Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

悲しみよさようなら


 福岡の事件を聞いて僕はひどくショックを受けた。事件の続報を追う気力が萎えてしまうには十分なほどに。断片的に伝えられた事件の背景に僕の子供のころと似ている点があったからだ。身体に障害のある母親、発達障害のある子供、子供が親を詰り、親が子供を殺した。それが僕が知っている事件の全てといっていい。そして学童保育という単語。学童保育。ガクドー。僕も、両親の仕事が忙しかったので学校が終わると家ではなくガクドーに寄っていた。もちろん喧嘩はしたけれどそこでの時間はそう悪いものでもなかった。図書室で本を借りて帰ればいくらでも想像の世界に没頭できたし、学校のものに比べると小さかったけれど鉄棒や滑り台といった遊戯具もあったし、ピアノやアコーディオンといった楽器もあった。いくらでも時間は潰せた。僕は扱いづらい子供だった。通信簿の備考欄みたいなところには「集団生活に難あり」みたいな記述がいつもあって、それをみても親は僕に何も言わなかった。僕が暴れると知っていたからだ。今でも僅かに残っている情緒不安、激情が子供のころは暴発した。抑えられないときがあった。ある日、仕事を終えて迎えにきた母に僕は迫ったことがある。「もういらない。もう来なくていい。家には帰らん」勢いで深い意味もなく口癖のように飛び出してしまった言葉だ。僕は言葉を発信する側に往々にあるようにどうしてそんなことを言ってしまったのか無責任なことに覚えてない。ただ、母の顔が、眼を大きくして驚いた顔が夕焼けのなかで固まったのは覚えている。眼が影で大きな窪みになって表情が伺えなかったせいで余計に僕のなかに残っている。その記憶が事件の記事のなかに漂っていた「ガクドー」によって甦ってしまった。あの瞬間。母親は僕をどう思っただろう。少しでも殺意…殺そうとしただろうか。間違いなく言えるのは僕が、僕の言葉で、母親と僕自身の心に傷をつけたことだ。僕と母は事件の親子と似ているように僕には思えてならなかった。ただ結果が違っただけで。それは紙一重の差としか思えなかった。悲しみはどこからか忍び寄ってくる。油断するとあっという間に。僕は思う。この地上は、悲しみや涙で埋めるには狭すぎて容易いけれど、喜びや笑顔で埋めるには広大で困難なものだと。でも喜び溢れる地上が来ると僕は信じている。そんなものが理想、ユートピアなのは僕にだってわかっている。でも信じて信じすぎるくらいが悲しみに対抗するにはちょうどいいのだ。それくらい幸せになるのは難しい。あのあと。母と僕は夕焼けのなかを歩いた。赤とんぼの編隊のなかを。羽音が聞こえるくらいに周りはしんと静かだった。そのとき母が歌ってくれた「赤とんぼ」は僕の苦い想いと一緒に時折僕の胸のなかに響く。「夕焼小焼の赤とんぼ とまっているよ竿の先」歌い終えると母は言った。「これは寂しい歌じゃない。竿の先に飛んでいけるかどうかは聞く人間の生き方次第って歌なのよ」滅茶苦茶な解釈に思えたけれど案外これもありなんじゃないかとオッサンになった僕は気に入っている。