Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

俺は会社をやめるぞ!徐々にーッ!!


 六月一日付で異動になった。配属されたのは営業戦略ストラテジー部調査マーケティング二課。もち課長ね。二課とあるが一課はない。二課とあるが人員は僕以外誰もいない。仕事もないので、六月第一週目の僕はひたすら、切れかかった蛍光灯を取り替える密やかな密やかな行為に専念してました。誰も行ったことがない、光の射さない方へ。蛍光灯交換。知ってる?女の子のお手洗いには小便器がないんだよ。

 ついでにいうと二課を監督する部長も変わらない。部長は六月一日の朝礼で、「これからは、いや今日今この瞬間から俺がお前らをかためてやる…」と仁丹くさい怪気炎をぶすぶすあげていた。そんな大部長の《今後は週一回月水金の朝夕、小二時間ほどミーティングをおこなう》という回数・分量ともに不明確な宣言が発布されたのは同月九日午後のことでございます。


 部長曰く、後世からみたら大変重要な位置を占めるであろうミーティングには、部長(契約社員)以下の副部長、部長代理、部長補佐(新人)、次長、マネージャー改め室長そして僕の、僕以外の序列がさっぱりみえてこない六名が勢揃いした。三年前に六人もいた係長は全員退職していた。


 一時間遅れで会議室に現れた部長は、時間どおりにしか動けねえ国電野郎が…と聞こえないつもりで極めて明瞭に呟いてから、黄色く濁った眼球で社訓を一瞥すると、ててててぃてい定刻にぃおぅなたったのでミーティングをうぉぇはじめる…と噛みまくりながら告げた。僕は毎回会議の冒頭で部長の仰るテイコクは、定まった時刻を意味する定刻ではなく帝国をさしているのではないかと懐疑していた。いや、そう思うようにした。さもなくばやりきれない。定刻さんに面目ない。死んでいった六人の係長には申し訳ないけど、僕、楽に生きたいの。


 席につくなり部長は世相を斬った。「世の中サッカー、サッカーでつまらねえなあ。スポーツ中継は読売巨人軍だけでいいのによお。外人は好きじゃねえ。知らないうちにブラジルから帰化していた田中・マルクスのトリオなんて外人三人組、俺は応援しねえ」と。巨人軍不動の四番バッター、ラミレスも外人じゃないですかとは血走った部長の眼球に向かって言えませんでした。部長は沈着冷静に世相をぶった切ったあとで、全員目をとじてくれ、といった。何が行われるかわからないまま目をとじた。


「全員いいか?」部長の声が暗黒闇から聞こえてきた。声の直後に生臭い口臭。ワカメが林檎と蜂蜜と恋をしたあとで腐ったような臭い。「全員右手を挙げてくれ」。部長の声だ。物音がした。全員右手をあげたようだ。僕も右手を挙げた。「俺たち営業チームは七人きりだ…ところでお前らが挙げている右手には指が何本ある?」会議室は沈黙した。皆、部長に揚げ足をとられるのがわかっているから答えないのだ。


 「指何本だ?」「指な〜んぼん?」「ハウマニイ指?」エスカレートしていく部長に耐えきれず僕は答えた。「五本です。ボス」。「そうだ五本だ。次に右手を左の胸に当ててくれ」母さん、僕のあの答え、どうしたんでせうね? 暗闇からの部長の声は続いた。「心臓の不規則な鼓動が聞こえるだろう…」。誰かの、え?規則的なんですが、という声とそれを打ち消す、しっ余計なことを言うな、という声が聞こえた。不整脈。部長には長生きしてほしい。部長が退職して葬儀に出席する義理が消滅するその日までは。


 部長の口から大陸的大地的な、アレステッド・ディヴェロップメント的なリズムが流れ出した。「ドクンドドドドクチャンベトチャンキンドンドドドンドドド…こんな心拍が聞こえるだろう…」。僕は目をひらいた。部長は顔面すべての筋肉を酷使して目をとじていた。額には脂汗。唇からはドドド。部長の顔面はよくいえばこんがり日焼けして引き締まった尻の穴、悪くいえば博物館に置いてある鉱石のようだった。


 尻穴ドドドーッ。に堪えられず部長以外の全員が目をあけていた。ひとり目をとじたままの部長は続けた。「お前ら…自分自身の心臓音にきいてみてくれ。昨日までの営業活動に全力で取り組んだか?営業マンは会社の看板とノルマを背負っている…。ノルマを達成できてないってことは…」部長は一旦言葉を切り、空気を吸引すると、「命を掛けてねえってことだー!んな奴はいらねえんだー!」と喉が裂けんばかりに絶叫した。社訓のはいった額がビリビリと揺れた。


部長「ノルマを達成できないやつはいらねえ。消えろ!」

 部長は続けた。「さあ、昨日までの自分に非があったと思うなら正直に告白してくれ…そしてまっさらな状態からやりなおせ、幸い俺はゲーム脳だ…」部長がゲーム脳ゲーム脳に失礼だろ…。目をあけているメンバーに動揺が走った。「ゲーム脳…勉強不足のお前らは知らないだろうが、後腐れがない俺のような男をさす言葉だ…。俺はゲーム脳だ。全部忘れてやる。さあ、自分の非を認める奴は挙手してくれ!」部長は自分しかいない世界の中心でさけんだ。瞳をとじて


 目をあけている人間は呆気にとられていた。誰も挙手しなかった。部長は、目をとじたまま「そうか…お前、それにお前まで非を認めるのか、わかった…俺が…面倒をみてやる…」と一字一句を確かめるようにうなずきつぶやく姿は、まるで永久の眠りにつこうとする老人が老いた妻に何かを言い残すようであった。目をとじた部長の見ている世界が僕には僕らにはわからなかった。わかりたくもなかった。重苦しい沈黙は続いた。誰も口を開かなかった。目をとじた部長の眉間のシワは営業チームの置かれた状況の深刻さを物語っていた。


 やがて定時。部長代理、副部長。ひとりまたひとりとそれぞれがため息を残して会議室を去っていった。僕が最後になった。目をとじたまま考えるのをやめた部長の口から民族的なリズムはなくなり、別のうねりのような音が吐き出されていた。URY…URYYYYY…。会議室にいた皆が見て、知っている。瞳をとじた部長の右手が終始右胸にあてられていたことを。僕は消灯し、会議室のドアをしめた。「おやすみなさい部長様、また明日」ドアの向こうの闇から鼾、歯軋り、放屁。