清廉なのでしょうと白の手袋で口を隠して上品に言う。その表情は制限速度五十キロの国道を三十キロで走る国産車を指差し、まあなんて安全運転なのでしょうと小馬鹿にする表情に酷似していたのだ。またある歴女は、凄い、インポなんて、と一瞬絶句し、ホモでアル中の上杉謙信公の生まれ変わりですうービシャモーンテーン!などと俺の悩みなど知らずにはしゃぎだす始末。つまりインポに非ざる者が、インポという言葉からインポの深刻さ、切なさ、やりきれなさ、後ろめたさを伺い知るのは不可能なのだ。インポは孤独だ。砂漠だ。だが悪いことばかりでもない。俺はまだ絶望してはいない。真夏の朝の満員電車、暴力的に短いスカートの女子高生グループに包囲されても、凶悪なホットパンツをはいた発情OLと密着しても、或いはシートに座って居眠りをし淫夢をみても、俺の両の足のあいだにあるクラリネットは悠然と眠ったままで、ガウォーク体勢をとらずにぎりぎりと歯軋りする雌の性獣を尻目に、超然と退場できるのだ俺は…僕は…私は…。そして改札に向かいながら俺はインポを理解するフリをするクソのすべてを憎悪するのだ。憎悪しながらも心優しい俺は問いかける。その慈愛が真実ならば証をみせてみよ、と。お前らの偽りの慈愛で南青山にインポ喫茶を建てられるか?レジスタンスとなってインポネシアを建国できるか?と。自動改札を抜けた俺は自然と笑いはじめている。勝利の笑みだ。俺は歌う。祝福の、官能の旋律を。両の足のあいだに悠然とぶら下がっているクラリネットの歌を。「ぼくの大事なクラーリネット。パパからもらったクラーリネット。とってーも大事にしてーたーのにー壊れて出ないおとーがーあるー」。俺の、壊れてE音とD音が欠落したクラリネットにお似合いの歌。オー!パッキャラマードーパッキャラマードーパオパオパッパッパ。俺のクラリネットが巨象として再生しパオーンするそのときまで、俺はこの歌を歌い続ける。