Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

出社拒否していた上司があらわれた

 前回(id:Delete_All:20100826#1282797394) のつづき。行方不明になっていた上司が出社した。入院を理由に休み続け、病院名も教えず診断書も出さなかった部長だ。休んだ理由だけは覚えていたらしく、出社するなり、誰もきいていないのに右の脇腹を右手で押さえながら「傷口ンが…体力ンがまだン回復ンしてンねえ」と仏語調に呟いた部長の頭髪は、最前部こそ、油と皮脂で固めて巨大ダムを想わせる黒い壁を築き、その逞しさたるや、部長健在を誇示するかの如くであったが、全体的にはバーコードと呼ぶにはたいへんに心許なく、ダムに沈む過疎村の上空をまばらに走る送電線のように寂しげで、周囲に「老いられたな…部長…」と思わせた。

 部長は菓子折りを小脇に抱え、「迷惑をかけたな…お菓子のホームラン王ナボナを持参して社長に報告に行かねば…」といってから社長室へ向かっていった。声が小さく弱々しいのが、すこしだけ気になった。社長は夏休みだと教えようとしたが、先ほどとは逆側、左の脇腹を押さえているのを見て、やめた。


 行方不明のあいだに総務部長からウチの部長が会社に入ってきたいきさつを聞いた。僕のブログ(つまりここだ)の熱心な読者でもある総務部長はヤングな感性をもつ草刈正雄似の優男で、毎週スピリッツを読んでいると社内でもっぱらの噂の人物だ。そう記述するよう総務部長本人から言われた。総務の草刈正雄の話によると、得意先の親族である部長は、大変に難しい人物で、得意先の社長がウチの社長になんべんも頭を下げて頼んだ末にやってきたらしい。迷惑すぎる。ところが当人の部長はなぜか、ウチの社長から頭を下げられ請われてやってきたと思っているらしい。もうろくすぎる。


 総務部長は話の最後に僕に言った。「フミコ課長は部長以上しか出られない部長会議のときの営業部長の口癖を知っているか?」「僕は課長なので部長以上しか出られない会議のことは知りません」「彼の口癖はこうだ『俺は社長直々、三顧の礼で迎えられた男だ…』『まるで赤壁だな…この事業は赤字で燃えている…』」「めちゃくちゃな三国志三顧の礼っすね…」諸君らが愛してくれた三国志は死んだ!なぜだ!?


 ゴルフのスイングもない。貧乏揺すりは控えめ。両の眼はどろんと濁り、死んだメザシのよう。部長は驚くほど静かだった。ロングバケーションのあいだに少しは反省したのかもしれない。朝礼が始まった。朝礼のあとにはラジオ体操が続く。ラジオ体操の模範演技は課長の僕に課せられた仕事だ。「わ、わたくし御老、わわ、わたくし後藤、わわ、綿串仕事でゴザいりますか」突然、滑舌の悪い部長の訓示が始まった。


 「わたくしごとでございますが、一身上のご都合で…」辞めるのか…あれ…ブラインドから斜めに差し込んでくる日差しが柔らかく思える…辞めるのかついに。「約…おおよそ七日ほど入院していたのですが」 なんだ辞めないのか…誰かがブラインドを操作したようで日差しが一部遮られて陰になり部長だけに日差しが当たっているように…。休んでいた日数 八月五日から三十日と合わない…。「同室だった三十九才のガン男性…」!?泣ける話か、部長変わったな。「休憩所で顔を合わせた五十才の心臓病男性…」…なにが言いたいんだ…オチあるのか…周りがざわつきはじめた。「食事の文句で意気投合した七十歳の脳卒中男性…」


 部長の独白は続いた。「楽しかったレクリエーション…」「家じゃ見られない地デジ…高校野球…」「休憩所にあった囲碁、将棋、そして積み木…」病院で何をしていたんだろう?部長沈黙。薄目に微笑を浮かべ周囲を見渡す様があまりにもキモすぎた。それから部長は口を半開きにして数十秒静止した。いつもどおりのオチも内容もない話。らしい。僕はラジオ体操に備えて軽い跳躍をはじめた。揺れる世界で部長がぶるぶる再起動。


「それはさておき生きているのは素晴らしい!これからは一日一日を大切に真面目に生きていこうと思う!俺は生まれ変わった!これからもよろしくお願いします!とりあえずお土産のナボナをみんなで食べてくれ。王さんが宣伝していたお菓子のホームラン王を食べてくれ」話の前後は繋がっていなかったけれど確かにその言葉には、表情には、今までの部長にはないポジティブさと明るさに溢れていた。さながらそれはキレイなジャイアン。六語であらわすなら、まるで別人。邪気のない部長、それはそれでいいけれどなにか物足りないな、なんて跳躍しながら一瞬でも思った僕が馬鹿でした。


 部長が続けた。「今まではお前たちに合わせて林檎狩りのような甘い営業と指導をしてきたが、これからは顧客とお前らのはらわたをえぐるように、殲滅するように、徹底的に…どちらかがくたばるまでな。覚悟しろ!俺は勝つ!」


 の絶叫とともに両手で勝利のVサインをつくり頭上に掲げた部長は邪悪なカニのよう。そのまま咆哮した表情を凝固させてうんうん周囲を威嚇した。ブラインドから漏れる光と影が部長の顔面で交差して異形の生物のようだった。もしアンゴルモアの大王が本当にいるなら、こんな外見だろう。



「はらわたをえぐってやる!」


 跳躍しながら唖然としていた僕に部長は追い討ちをかけた。「ところで営業二課はまだ老人向けの食材を売っているのかあ?あの、あれだ、ゲロみたいなあれ。あ〜ん?」「二課の業務に口出ししないでもらえますか」と僕は言い返した。それがやっとだった。 ゲロ。部長はまったく変わってなかった。奴は生まれ変わってなんかいない。



間違いない。奴だ!奴が来たんだ!



間違いない、あれは部長だ。


 戦いはつづく。あれだけ僕とやりあったのに、また、福祉施設向けの商品を「ゲロ」と言うとはまるで効いていないのだ部長は。事業から手をひかせるだけじゃ駄目だ。奴は。完全に退席するまで、部長を叩く、徹底的にな。朝礼後のラジオ体操の模範演技中、最初の跳躍で僕は足首をぐきっとやって痛めてしまった。暗い近未来の暗示じゃないと思いたい、祈りたい、信じたい。