Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

私の異常なお見合い・急 または私は如何にしてお見合いを断った挙句に大事なところをおかされたか

 
 時折、部屋が別の顔をしていることがある。出張や旅行などで何日か部屋を離れて戻ってきたとき、別の顔に出くわすことがある。まったく違う部屋というわけではなく、ちょっとした違和感、ズレがノイズのように視覚、聴覚、嗅覚のうえを走るのだ。或る風景を眺めてみる。両の目で。右目で。左目で。一の風景が三の相を持って現れる、そういうズレだ。今日、部屋に戻ると部屋が別の顔を持っていた。いつもより整理が行き届いているような気がした。僕はほぼ二日ぶりに、冬にお見合いをしたシノさんの実家から帰ってきた。怪我をして行動不能に陥った僕はシノさんの実家に泊めてもらったのだ。シノさんはスザンヌ似の25歳、戦国時代好き西軍派、趣味コスプレ。コスプレ時はシノ改めノッピー☆。


 遡って夕方。回転寿司屋。隣にいた騒々しい大家族がイカ以外の魚介類を奪ってしまうせいで、我々の席にはきゅうりやツナを巻いた海苔巻き、ケーキ、スイートポテトが力なく泳いでくるだけ。僕は中ジョッキ、四角い飾りのついた奇天烈な頭飾りをつけたノッピー☆は蟹味噌汁を頼む。ノッピー☆のわけのわからない話を聞き流しながら、大家族は平均的にヤンキーが二・三名含まれるのは何故なのだろう、大家族は伸びきったジャージを好き好むのは流行なのだろう、月刊大家族5月号かなにかで特集されているのだろうか、「超解説!これがテレビで取り上げられる大家族だ」っつー感じの特集。


 なんて哲学をしていると、突然ノッピー☆が「これを見るですうー」。カゲツナ君で撮った写真を見せてくれた。プリントされた一面の籠。カゴ。カゲツナ君とはシノさん愛用のデジタル一眼の名前であるがそれはまた別の話である。「なんですかこのカゴは?」「カゴじゃないですうー。カッコいいですう」「カッコいいというかカゴですね。うーんカゴだカゴだ。カゴはいいなあ涼しげだし、洗濯物をいれて置くにもちょうどいい」「これは奈良で歩いていた虚無僧ですうー」近すぎてわかんねーよ。中ジョッキ追加。


 ノッピー☆が僕を試すような目で見つめていた。虚無僧。勃起虚無の僕に対する当てつけか激励か。はたまた陰謀か。陰謀。インポー。江戸川インポウ。EDがインポ。いかんねいかんよ。思考がすべて勃起不全に収斂していく。中ジョッキ追加。「で、虚無僧がどうしたのですか」「虚無僧になってその顔の怪我を隠すのですうーヤフオクで編み笠を落としておきますうー」キャーやめてー。「無理だよそんなの‥‥見たことも被ったこともないのにできるわけないよ」中ジョッキ追加。あと蟹味噌汁も。「でもその顔じゃ…」「ま、すぐに治るんじゃないかなー」「オヤカタサマは、強い。そんなに様々な傷を受けているというのに…。私も慣れなくては…」とノッピー☆。「それに…」「ハイ☆」「僕に、隠す価値なんてないよ」「キミは少し疲れているようですね…」。そりゃ疲れるわ。中ジョッキ追加。蟹味噌汁追加。


 そのうちシノさんのお茶の時間が迫ってきた。戦国時代から伝わる流派で、戦陣でたてるのをルーツとしており、敵襲に備えて、座らずに起立したままお茶を煎れるのだという。わけがわからない。店を出て駐車場へ。運転席に座ったシノさんがエンジンを掛ける。パワーウインドウが開くと車内からスーパー歌舞伎の激しいビート。僕は胸に引っ掛かっていたことを訊いた。「その格好はなんなのですか。リボンに耳と箱みたいなものがついているのですが」付け毛。あらゆるところにリボン風の布。「うさだヒカルをイメージしてみましたぁ」「デ・ジ・キャラットですか…」「オヤカタサマー!さすが木星帰りは違う!」もう無理だ…。「もう会うのはやめましょう」僕は言った。カーステから大音量のスーパー歌舞伎。「それではまたー」とシノさんがそう言うや否や、後部座席にドールを四体乗せたヴィッツは光の速さで薄暮に消えていった。


 そうして部屋。彼女とはもう会うことはないだろう。僕はこけしのディルド君と携帯電話をテーブルに置いてから、服を脱ぎブリーフ一枚になって壁を見た。グンゼ製ブリーフの白が闇に浮いていた。灯りのスイッチが虫の亡骸のように壁に張り付いていた。手を伸ばし、古代の魔法使いが亡骸に命を注ぐようにしてスイッチを押した。電球は切れていて、ツチリという乾いた音が闇の始まりを宣告した。冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出しプルタブを持ち上げた。ぱしゅっという間の抜けた音は闇へ吸い込まれていった。僕は暗闇のなかでビールを飲んだ。喉を通過していく音が胎内に響いた。闇はまだすべてを飲み込んではいない。すくなくともビールが胎内に吸収されていく音は。


 僕は部屋を見渡した。違和感は残っていた。本当にここは僕の部屋なのか。ブリーフとトランクスが畳んであった。フィギュアも文庫本もきちりと整列していた。シンクの中、プラスチックの洗面器に沈殿しているはずの茶碗と湯呑みが洗ってあった。作りおきの麦茶が入っているはずの薬缶が空になっていた。違和感が闇になって僕を包囲していた。呼び鈴が鳴った。午後九時。新聞屋にしては遅い。無視をしてビールを一口。呼び鈴が鳴った。呼び鈴呼び鈴呼び鈴。それからドアを叩く音が重なる。呼び鈴打撃呼び鈴打撃呼び鈴打撃。僕は悟られぬようにしてドアに近づいた。ドアには鍵がかかっている。チェーンキーもかけてある。


 聞き覚えのある声が、した。「オヤカタサマー!オヤカタサマー!オヤカタサマー!」覗き穴から外を見るとうさだヒカルがいた。シノさんの顔は街灯に照らされ影になり、眼と口の部分に黒い孔が開いているようだった。声はまだ続いていた。闇も続いていた。声が消えると闇の勢力が強くなった。テーブルの上で携帯電話が震え出した。電話の主は見なくてもわかる。電話がやむ。再び声。オヤカタサマ…。オヤカタサマ…。ガチョゴチョ。ドアの鍵穴に何かが差し込まれる音がした。ドアの鍵が開く音がした。鍵、なんで持っているんだ…母さんか…。ドアの開く音がした。僕は物陰から伸びきったチェーンキーが輝くさまを見た。それは希望の光だった。オヤカタサマ…オヤカタサマ…いないのですかぁ…いないのですかぁ…!