Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

オッサン・ナイトフライト・ラヴ


   
 毎晩、仕事帰りに通過するスーパーは「マーケティング」や「洗練」といったものとは無縁だ。青果の陳列台に突き刺さったダンボールの値札。そこにオッサン店長の手によって黒マジックで書き殴られた文字の荒々しさからだけでもそれはみてとれる。もっとも、僕が通り過ぎる時間帯になると黒マジックの文字たちは赤マジックによって修正され、荒々しさがさらに増幅している。そんな、「ギルバート・グレイプ」でジョニー・デップが働いていた店にどこか似ているスーパーの前をチャリで通り過ぎて帰るのが僕の日常だ。


 事態は急変した。帰路の灯台に過ぎなかったオッサン店長のスーパーがキラキラの宝箱に一変した。今週からアルバイトの女の子が入った。「ファシオ」のコマーシャルをやっていたころの深田恭子似の女の子。高校の制服の上にエプロンを掛けてモタモタとレジ打ちをしたり、同僚のおばちゃんと笑いながら話をしたりする姿をチャリンコを走らせながら見るのが僕の一日のルーティンに組み込まれた。彼女のエプロンに「PIYOPIYO」がプリントしてあったなら完璧だ。でも、そこまで求めるほど僕は我侭な男じゃない。


 店の手前5メートル。一秒でも早く家の冷蔵庫の発泡酒を飲みたい気持ちをぐっと押さえて左右のブレーキレバーを同時にひく。ズズッッ。タイヤがアスファルトとの間で悲鳴をあげる。急減速。後輪が左に少し流れるのを左右の揺れを蒸れに蒸れた股関節でサドルを押さえて制御する。歩行者と同じくらいの速度まで減速し明るい店内を観察する。いた。レジの引き出しみたいな部分をシャキーンと出して何かをしている。時間を永遠まで引き延ばしたいけれど、僅か数秒で僕らのランデブーは終わる。知らないオッサンのチャリを猛追して離脱。帰投。冷蔵庫オープン。発泡酒プルアップ。一日のフィナーレ。


 数秒のランデブー。それでいい。彼女から僕は暗闇に融けてしまっていてよく見えないはずだ。仕事で疲れきり、汗臭く、コンタクトレンズで目は充血し、ヒゲものびはじめている、夕方の僕の姿なんて見せられるものじゃない。残念ながら僕はあまりにもオッサンだ。子供くらいの年齢の女の子に恋心を抱いては駄目なんだ。だから。だから僕は彼女を切り撮るだけにする。僕のフレームで。


 一瞬、彼女を眺めるだけ。もし僕がロック・スターなら薔薇の花束を持ってスポーツカーで駆けつけるのだけれど、僕の愛車は赤いママチャリ。さらに青年会の幹部になってからはカゴの前のところに「地域安全パトロール」とかかれた黄色いボードが装着されている。僕はロック・スターに負けていない。情熱は若いときよりも燃えている。


 ロック・スター。シド・ヴィシャスカート・コバーン。ジム・モリソン。ジミヘン。みんな僕より年下の坊やに過ぎない。僕は年齢だけは勝っている。ロック・スターに勝っている。それでも「地域安全パトロール」なんて。重すぎる十字架だ。あまりにも格好悪すぎる。ギャグにしても酷すぎる。だから僕は刹那に生きる。いつ終わるともしれない瞬間を楽しみに生きている。


 今日も店の前を通りすぎた。いた。レジに。お客さんにお釣りを渡している。お釣りを投げるような粗雑さはない。お客さんにしっかりと手渡している。改めて素敵な子だなと思った。性格と親御さんの教育がみてとれた。お釣りを貰った客が自動のガラス戸をあけた。客は20代前半の若いサラリーマン風の男だった。店先に停められた奴の愛車はレーサー・タイプのカッコいいやつだ。真ん中のフレームに水分補給用のタンクみたいなやつがくっついているタイプ。


 僕は数メートル先で停止した。振り返らない。静かに呼吸をする。昂ぶり。落ち着かせる。背後で音の連続。チェーンキーを外す音。スタンドを外す音。チェーンの回る音。音と気配が近付いてくる。徐々に加速してくる。空気が切り裂かれてくる。体力、性能。すべての面で圧倒されている。だけど僕のフレームへの無断侵食を許すわけにはいかない。


 僕の横を苛立たしいほどのスマートさを纏って通り過ぎた瞬間、僕は両足を地から離しペダルにかけありったけの力を込めた。やっとモーターのコイルが暖まってきたところだぜ!奴の、若者の背中を追う。追った。あっという間に引き離された。逃げ足の早い奴だ。怖気づいたのだろうか。お前なら僕と同じ世界が見れると思ったのに、残念だ。僕は大通りを道なりに右へターンして部屋へ向かった。視界良好。深キョンまた来週!