Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

愛と哀しみのエロ本処理


 部屋のなかで山積みになっていたエロ本を処理することにした。僕にとって、エロ本とはエロ漫画のことだ。ひと昔前ならば、夜中に近所の公園のベンチの下に置いておくと、翌朝にはなくなっていて、需要と供給というか、ちょっとした市場というか、世界があったのだけれど、今はもう誰もいない。マナブもアキラもカズノリもいなくなってしまった。そして僕はまだ残っている。たったひとり。


 「なぜ、漫画なの?写真とか動画の方がいいじゃない」


 そう訊ねられると答えに困ってしまう。愚問だから。逆に問いたい。モデルの趣味やスペックを知りたいか?くだらないインタビューなんて読みたいか?無意味にビーチを走っている姿を見たいか?海は死にますか?山は死にますか?風はどうですか?空もそうですか?教えてください。エロ漫画を否定してみてください。


 僕はただ、純粋にオッパイそのものを愛している。その他の要素は排除したい。出来るだけ。可能なかぎり。引力。重力。垂れ。乳首の色。乳房の大きさ。現実は残酷を突きつける。僕はオッパイのことを考えているときは現実から離れていたい。夢に生きていたい。残酷から目を背けたい。リアリティを排除してオッパイという概念の海で溺死したい。それだけだ。


 エロ漫画の処理の話だった。「本・新聞」ゴミの日に出すのは速攻で諦める。家族や近所に察知されたらゲームオーバーだ。コンティニューなしの。さすがに100冊近くあるので、コンビニのゴミ箱に捨てるのも、職場に持っていってシュレッダーにかけるのも人目につきすぎる。職場のすごい、シュレッダー。アレならそれほど時間もかからないと思うけれど、リスクが高すぎる。仕方なく、部屋の隅に放置したままになっていた手動式シュレッダーで処理することにした。



 分解して一枚一枚シュレッダーに入れていく。先ずは1994年10月ペンギンクラブ8周年記念号。1994年、当時大学3年。13年という歳月に思いを馳せながら、手早くハンドルを回す。ズルズルズル。ハンドルを回すごとに、13年間の思い出の一部もズルズルズルっと裂かれていくようだった。静まった部屋で独りぐるぐる回していると、なんだかエロ漫画を処分するために生まれてきたような、機械の一部になってしまったような、おかしな気分になる。



 粉々になったペンギンクラブの姿。さようなら青春のメモリー。一冊処理するだけで腕が痛い。もう無理。一冊だけで無理。筋肉痛が二日後にでてくるのが33歳クオリティ。僕は、あっさりと全てを処理するのを諦め、押入れに思い出の欠片を詰め込んでヨシとした。こうやってエロ漫画を隠蔽して僕はまた少しオッサンになる。エロ漫画、もう買わないようにしよう。でも、僕にはわかっている。この誓いは破られてしまうってことを。男なんて皆、死ぬまでエロ本と添い寝して生きているような悲しい生き物だってことを。