Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

オヤカタサマーはかく語りき


 ひと昔前なら、あの言葉を耳にするだけで身をひき裂かれるような気持ちになったものですが、時が経つ、というのは不思議なもので、雨が降って流れとなり大地の岩を削るように、言葉のもつ鋭い角も時の流れに削られ緩やかに丸くなるらしく、今はもう、あの言葉に触れても私は別人のように穏やかで、自分の変貌に笑ってしまいそうになるのですが、時折、当時の、黒っぽく、ざわざわした感じはなんだったのだろうと、まったく関係のないタイミングで、たとえば蕎麦屋でウドンにするかソバにするか思慮しているときに、振り返るように私は考え分析をし、あれは嫉妬や妬みといわれる感情だと思い当たり、確かに当時の私は些細なことに打ちのめされ、実際はそうでないのに世の中から全否定されたような気分になっていて、世の中の、私を笑うもの蔑むものはもとより、支えてくれるもの、信じてくれるもの、さらには無関係なものまで、すべてを妬み激しく憎悪する一方、憎悪という激しい感情を抱きつつもその対象に対して爆発も出来ずにくすぶっている自分自身をもっとも激しく憎悪しており、そんな昔の自分を研究しているとなんだか恥ずかしく、噴飯ものですが、このような心の研究活動は私特有のものなのでしょうかね、と親しい友人に訊くと、皆、話を合わせたように茶を吹き、君は人生に対して真剣だね真摯だね童貞だね馬鹿だね、と一笑し、それは君特有のものではない、と言って私を安心させたのも刹那、ただし、と皆が揃って眉間に皺を寄せ、君をそういうふうにしたものは君独自のものであるから君自身で克服しなければならない、などと言うものですから、私は、幼い頃、肉まんだと決めつけてかじりついた肉まんが実はあんまんで、肉まんがあんまんであん、まん、が肉、まん、まん、こ、声が出ちゃう、アンアンアン、舌に不意撃ちの火傷を負ってしまってしまったことがあるのですが、その火傷と同様の不意打ちの不安と孤独に頭を抱えてしまい、友人たちが残した緑茶にぽつん、まっすぐに浮く茶柱だけが味方のように思われ、先生の教えのとおり、不安に襲われたときは写経をしようと帳面を書斎からもってくると、コタツの傍らに落ちていたスポーツ新聞の芸能欄、そこに踊る芸能人たちの奔放な恋愛、不貞ぶりを発見、目撃して、先ほどまでの自分の研究はいかに小さく女々しいものであったかと、ひとりちゃぶ台の前で小さくなり恥じ入り涙をこらえていると、途端に黒っぽい、ざわざわした気分が胸に甦ってきて、ああ、このまま私は以前のような嫉妬と憎悪の世界に舞い戻ってしまう、それは辛く、二度といやだ、出来るなら今立っている地点に踏みとどまっていたい、真っ当なヒューマンでありたい、それならばあの言葉を唱え、克服し、自分のものにしなければならないと考え、あの言葉と自分とを繋げ、否、あの言葉そのものを取り込むようにして、ボ、ク、ハ、イ、ン、ポ、と唱えると予想したとおり穏やかな気分になりま…、ならず、いえいえ違います、嘘でした、私は嘘偽りを申していました、私はずっとこの胸のなかで、死ね、ふざけるな、地獄に堕ちろ、成海璃子だけは絶対に死守、シシュー、(以降聞き取り不可)などという暗黒の気分を飼っていて、ええ、お察しのとおり、この帳面だって、写経をするためのものであるはずもなく、私のここ二年間の影、つまり悪口と文句の集積であって、そう、そうです、私のことをインポ、インポポポーと嘲笑ってきたすべての、ええ嘲笑わなくてもすべての、私よりも幸せに見える者どもに対するデスノートでございまして、今、私は、冬は中型バイクに乗るといって夜な夜な男に乗って腰を振り、夏はスキューバダイビングをするといって夜な夜な男のイチモツをスキューバする埼玉ビッチの名前の脇に、私が不能で悩んでいる同時期に奔放なセックスに興じている罪深き子羊の名、海老蔵、虎ウッズをあらたに書き加えようと油性マジックのキャップをはずしたところなのでございます。

(この日記は平成二十一年十二月十五日夕刻、ミスタードーナツ藤沢店において口述によって仕上げられた。録音/ノッピー☆)