Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

上司はご機嫌ななめ


 社長に呼び出された。部長が起こした事故(id:Delete_All:20100310)の聴聞会だ。事故の唯一の原因のくせに、「俺にうしろめたいところなどなにひとつない」と言い張っていた部長は、事故の夜、僕と割り勘の酒をあおりながら、営業マンの資本は身体だ、俺はいつでも、身・体・強・健、と主張していたにもかかわらず、体調不良でお休み。はは、好機到来。思わず社長室の前で武者ぶるいする。僕は平成の田中正造、部長のこれまでの非道の言動、外道の人格を社長に直訴してやる。ズボンの携帯が震える。部長だ。こんな所まで追いかけてくるのか、部長め。すかさず電源を切った。これ以上被害を出さないよう、部長を叩く、徹底的にな。13時。時間だ。社長室のドアを叩く。「入りたまえ」社長の声。時は来た。Z旗を揚げろ。バスティーユを落せ。


 15分後、うなだれた僕の背中に聴聞会の終わりを告げる総務部長の声。結論、不問ニ付ス。社長のひと声で決まった。「そ、それだけなんですか?社用車を暴走させて会社を破壊して、そ、それだけ、なんですか?」思わず声が出た。事故なんてどうでもいい、これでは事故の罪に乗じて部長を追い詰められない、絶好機が…、くそう。頭をがばと上げ、なぜです、どうしてです、おかしいです、訴えるも、ただ、終わったこと、の一言。結論、不問ニ付ス。総務部長はいう。「彼も心労で休んでしまっていることだし、いいじゃないか」。気になんかこれっぽちもしていない、ただ逃げただけですよ。僕の心の叫びは届くはずもなく、聴聞会は閉会した。席を立とうとした僕に今まで黙っていた社長が声を掛けてきた。「君は残りたまえ」


 専務、常務の役員組につづいて、総務部長、総務部長代理、総務次長、総務室長、総務室長補佐、総務課長、総務係長の薄毛7人衆、通称《クリスタル総務》が、「社長に取り入りやがって」「社長と通じているとは、少々君を侮っていたよ」数々のエールを僕に送りながら出ていった。社長が僕を残した理由に心当たりはなかった。社長は会議用のテーブルから社長席にうつり僕を呼んだ。社長は、自分で決めたことだから仕方ないことだが会議中は禁煙だからかなわない、と笑いながら煙草に火を点け、僕に、昨夜何があったのか、尋ねてきた。


 社長は、大ファンの菅野美穂のドラマを録画予約してきたか、頭のなかで反芻していて、いっさいを聞いていなかったらしい。「先ほどの聴聞会で報告したとおりです」。軽く嫌味をいってから、僕は、部長が突如錯乱して車のアクセルを吹かしシャッターを破壊したこと、その後の飲み会の領収書を客先との接待として経費で落そうとしていること、支給された交通費でSUICAPASMOを一枚づつ購入しているにも関わらず、なぜか車で通勤しガソリン代を請求していることなどを繰り返した。話終えると社長は、たれぱんだの灰皿で煙草をもみ消し、「君は思ったよりつまらない人間だな」と言った。


 別れ際に女の子からいわれてショックだった言葉ワーストテン第一位、僕の場合は「あなたって思ったよりつまらない人ね」。それを言われた、言われてしまった、社長から。しかも部長きっかけで。わなわなしながら社長のご尊顔を拝見すると、うわー、不機嫌を立体化したような仏頂面。僕、何か悪いことをしたかしらん。事故を起こしたのは部長で、危険性を指摘して事故を回避しようとしたのも、事故の処理をしたのも僕だ。だのに、だのに、なぜ。社長は、君は何も知らないようだな、苛苛した気分をぶつけるように机にあったルービックキューブを力いっぱいにガリガリとまわしながら言った。


 まったく見当がつかないので、たまらず、どういう意味か訊くと、社長はある企業の名前をあげ、知っているか、と尋ねてきた。ウチの会社がもっとも長く付き合っている会社の名前だった。「もちろんです」重要な顧客ゆえ、部長は社長直々の命令でその会社への出入りを禁止されている、というのが同僚のあいだでの噂になっていた。もっとも、部長が出入り禁止を喰らっている顧客は星の数ほどであるので、いっそのこと社長命令で首輪でもつけ会社から出さないようにしてくれれば助かるのにというのが同僚のあいだの悲願であった。


 うむ、と苛立たしげにいうと社長は続けた。「根が真面目で職人気質な彼は」彼とは部長のことですか、真面目とは部長のことなのですか社長、職人気質とは、職人気質とは何ぞや?「多少、難しい面があるかもしれないが」多少じゃないです。面どころか全面的に難しいです!「そこの会長の弟さんなのだよ…」。部長が、得意先の…。



(追記/在りし日の部長。いかにも真面目そうです)


 社長は僕の動揺を気にすることなく言葉を繋げる。「彼だってベテランの仕事人間だ。学ぶところも多いだろう…」。ないない。しかし社長…、部長の過去の悪行を話そうとする僕を、これは命令だ、と社長が制した。声には怒気が、あった。「彼に多少のことがあっても耐えろ。そして彼を立てろ。それが君の任務だ」部長をたてろ…僕の精神を磨耗させてインポテンツを酷くさせるつもりなのか。僕が本格的にたたなくなったらどうするんだ。


 社長はつづける。「私と彼の兄は親友でもある。私の顔に泥を塗るとはいわせない!」。社長は煙草に火をつけ、二度三度煙を吐くと、煙草をたれぱんだ灰皿に押し付けた。ぐしゃぐしゃに蹂躙された吸殻は僕自身の姿を想わせた。僕は何もいわない。せめてもの、抵抗。社長は矢継ぎ早に言葉を続けた。


 「彼の気分を損なうな」「彼を適度に休ませてやれ」「彼に美味い酒を飲ませろ」。『グレムリン』かよ…。


 最後に社長は「わかったな。重要な君の仕事だ」と加えたが、やはり僕は何もいわなかった。せめてもの、抵抗。「私の命令がきけないのか」「そんなことはないのですが」「じゃあその不服な態度はなんだ」「…」「いま一度きく。私の命令がきけないのか」「いえ」「質問を変えよう。君はなんだ」「私は…」社長の手元にはぐしゃぐしゃになった吸殻があった。「君はなんだ」「わ、私は」社長の意のままに動かなかったルービックキューブが机からごみ箱へと居場所を移していた。「君はなんなんだ」「わわ、私は」


「わ、私は…営業部営業一課課長フミコフミオです!!」 部下ひとりもいないけどな。

「おめでとう…大正解だ」


 社長の笑顔は僕の胃をキリキリと痛ませた。社長室から出て携帯を確かめると部長からの念仏のような伝言が残っていた。翌日、胃痛がひどく、病院に寄るため午前休をとる旨を連絡した。すると、部長は、胃痛だと?体調管理が出来ない奴は営業マン失格だ、どうせズル休みだろうがお前は幸福だ。昨日までの俺は機嫌が悪かったが今日の俺はたまたま機嫌がいい、特別にお前のズル休みを不問に付してやる、と言った。そして翌々日。ますます胃痛が悪化した僕は、ついに、倒れた。