Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

僕らが殺したホームレス

 恋に似ていた。缶ビールを飲みながら夜道を歩いていて、ふと、そう思った。あの化け物あつかいされ忌み嫌われた男と相対したのも、こんな月の綺麗で風がさらさら吹く夜だった。

 二十数年前、僕の通っていた中学では一人のホームレスの男が話題の中心にいた。男は学校の周りを鎌を持ってうろついている、いってみれば危険人物で、ユゲ、と呼ばれていた。酒を飲んでいていつも身体から湯気が立ち昇っているから、というのがアダ名の由来だった。ユゲが学校の門の前にやってきて大声をあげるのを見たことがある。湯気はのぼっていなかった。誰かが牛乳パックをユゲに投げつけた。警官がやってきてユゲを連れていった。僕が煙草を一本灰にするくらいの、ほんの僅かな時間の出来事だった。

 ユゲは《猫や犬を捕まえては鎌で殺している》ともっぱらの噂だった。首チョンパにした猫、犬の両目に指を突き刺してコーラの瓶をピン代わりにボーリングをしているとも。《ボーリング場》になった深夜の海岸通りには幾条のラインが走り、翌朝、捨てられた猫と犬の首は赤黒い涙を流しているようにみえたとも。最も過激な噂は、《家族を斬殺して刑務所から出てきた》という物騒なものだったけれど、その噂をひろめている奴は、高橋名人逮捕説を頑なに信じているようなボンクラ内山だったので、《ユゲ殺人犯説》を信じるクラスメートはほとんどいなかった。内山自身にも、その巨根のおかげで抵抗勢力が多く《ユゲ殺人犯説》を信じてもらえなかったという噂が流れた。


 《猫殺しのユゲ》に関する物騒な噂は学校中を飛び交った。ユゲの目撃情報がひとつ流れるたびに十のエピソードが産まれた。海岸で猫を三匹同時に首チョンパ。犬の首を持って商店街を歩いていた(耳は鉄板で焼いた)。鎌からは血がてんてんと落ちている。主賓のいないパーティーのように無軌道な熱狂だった。「殺しをする奴は死刑だ」「ユゲをやっちまおうぜ」。そんなふうに海岸で寝ているユゲに石を投げつけた奴らは翌朝、勇者扱いされた。モテた。ユゲに関する噂のほとんどが、友達の兄貴の友達の知り合いの誰かが見た…適当な伝言ゲームの産物に過ぎなかった。


 真偽なんてどうでもよかった。あのころの僕らは、パーティーの熱狂に酔っていたのだ。退屈な僕らは、正義の盾のこちら側からユゲの鎌が、暴力が、自分たちにではなくもっと他の弱い反撃できない存在へと、《きちんと》《しっかりと》行使されるのを期待していたのだ。現代を生きる僕の耳に、人間の心の闇から生まれるような残酷で理不尽で原因不明の犯罪や出来事ははいってきて、病んだ心からとか、現代社会の歪みからとか、いわれたりもするけど、それはあのころの僕らの心のなかにあったものだと僕は思う。人は誰もがモンスターを飼っている。


 クラスの勇者になれない僕と仲間は、学校の熱狂を羨ましく疎ましくも思いながら、人類は1999年に滅亡するのにホームレス相手に小さいことをやっても仕方ないと強がり、死滅を前提にスタイルだけ刹那に生きていた。生きているうちにやりたいことをやっておこう。オナニーとか、子供向けのファミコンじゃなくて大人向けのパソコンゲームとか(パソコンを持っていた友達がいた)。「『ザナドゥ・シナリオ?』はスタートから鬼」「『サラトマ』がクリアできない」「『ロマンシア』『ハイドライド3』の凶悪な仕様」。ユゲと同等、いや僕にとってはそれ以上のバイオレントな存在が僕の行く先を阻んだ。かたぎのクラスメイトの知らないところで、モニターのなかで、僕も勇者になるために戦っていたのだ。実際、僕は学校の誰よりもユゲを嫌悪していた。汚らわしく、おぞましく。視界のなかに入れるのすら嫌だった。僕はよくこう言ったものだ。「ユゲなんてケツの穴みたいなもんじゃね?キタネエンダヨ!」。アナルという言葉はまだ僕の辞書にはなかった。学校の連中がユゲに構うのが不思議でならなかった。


 ユゲが現れなくなったのは冬のことだ。あてにならない噂によると海岸で凍死したらしかった。猫の飼い主に殺されたという噂もあった。ユゲへの熱狂はあっという間に冷めていって、ひと月もすると話題にならなくなり、やがて完全に忘れられた。ユゲは本当に死んだのだろうか?僕には確かめるエナジーはなかったけれど、これだけはいえる。「ユゲは去った」。居場所を見つけられなかった者、新しい場所を見つけた者は去っていくのだ。アニー・ホールがNYを去っていったのと同じように。ユゲは僕らの好機心が産み出し、きまぐれな僕らが大きくして、飽きっぽい僕らが殺したのかもしれない。あの現象は、夢中になった理由も、終わってしまった理由も、漠然として不明なまま消えてしまった恋によく似ていた。


 あれからかなりの月日が経った。酒を飲みながら、インターネットの向こう側にいる人たちに言葉を投げかける僕とユゲのどこが違うのだろう。あいつだって初めてプロバイダー契約をしたときの僕と同じですこしだけ寂しくて友達が欲しくて大声をあげていたのかもしれない。僕がインターネットで、あいつが校門なだけで、僕には幸運にも場所があっただけじゃないか?。ネクタイを外し、肩書きのはいった名刺を棄て、スーツを脱いでしまえば似たような顔をしているかもしれない、僕もあいつも。


 いちど、夜の街でユゲを見かけたことがある。秋の、月が綺麗な夜だった。僕は「投稿写真」と「コンプティーク」を書店で買い自転車で帰り道を急いでいた。飲料の自販機の前に電灯に照らされた蒼い影があった。ユゲだった。ペダルを懸命にこいで、その背中を通りこしていく際、僕は見た。猫殺しのユゲは猫だか犬だかわからないが小さい生き物に缶詰をやっていた。僕はその光景を誰にもいわなかった。僕も熱狂でおかしくなっていた。面白おかしく、安全な場所から、強くて弱いユゲを苛める側にいたかった。愉快な遊戯に水を差したくなかった。ときどき考える。もし、僕がその夜のことをクラスメイトに教えたらどうなっただろう、と。ひょっとするとユゲは姿を消さなくても、死ななくてもよかったかもしれない。今でも秋の夜空に浮かぶ月を見上げるたびに、僕のなかで罪の意識、苦々しい思いがよみがえる。