Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

僕らは毎日チェリオを飲んでいた

 商談はうまくいかなかった。不発弾を抱えたような心持ちで地下街から出ると霧雨が街を覆っていた。むししとした湿気から逃げ、飛び込んだ先はゲームセンターだった。ネクタイを緩め、空調の効いた空気を襟元に入れながら周りを見渡した僕は久しぶりに訪れた「ゲーセン」の様変わりに驚いた。二人組の女の子やカップルがいるなんて。


 僕と西ヤン。僕らは悪友だ。「悪友」の上に「ワル」と格好のいいルビを戴冠させたいけれど、どう贔屓目にみても僕らはただのボンクラだった。正義感と想像力だけが暴発していた。「10年後の1999年に世界は滅びるというのに何で皆は平気な顔をしていられるんだ!」という壮大かつバカな熱意だけで「二酸化炭素友の会」を結成し、授業をサボって校舎裏の樹木にハーハー息を吹き掛けているところを発見され体育教官室に羽交い締めでひきずりこまれたりしていた。意味のわからないままに聴いていたフランク・ザッパの音楽が僕らを突き動かしていたのかもしれない。


 僕らの雨の日の居場所はゲームセンターだった。20年近く前、神奈川の田舎でお金もなく、ガールフレンドもおらず、スポーツも勉強もやらず、不良になるのも面倒くさかった高校生に屋根と空調を提供してくれる場所はゲームセンターしかなかった。もっとも僕と西ヤンは「愛読書/ゲーメスト」と宣言できるような立派なゲーマーではなかった。僕らは登場から何年か経過した古いゲームを愛した。お気に入りは「グラディウス」と「ドラゴンスピリット」。西ヤンはいつも僕より先に来ていた。


 あの日も西ヤンは僕より前にゲーセンに来ていた。当時、「置き玉」という約束事があった。硬貨をゲーム台の上に置いて順番待ちをするというルールだ。ルールに則って硬貨を置き、誰もやらなくなってしまった「ゼビウス」の前にぽつんと置いてあった丸椅子を旧友を家に迎え入れるように持ってきて座り、西ヤンが遊ぶ様を眺めていた。グラディウス


 雨の日の大半をグラディウスに費やしていただけはあって西ヤンの腕前は相当のものだったと思う。飄々と自機をパワーアップさせてステージをクリアしていった。僕はチェリオオレンジを飲みながらぼうっと眺めていた。一切の無駄を排した操作は美しかった。いつの間にかギャラリーが集まりだしていた。西ヤンの完全試合を見届けるボンクラの群れ。


 1周目を軽くクリアし2周目の第5ステージに突入したとき、西ヤンが突然大声を出した。「俺がグラディウスで人生を教えてやる。みんな、よく見てろ…」いい終える前に奴は自機を敵にぶつけて自爆させた。再開。二機目発進。ノーマル装備の西ヤンを弾幕が襲い掛かった。鈍い動きで弾を紙一重で避け、敵を撃破していった。一機、また一機と。


 西ヤンが何かを伝えようとしているのがわかった、僕はチェリオの瓶から口を離した。大事なことを伝えようとしている姿勢に少しでも敬意を払おうと思って。西ヤンは「諦めなければなんとかなるんだ…」とゲーム画面から目を逸らさずに呟いた。傍らで座っている僕だけにしか聞き取れなかったと思う。健闘虚しく二機目が弾幕に消えた。


 三機目の西ヤンは十秒でやられた。ゲームオーバー。ボンクラの群れの興味が急速に離れていくのがわかった。僕もチェリオの瓶を再び口につけた。甘すぎるオレンジ味が口の中に拡がっていった。「俺たちだって…」西ヤンの低い声が響き、皆の注意が西ヤンに向けられた。「諦めなければなんだってできるんだぜ!」そういって100円玉を投げ入れて最初から始めた。電子音。テケテケテ♪西ヤンが宇宙空間に飛び出す。すると、ボンクラのうちの誰かがグラディウスのテーマ音楽を口ずさみ始めた。独唱は重なっていき最後は大合唱になった。神奈川の片隅の、ゲームセンターの片隅の、古ゲームコーナーで。テーッテテテーテタッタター♪タラタッタタッタター♪


 ゲーセンから引き上げるとき、僕は西ヤンに尋ねた。「お前さ、本当に1999年に人類は滅亡すると思っているのか?本気でノストラダムスの予言を信じているのか?」西ヤンは笑いながら「諦めなければなんとかなるんだぜ!」と応えた。「それに…」「それに?」「本物のオッパイを触る前に死にたくねえよ」といって右手でVの字を作った。答えになってないとは思ったけれど僕は不思議と納得した。そして瓶底に残ったチェリオを喉に流し込んだ。


 その後も僕らは「世界中の同志がメッセージを発しているのに日出づる国の俺たちが応じないでどうする」という海を超えたバカな連帯感だけを武器に授業を抜け出して学校の裏の雑草にミステリーサークルを描いているところを発見され、体育教官室に肩関節をキメられながら連行されたりしたのだった。むしむしししと雑草を踏み倒しているとき、フランク・ザッパのギターはしっくりとはまった。


 世界は滅びなかった。でも僕の燻っていた「ゲーセン」、僕らが合唱した「ゲーセン」、あのしょぼくて情けない奴らの巣窟だった「ゲーセン」はもう世界から切り離されて無くなってしまった。汗のひいた僕の周りを爽やかで賑やかな声が取り囲んでいる。こんな声。こんな音。僕らの「ゲーセン」にはなかった。僕は生まれて初めてプリクラを撮った。プリントされた僕の顔は白く補正されて死顔のようだった。


 ゲーセンから出た。霧雨が降っていた。白く厚い雨雲が空を埋めつくしていた。雨雲の向こう側、ずっとずっと遠い宇宙に僕らの宇宙戦闘機は飛んでいるような気がする。テーッテテテーテタッタター♪ボンクラの合唱を引き連れて。何年も飲んでいないチェリオの甘い味が僕の中で鮮やかに甦った。諦めなければなんとかなるんだぜ!死顔のプリクラを捨てた。僕は忘れない。あの「ゲーセン」も。あの合唱も。チェリオの小さい瓶も。100円誤魔化されたことも。