Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

忘れられたエヴァンゲリオンへの追憶


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を観た。テレビ版や旧劇場版から大幅に変更されていて面白かった。ただ、あのころの、僕の気分とシンクロするような《特別な》なエヴァンゲリオンではなかった。もうひとつの、別の、エヴァンゲリオン。もちろん、そんなことはわかってはいたのだけれど。僕の心にもっとも印象に残っているエヴァンゲリオン。それは誰にも振り返られることのない、「忘れられたエヴァンゲリオン」だ。


あのころ、僕の気分とシンクロした特別なエヴァンゲリオン。それは《春エヴァ》と呼ばれた「シト新生 DEATH&REBIRTH」のうち未完成フィルムの「REBIRTH」だ。あのころ。1997年の春。大学を卒業して就職して一年を経た僕は仕事に追われて文字通り走り回るような生活をしていた。とても疲れていた。あの日、僕は疲れが頂点に達していて勤務時間中に逃げるように映画館に入ったのだ。逃げちゃ駄目だというのに。そのときかかっていたフィルムが《春エヴァ》だった。


「REBIRTH」に僕は驚いた。そのときの煮詰まったような逃げ場所がないような僕の姿を映しているようにみえたからだ。廃人状態のアスカと「死ぬのはイヤー!」と叫んで復活したアスカは、夜へとへとになって部屋に帰ってくる僕自身と、朝栄養ドリンクを飲んで出社して働く僕自身の姿に重なってみえた。自衛隊を無我夢中になって破壊していくアスカと弐号機は、経験も能力も不足し、ペース配分もわからずに仕事をこなしている僕の姿そのものにみえた。あのとき、アスカと弐号機は《僕》だった。


「REBIRTH」の物語は、どこからか飛来した量産型エヴァの編隊が弐号機の上空を旋回するシーンで唐突に幕を下ろす。アスカの青い瞳に映った量産型エヴァと不安は、1997年の僕の眼の前に広がっていた漠然とした不安と将来と同じだと、そのときの僕には思えてならなかった。春が終わり、23歳の僕は夏に向けて走った。相変わらず仕事ばかりの毎日だった。ただ、一年間の経験は無駄にならなかったのか、慣れたからなのか自分ではわからなかったけれど仕事で煮詰まるようなことも少なくなっていった。僕は大人へ社会人へ変わっていったのだ。


1997年の夏休みに僕は完結篇《夏エヴァ》「THE END OF EVANGELION」を観た。「REBIRTH」で僕自身とダブってみえたアスカと弐号機はそこにはなかった。僕も変わったし、エヴァも変わったのだろう。あのアスカや弐号機とのシンクロ、熱狂は1997年春の僕と《春エヴァ》、二者による偶然の産物だったのだろう。「REBIRTH」は《夏エヴァ》に形を変えて完結した。そして未完成フィルムの「REBIRTH」は当然の帰結として幻の作品になってしまった。


あのときのシンクロを得られないとはわかっていても「REBIRTH」を劇場で観たいと思うときがある。その思いは叶うはずもなく、僕はすこし寂しい気分になる。今は、ときどき耳にする主題歌「魂のルフラン」が、1997年の気分と熱狂のかけらを残響のように僕に想い出させるだけだ。