Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ハローサマー、グッドバイ


 足音がする。息遣いがする。むしいむしししし。すぅはすうぅはあ。ときに嬉しそうに、ときに悲しげに空気を響かせる。床、柱、梁、階段、洗面所、便所、風呂、物置、ガレージそして庭。生きている。古い家のいたるところにはかつて住んでいた人の足音や息遣いは生きている。幽霊とかオカルト的なものではなくそこで暮らした人が生きた証拠をキズや傷みとして残している。天国やあの世とかそういう場所じゃなくて、そのキズや傷みのなかにかつて暮らした故人はいるのだと思う。ときどき亡くなったオヤジが僕と弟の身長を測ってくれた柱のキズをみると、寂しさに包まれてしまうときもある。お盆というやつはそうした家のキズや傷みをレコード盤の溝に見立て針を落とし故人の想い出を生きている人それぞれのスピーカーで再生するようなものじゃないだろうか。


 僕の住んでいる街では迎え火と、ナスと胡瓜とマッチで拵えた精霊馬で先祖の霊を迎えるのがお盆の慣習になっているのだけれど、これも迎える側にとっての「儀式」で、レコードプレイヤーの電源をカチッと入れるくらいのものじゃないだろうか。だいたいあのオヤジが辛気臭い胡瓜の馬に乗って大空から飛んでくるなんて想像するだけで笑える。胡瓜の馬のハゲ王子パッカパッカ。オヤジの馬はーオヤジの馬はーハゲー駆けていくー駆けていくー首のばし尾をふりたてて生命の躍動胸にーどこまでもーどこまでもー駆けていくー駆けていくー夏の太陽の下をー我が家に向かってー我が家に向かってーオオーオオーオヤジの馬はどこまでもー駆けていくー!そのうち「チキショーなんで俺がこんなものに乗らなきゃいけないんだあ!スシャーかサターンVロケットくらい用意しろ!」「スシャー?」「スペースシャトルのことだ!」「うるせーオヤジ!死んでるんだから羽根くらい生やして勝手に飛んでこいバカ!」「親に向かって!」「知るかハゲ!」とか罵り合ってお互いに卍固めを狙う地味だか派手だかワケのわからない醜いオッサン親子プロレス喧嘩が始まりかねない。やっぱり傍にいるほうが自然だ。


 今朝送り火を焚いて片付けをして家に戻っても我が家独特のいつもの雰囲気は失われていなかったので、レコードの再生が終わっただけでみんなこの家にいるんだな、変わらないな、なんて奇妙な感慨を覚えた。僕はあと十年ほど生きるとオヤジの年齢に並ぶ。うぇぇオッサンになったなあと嘆き悲しんで枕を濡らすなんてこともなく今はオヤジの生きられなかった年代を生きられるという楽しみのほうが大きい。オヤジの年齢を超えオヤジの見られなかった世界を僕は見られる。僕の網膜をスクリーンにしてオヤジ、もしかしたら爺さんも未来の世界を見ているのかもしれない。オーケー。見せてやるよ。ビューティフル・フューチャーってヤツを。


 僕はこれからも生きてレコードの溝を刻み続ける。家だけでなく人との出会いだってレコードだ。僕の胸に刻まれた溝は僕の住む僕の家にも刻まれていく。ずっと未来のお盆に僕の子孫が聴いて身体が弾むように踊ってしまうようなバカっぽくて楽しい音楽を奏でる溝を刻めたらいい。そう生きたいと思う。今日はオカンのワンセグ付きケータイとDSライトを買いに行った。「いい加減年寄り向けのボタンがでかいケータイにしろよぅ。シルバーフォンっていうの?それにDSなんていらないだろ」と言っても「あんたには関係ない!」と聞かん顔だ。オカンは僕なんかよりずっと元気だ。オヤジはそっち、といっても柱の陰とかカビ臭くてしょぼい場所にいるのだろうけどそっと見守っていてくれ。こちらはオヤジの分まで楽しく生きて生きて生きてやる。こんな感じでやっと訪れたぼくの夏休みはあっという間に終わり、いろいろな想いを胸にしまいこんでまた明日がやってきて新たなレコードの溝を刻み始める。夏よ、グッドバイ。