新宿東口の牛丼屋の床にハードなキッスをして、血を流し、前歯を折り、鏡のなかの腫れた顔に「これからは静かに大人しく生きて行こう。彼岸花みたいにひっそり…」と誓った翌日に騒々しいパチンコ屋に赴き、三千（万）円突っ込もうとする僕の人生はタイトロープ。腫れた顔を帽子とマフラーで隠し台をみて歩き、正月早々のしけた出玉に「帰ろう…」と思った僕の目に飛び込んでくる咥えタバコのビッチ。ダウンパーカーの下から主張するナイスなオッパイを僕は見逃さない。迷うことなくオープンカーに飛び乗る要領でしゃきーんと左側の空き台に座り、一秒後に後悔する。やはり家で大人しく傷が癒えるのを待つべきだったのだ。
僕の左側。ごっつい右手。金色のネックレス。白いジャージ。苛立たしく噴出される紫煙。「ヤバそうな奴とは目を合わせるな」僕の34年生存マニュアルの第一項にはそう書いてあり、僕はそれに従い、ハニートラップに引っ掛かった自分を悔やみはじめるが時すでに遅し。男の右足がこつこつと僕の左足のナイキを突付き始めた。ファック。ナイスなオッパイは姿を消していた。
前日、早朝の新宿、僕は血を流して倒れていた。mkさん（id:Geheimagent）と泥酔し、立ち寄った牛丼屋。気がつくと僕は血を吹きながら仰向けに倒れていた。前後の記憶は寸断され、経緯はわからない。ただ、白い天井と蛍光灯があって、知らない顔にぐるりと囲まれていた。「生まれたばかりの赤ちゃんがはじめてみる光景ってこんななのかな。バブー」なんて僕はくだらないことを想像していた。
騒ぎが大きくなるのを自分の耳じゃないみたいな耳で僕は聞いていた。「大変だ」「血だ！」「キャー！」「イケメンが倒れてる！」「救急車！」「すごい血！」「死んだ？」「危ない」「ヤバイ！」「なんだ？」知らない声が頭にゾンゾンと響いた。大丈夫のサインを送ろうにも声は出なかった。身体も動かなかった。そのうちに僕を取り囲んだ人たちがぐにゃりと歪みはじめた。最初は「ラバーソウル」のジャケットくらいだった歪みはウルトラセブンのオープニングみたいにぐにゃぐにゃと回りだし、チカチカし始めた。僕は生まれて初めて死ぬかもしれないと思っていた。
僕の身体が仰向けのまま牛丼屋の中空に浮いた。閃光。僕は金色の野を歩いていた。その者、青きダッフルコートをまといて金色の野に降り立つべし。金色の向こうには細い川があって対岸から4年前に死んだ犬のタローが責めるように僕をみつめていた。ふたたび閃光。スターチャイルドがいた。「キューブリックのおかげで人類の進化の象徴とか言われて、正直面白くないっすよ。僕だって合コンとかしたい」とか赤ちゃんみたいな顔で言うので「ベイビーに合コンは早すぎるよ。家でママのオッパイでも吸ってろよ」と僕は言い捨てた。閃光。裸のメーテルに誘われて銀河鉄道に乗っていた。車掌さんの代わりに現れたのはカラータイマー付のドラえもんで「なんてキミは馬鹿なんだ」なんて僕を罵ってくる。3分しか活動できないネコ型ロボットに罵られて僕は少し凹む。銀河鉄道のボックスシートは膨張したメーテルのオッパイで圧迫されはじめる。息が出来なくなる。
「フミコさーん生きてますかー？」「フミコさーん死にましたかー？」
ゴーグルをしないで潜ったプールを透して眺めたような新宿の街並みのなかでmkさんの声がした。僕は「生きてますか」って問いかけはどこか面白いなあと思いながら意識と感覚を繋げようとした。繋げられた。僕は牛丼屋の外に運び出されていた。朝の冷気と血の匂いを感じはじめた。見知らぬ人が「めちゃくちゃ血が出てますけど大丈夫ですか？救急車呼びますか」と言ってくれたので「すみません大丈夫です」とお礼を言って起き上がる。それほど痛みを感じなかったので、「そんなにたくさん血、出てる？」と訊いた。「顔面血だらけっすよ。フミコさんいきなりぶっ倒れて血を流しているから死んだかと思いましたよ」とすっかり酒が抜けた様子のmkさん。
僕は近くに停めてあった原チャリのミラーを覗いて血まみれの男の顔をそこにみる。手にべったーとついた血をみる。ロックな僕は一拍置く。それから悲鳴をあげる。「うわあああああ」「フミコさんまだ血、流れてますよ」顔面に拡がる痛みに僕は気付く。「なんか猛烈に口が痛いんだけど」「あー、前歯欠けちゃってますよ」本当に？「前歯欠けてるのわかる？」「わかりますねー」「とりあえず飲みなおそうよ。酒抜けちゃったしアルコール消毒しないと」「大丈夫っすか？」と言いつつもmkさんは笑っていた。
ハードな夜を過ごしたという事実は単に事実であって僕を強い人間に作り変えたりはしない。ジャストファクツ。僕の左にいるガラの悪い男はガンガンと僕の足と突付き続けている。ヘイガッド！新宿にいた心優しい人たちとこいつが同じ人間なのかい？コートの中に残っていた煙草を取り出し咥え、火をつけようとするが手が震える。煙草威嚇。煙草を吸う男は悪そうでカッコいいという中学生的な発想から僕は逃れられずにいる。数年ぶりの煙草で肺が悲鳴をあげゲフゲフむせる。煙草威嚇は逆効果だったようで男の突付きは長渕キック級の強いものになっていた。
パチンコを打ち終わった僕は未練を一ミリも残さず、男の蹴りに気付いていないふりをして、席をたち店を出た。男が着いてきた。僕は走り出したが前夜のダメージでうまく走れない。深酒が胃からこみあげてきそうになる。スピードが圧倒的に足りない。男は僕を弄ぶようにスピードを緩めたりして一定の距離を保っている。なんだよ。せっかくサバイヴしたのにここでやられるのかよ。リアス式海岸みたいな前歯でギャルの乳首をチクチク遊ぶ素敵な未来をまだ見てはいないぜ。心優しい人たちに触れて生きるのってワンダフルなんて思った矢先にこれかよ。こんなのってないぜ！
僕は車の鍵を開け飛び込んだ。あわててエンジンをかけようとして鍵を足元に落とす。床でミッキーマウスのキーホルダーと交通安全祈願のお守りがジョョリーンと鳴った。ギックリ腰の再発に恐れながら僕は腰を曲げる。男が車の窓を叩いてきた。「にいちゃん金貸してくれや」男がドアを開けた。マザーファッカーめ。僕は自分の生存マニュアル第二項「ヤバイと思ったらすぐ降参」を実行する。「いくらでございますか？」「はあ？何言ってるの？」恐る恐る顔を見上げた。男は顔が怖いことで近所では有名な僕の弟だった。「うわー。兄貴、顔どうしたの？こえーよ。そんなストーンズのマークみたいな顔でよく歩けるなあ」「お前だけには言われたくない」と言おうとして唇を動かすと傷が裂け、また血。ローリングストーンズ。ロックな僕には最高の褒め言葉さ。
