Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

延命するか?と祖父に訊いた。


三つ子の魂百までというが小学生のころ僕のまわりで噂されていた「死んだ人間は火葬されるときにショックで棺桶のなかで生き返るが気付かれずに焼かれてしまう」という話は、当時近所に住んでいた背の高い女の子が突然病気で亡くなってしまった事実によって補強・増幅され、考察や検証もされずに僕のなかでほとんど恐怖そのもののようになっている。自分の声が届かない、意思が届かない、暗黒の恐怖だ。今日、祖父に延命措置をとるかどうか訊いたとき、そんな恐怖に関する古いエピソードを思い出した。


 祖父は年末に体調を崩して入院していたのだけれど、今日は点滴が外れ、ものが食べられるほどに回復した。とはいえ心不全と肝不全を起こしている明治生まれの祖父の身体が過酷な手術に耐えられるわけもなく僕や親族はこのままゆっくりと弱っていく様子をみていくしかない。それが突きつけられている現実だ。ものが食べられるようになった勢いそのままに僕を相手に祖父は三十分喋り続けた。家族のことや兄弟でたちあげた会社のことなど。この雰囲気なら…と思い、祖父に尋ねた。「じいちゃん、もしものときなんだけど」「なんだ?」と祖父。「延命…どうする?」。いつもなら間髪いれずに跳んでくる祖父の声が途切れた。たぶんわずか数秒間。だけど長い数秒間。その、短く長い時間のうちに後悔しはじめていた。いつだって大切なものに気付くときには手遅れだ。祖父はいった。「そんな余計なことはしなくていい」。


 それから祖父は勢いを取り戻して昔話や入院生活を面白おかしく僕に話してくれた。面会時間が終わって病院を出て駅前の通りを背中を丸めて影を追いかけっこをするように歩く人たちの流れに入るといよいよ僕の後悔は取り返しのつかないほど大きなものになっていた。延命するかなんて、もしかすると、《拒否》以外の選択肢がない残酷な問いを僕は投げかけてしまったんじゃないかという後悔。頑固で強気な祖父の性格ならそういう答えを出すに決まっているとわかっていたというのに。


 でも、本音は。本音はどうなんだろう。本当は延命措置を希望しているんじゃないのか。僕は祖父を暗黒の恐怖に落としてしまったんじゃないのか?本音は延命してほしいけれどそれ以上に家族への面子や迷惑みたいなものを気にしてしまったんじゃないのか。僕の、呪詛のような、無慈悲な質問によって、ある側面からみれば、僕は祖父を殺してしまったのかもしれない。


 時が経ってしまえば、忘れちまって、自分の若さや未熟さを笑えるときも来るのだろうけれど、今はひとりで、自分の無力さに、泣きそうになる。病室を出るとき僕を気づかって「お前泣くなよ」と笑った祖父の最期にかけるべき言葉を、それが「ありがとう」なのか「おつかれさま」なのかわからないが、僕はまだ見つけられないでいる。


 「愛は死よりも、死の恐怖よりも強い」とツルゲーノフは書いた。もし愛が与えるものならば、出来るかぎりのものを与えてあげたい。僕に、出来るかぎりのものを。僕の与えるものが少しでも祖父の、爺ちゃんの痛みや苦しみをやわらげてくれるなら。遮断機がかんかんと鳴って江ノ電が目の前を横切っていった。浴衣をきた祖父と夏祭りや花火に行った。稲荷にお供えしてあった団子を食べたときに祖父から思い切りしぼられた。初めて江ノ電に乗ったときも祖父は一緒だった。すこし早く下車してしまう祖父をなんとか家に連れて帰って最期を迎えさせてやろうと、今、僕は、思っている。じいちゃんが、百年住んだ鎌倉の、この古い家に。