Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

大佐になりたい


 天に召されるまで、あと何回、こんな夜を駆け抜ければいいのだろう?


 前から気になっていた店に行くことになった。軍装をした女の子が接客してくれる店。「その店、僕のことを大佐って呼んでくれるかな?」僕は思わず幼いころからの願望を口にしてしまう。今回の作戦を発案した同僚は「軍隊だからね、当然だろ。問題ないよ」と屈託のない笑顔で応えた。


   
    ※大佐イメージ


 ミッションには綿密な準備が必要だ。僕は、仕事の合間に店のホームページを見つけ出した。無意味に素早いマウス操作で在籍している女の子のインフォメーションに到達。すかさず電光石火のクリック。モニターは何故か女の子全員の写真がシークレットになっている様子を映し出した。不安になって同僚の元に駆け寄った。しかし同僚は「ははは、当たり前じゃないか。軍隊だからね。軍事機密というやつだよ。本格的じゃないか。僕は俄然やる気になってきたよ」なんて言って笑い、僕の不安などまるで意に介さなかった。


 仕事を終えて居酒屋で景気付けに一杯飲んで、約束の場所へ。右斜め前方を進む同僚はコートを片手に持ち、懐かしいCMソングを歌いながら時折、スキップをしていた。ファミコンウォーズが出るぞ!そいつはどえらいシミュレーション!暦は春だけれど吐く息から白さを抜き取るほどには暖かくはない。空気は冬のものだ。同僚は明らかに変調していた。僕はコートのポケットに手を突っ込んで後から付いていった。ファミコンウォーズが出るぞ!


 「大佐。そんな格好では機動性が失われる。敵狙撃兵から狙い撃たれるぞ」酔いがまわった同僚は手のつけられないモンスターになりつつあった。軍装という悪魔に取り付かれた悲しき化物。ファミコンウォーズが出るぞ!僕は周囲の目を気にして聞こえないふりをした。けれど悪魔の魅力はゆっくりと確実に僕を狂わせていた。店が近づくにつれ僕も一緒にスキップを繰り出していた。誰も見ていないのにムーンウォークまで披露していた。やたらにアイアイサーを連呼していた。ファミコンウォーズが出るぞ!僕らは雑居ビルの地下にあるドアを勢いよく開けた。


 店を出た。女の子が何人か見送りに出てきて猫なで声で何か言っていたけど、僕はぼんやりとしていて何を言っているかよくわからなかった。ただ、夜な夜な形式的に繰り返されてきた言葉と光景のなかに自分がいることだけはよくわかった。僕と同僚は駅に向かって歩いた。僕らの足取りからスキップは消えていた。


 「大佐?何それ?て言われたよ」角を曲がり、店が見えなくなるのを待って僕は言った。「すまない…」同僚の声は消え入りそうだった。店には軍装をした女の子がいるだけだった。普通に若い女の子と飲んでくだらない話をして終わった。僕らの望んだ軍隊プレイはなかった。チェ・ゲバラが着ていたような軍服で身を包んだ普通の女の子がいただけだった。慕ってくる下士官も頼りになる上官もいなかった。


 うつむいて歩いた。浮かれていた自分を恥じた。そのうち繁華街のネオンや灯りが恨めしく思え始めた。僕を照らさないでくれ。そっとしておいてくれ。ひとりにしてくれ。重い雰囲気を切り開いて同僚が口を開いた。「まだリベンジできる。我々は我々の軍隊をつくるのだ大佐。戦況を報告せよ」「任務完了。これより帰投する」「了解…」「…なんか虚しくないか?」僕の問いに答えは帰ってこなかった。それがその夜、僕らが交わした最後の言葉になった。すこし時間を置いた今だから断言できる。僕らは惨めな敗北者だった。


 一人になり夜道を歩いた。ひっそりとした住宅街を歩いた。信号で止まり夜空を見上げた。もう春の星座なのだろう。知らないうちにオリオンの居場所はずいぶんと変わってしまっていた。星の光は、あの店にいた女の子のイヤリングを思い出させた。いらっしゃいませ。お仕事何しているんですか。トシいくつですか。彼女いないんですか。信じられない。ウソー。アタシもドリンク貰っていいですか。すみませーん。キャハハハ。趣味なんですか。ボトル入れちゃう?ジョニーデップ超好きなんです。休みの日とか何しているんですか。腕細ーい。彼氏なんていないですよ。バリか沖縄に行きたい。彼氏出来なくて困ってます。腕時計どこのやつですか。休みの日はWiiフィットやってます。30代っていいですよね。ストライクゾーン。餃子食べるのこわい。実は大学生なんです。名刺もらっていいですか。えー延長しないの。また来てね。絶対来てね。


 …やめてくれって叫びたかった。そんな話は聞きたくなかった。僕は日常を忘れたかった。仕事を終えてまっすぐ部屋に帰るだけの日常を忘れたかった。日常から切り離した会話がしたかった。ほんの僅かな時間でもいいから。他人からみたら馬鹿みたいだろうけど、忘れさせてくれる時間が欲しかったんだ。大佐と呼ばれる刹那な時間が欲しかっただけなんだ。少しだけ僕の妄想に付き合って欲しかっただけなんだ。ほんの少し。ほんの少しだけ。それは法外なたいそれた願いなのだろうか。許されない願いなのだろうか。ただ一言。「大佐」と呼んでもらうというのは。


 明日からのことを僕は思う。同じ時間に起きて、同じ電車に乗って、同じデスクに座って、同じ仕事をして、同じ時間に部屋に帰り、同じ時間に布団にもぐる自分自身の姿を思う。やりきれなくなりもう一度あの店のことを振り返る。なんべん振り返っても僕の望むものはひとかけらもなかった。アーミーズ。偽りの軍隊。<追記>


アンサー日記を頂戴した→「大佐へ」 http://d.hatena.ne.jp/stilllife/20080301/1204358935