Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

部下は年中苦労する


 髪が長い中年男っていんじゃん。ロン毛っつーか、伸びちゃった系で、残念な感じの。そういう長髪中年って、マッシュルーム派とワンレン派の二つの流派に分けられると思うんだけど、僕の前に座っているのは、前者。たった一人からなる第二営業部の副部長代理補佐。第一営業部課長である僕との上下関係はよくわからない。

 で、そのジョーイ・ラモーンみてえなマッシュルームがふざけていて、かかってくる電話に出ようとしない。電話で顧客と話している僕が、目線で、電話に出ろとメッセージを送っても、いっこうに出ない。出ようともしない。仕舞いには、わざとらしく、何かに思いついたように頷き、手のひらをぱちんと合わせて、どこかへ消えてしまった。死期を悟った猫ちゃんのように帰ってこなければいい。


 電話を終え、あわてて受話器を取って後悔した。「俺だ…」。部長の声だった。チョコ色の地肌が透けて見えるバーコード頭が脳裏に浮かんだ。部長は誰に対しても名乗らない。客先にも「俺だけど…」「おたくの部長いる?」第一声からそんな感じで、傍からみていて心臓と胃に悪い。教育してやらねばならない、義憤に衝き動かされた僕は惚けたふりをして言った。どちらさまでしょーか。


 すると部長が「俺だ…」「わからないのか…俺の声が…」「俺、俺…」オレオレ詐欺のようになってきて、オラなんだかわくわくしてきたぞーって、悪乗りして、ちょっと電話が遠いようですが、あれよく聞こえないなー、あるえーこの電話どうしたのだろー、なんてからかっているうちに、部長が「俺だ…俺だ…俺だ…俺だ…俺だ…俺だ…俺だ…俺だ…俺だ…俺だ…」夜中にトイレにいけなくなるような呪詛を吐き始め、その孫の代まで呪われそうな陰湿な声色に観念した僕は、ああ部長ですか、名乗らないからわからなかったですよ、なんでしょうかと応対したのだ、結局。つづく、「上司の声を瞬間的に識別出来ない奴には…」部長の戯言は、受話器から耳を離してシャットアウト。


 部長の拙い日本語を解読すると、絶対にしくじってはいけない顧客に会うために鋭意外出中なのだが、先方の会社の場所がどこであるかまったくわからない、近くにいた警官に会社名を伝達し、尋ねてみたが、その警官の人は警官の制服に酷似した衣服を着用した警備員であったために埒が明かない、鋭意外出したために手ぶらだ、よく考えたら担当者の名前も忘れてしまった、という事情で、こちらに電話をかけてきたということらしい。行き先も会う人もわからねえで外出って何がしたいんだ?ライクアローリングストーンかよ…呆れていると、部長が「俺の部長席に行け…」などとこの期に及んで威厳たっぷりの声でいうので大部長席へ向かった。アイムサラリーマン。


 「部長席につきました」「左側に袖机があるだろう。三段になっている真ん中をあけてくれ」「袖机は左ではなく右にありますが…」「じゃあ右だ…今のは柔軟な対応が出来るか試しただけだ…」ムカついたので「ああ…携帯の電波が悪くて切れそうですよ部長」と危機感を煽ると「切れない〜切れたりせんぞうう〜俺のドコモはフォーマじゃなくて安心と信頼のムーバだからなあ!」といちいちいちいち狂った反応をみせるので僕がキレそうになる。で、言われたとおりに右の袖机をあけると、部長いうところの帳面=分厚い大学ノートが姿をあらわした。その数20冊。


 「見つかったか。そこに顧客の名刺がファイルされている…五十音順にファイルされている」「何をすればいいんでしょうか」「ナントカ商事の名刺を探して連絡先を教えてくれ…それくらいならお前でも出来るはずだ…仕事が出来る男は整理整頓のプロでもある。俺はプロファイリングだ」。はいはい。プロファイリング。プロファイリング。意味ちがうけどな。その言葉を知っている自体が奇跡だ、すげーってプラス思考で乗り切る。疲れる。大学ノートにはタブがついていて丁寧に五十音が記されていた。楽な仕事だ。と思っていた僕が馬鹿でした。


 僕は『な』のタブがついたノートをめくり、ナントカ商事を探した。楽勝。楽勝。って、ちっともみつからない。耳元では部長の呟きが聞こえた。まだ見つけられないのか…。名刺一枚探せないとはな…。思いやられる…。「部長みつからないのですが…」「株式会社ナントカ商事だ…もういちど目を皿にして探せ…『か』のところにあるはずだ…」…!『か』だと…。


 「部長、まさかマエカブの会社はすべて『か』にファイルされているのですか…?」部長…こんな馬鹿げたものを…。「五十音順でファイルされていると言ったはずだ…何度も同じことを言わせるな」。20冊のうち8冊に『か』のタブがつけられていた。しかも「株式会社」のあとの名称は五十音順になっていないので、目的の名刺を見つけるまで十分近くかかってしまった。必死で一枚の名刺を探している始終、僕は、使えねえ、役立たず、時は金なり、という部長の嫌味を聞かされ続けた。胃がきりきり痛んだ。


 名刺を見つけて、部長に所在地、連絡先、担当者の所属と氏名を伝えた。すると部長は自信たっぷりな様子で「プロファイリングと上司への密告で先輩後輩問わず畏れられてきた俺がなんて呼ばれていたかお前にわかるか?」と訊いてきた。見当つかなかったので僕は答えられなかった。プロファイリング意味違うと突っ込む気力は僕にはもう残されていなかった。しかたねえ奴だ、という独り言が受話器から聞こえた。血色の悪い紫の唇が上下にひらくさまが脳裏に浮かんだ。「<ハゲタカ>だ…。俺は陰で<産まれたてのハゲタカ>と呼ばれていた…」。それ、ハゲを馬鹿にされていただけじゃないのか?


 一時間後、約束の時間に訪問できなかった部長から電話がかかってきた。急病ということにして代わりに謝ってくれだと。僕がその旨を先方に伝えると、先方の担当者がほとんど笑いながら「おたくの部長さん、半年前は急病で、その前も骨折で来られなくなったんだよね。会う気あるの?」と嫌味を言った。ハゲタカは帰巣本能が強いようで、なーんて冗談を言えるような空気は、そこにはなかった。