Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

爺ちゃんのビッグ・フィッシュ


 生前の彼を僕は知らない。四半世紀前に彼は、僕の祖父のホラ話の世界からやってきて、小学生であった僕を大いに当惑させたものだ。その幸せな当惑は昭和、平成と世の中が変わっても僕のなかにありつづけている。

 百歳になる僕の祖父が僕が子供のころよく話してくれた物語がある。爺ちゃんは箪笥から出してきた古い絵を広げてよく話したものだ。絵は貧相な鎧を着た武者が短足な馬に乗って走る様子が、稚拙なタッチで描かれていた。子供の目からみても格好悪い侍だった。いつもの話か…退屈している僕に構わず爺ちゃんは話はじめる。「鎌倉時代末期、武家の端くれであったご先祖さまフミコ太平サブローシローは…」

 
 足利氏が政権を握ろうかとしていた時代、足利氏に仕える武家であった先祖フミコ太平サブローシローは鎌倉の防衛に当たっていた。そこへ北国から北畠顕家という若くて強い武将が攻めこんできた。正真正銘の軍神である。手早い書類作成と人の良さで立身した大平サブローシローは恐慌した。任務は果たしたいが絶対に死にたくない。リスクは負いたくないが若くて有能な奴はムカつく。やっべーどーしよー。正真正銘の愚臣である。とりあえず馬をひいて出たものの相手は正真正銘軍神。一考したサブローシローは中途半端なポジションでやりすごすことにした。完全武装で戦意ゼロ。形勢が決まったらそちらの軍門に降ろうではないか。


 北畠軍は鎌倉の防衛軍を蹂躙した。鎌倉は即日壊滅。落ち着いた頃、太平サブローシローは北畠軍にへらへら近づいていった。すると血気盛んな北国の人間は太平サブローシロー一族に襲いかかってきた。サブローシローは逃げた。敵に背を見せて逃げた。鎌倉軍の敗残兵たちが見えた。一考した太平サブローシローは敗残兵に紛れて西へ落ちることにした。大平サブローシローはおつかれーっすと友軍に近づいた。すると大平サブローシローが戦に参加していなかったことを知っている友軍はサブローシローに矢を放ち襲いかかってきた。どちらの軍勢からも追われる身になったサブローシローは両軍から追撃を受け、散り散りになり、命からがら北陸や北関東へと落ちていった。


 爺ちゃんの絵には太平サブローシローの背中と愛馬・正露丸のお尻に矢がぶすぶす刺さっている様子が描かれていた。物語も絵も非常に格好悪く爺ちゃんが何を伝えたいのかわからかったし、どうみても文具屋で売られている画用紙に描かれていたものだから小学生の僕にもホラ話だとわかった。親父や従兄弟も冷めた目で、「爺ちゃんの話に付き合ってやれ」と僕に言った。


 物語には続きがある。茨城に落ちた太平サブローシローの子孫は刀を捨て手早い書類作成と人の良さを武器にたくましく生き延びていった。戦国時代、明治維新。動乱の時代を経て明治時代。大平サブローシロー八世はロシアとの戦争が始まったとき乃木将軍の参謀になっていた。手早い書類作成と人の良さを武器に後方勤務で地味に評価された。米俵をあちらへ百。こちらへ三百。油はなるべく再利用。退役したサブローシロー八世は、軍の後方勤務時代につちかった人脈で乾物を売る商売をはじめ、地味に成功して財を築いた。六世や七世からいやになるほど聞かされてきた鎌倉での栄光ふたたびとばかり鎌倉に小さな家を買った。数百年を経てフミコ家は鎌倉への帰還を果たしたのだ。軍服を着た男の写真を見せながら話をされてもドラマチックな英雄嘆でもないし、なにより爺ちゃんが僕に何を伝えたいのかさっぱりわからなかった。写真の男は外人だった。


 爺ちゃんホラ吹くなよと僕がいうと爺ちゃんは語を続けた。茨城に残ったフミコ太平サブローシローの末裔(分家)は地味に過ごしていたが、ひとり身体の大きな男を輩出した。人並み外れた体格と怪力でめきめき頭角を現し、角界にデビュー。二メートルに迫ろうとする巨体をそこそこに活かした地味な取り口で小兵ばかりを上手小手下手と投げ飛ばしついに大関に昇進した。今は引退して後進の指導にあたっていると爺ちゃんはいい大関の古い新聞記事をみせてくれた。


 その段になると僕はホラ話に付き合うのに飽き飽きして、格好悪い先祖の話やめてよと言ったものだ。爺ちゃんは、「格好いいとか悪いじゃない。生きて繋ぐ これが大事なんだ」と言っていつも僕の頭を上から掴むようにして撫でてくれたものだ。手は大きく、力強かった。


 先日の大雨で外れてしまった雨どいを直したあと、お茶を入れてくれた爺ちゃんが本当に久しぶりにフミコ太平サブローシローから続く我が家の物語を話してくれた。話のあとで爺ちゃんは僕に「坊主。小学校はどうだ?」と聞いてきた。もう、36歳だぜやめろよと返そうかと思ったけれど、爺ちゃんの真面目な顔をみて「まあまあだね」と言い、昔のように「やっぱウチの先祖格好悪いよ」と続けた。僕は待っていた。爺ちゃんの言葉を。


 祖父は100歳になった。こんなふうにときどき乱れてしまう。家族や祖父自身も、もうそろそろお迎えが、とか、百も生きられて…とか冗談まじりで言うようになっている。でも待ってくれ。なんでそんなに諦めがいいんだ?やだね。僕は。そんなのは。諦めが悪くしぶといのが我が血じゃないか。だから僕は祈る。祖父の調子がおかしくなったときに祈る。神様なんて信じちゃいないけれど祈る。神様、どうか爺ちゃんを連れて行かないで、と。そして誓うよ。我が家の、本当だか嘘だかわからない物語をこの僕が紡いでいくって。僕は、そうだな…東京ドームを満員にしたロックスターだったと曾孫に語ろう。それに「落ちていくフミコ太平サブローシロー」の図なら僕のほうがうまく描けるはずだ。


  小学六年の秋。爺ちゃんにつれられて遠い街のお葬式にでた。四半世紀も前のことなので葬儀がどこでおこなわれたのかは覚えていない。爺ちゃんの話に出てきた大関のお葬式だった。大関は大内山というアゴの長いオジサンになっていた。葬儀に出ていた人が何人か爺ちゃんに声をかけてきた。爺ちゃんも何人かに声をかけていた。数々の名勝負の話をしていた。僕はといえば、ホラだと決め付けて馬鹿にしていた爺ちゃんの物語が急にひょんなところから現実におりてきたみたいで、呆気にとられていた。本当だったんだ!ただ、あのお葬式のことを爺ちゃんに尋ねてもなぜかとぼけるし、不思議なことに、あのときの記憶のなかにいる人たちの動きがやけにスローモーションで、光景も境界がぼんやりとしている…もしかすると夢だったのかもしれない。わからない。


 勝手に祈ったり誓っている僕の前で祖父は言った。「格好いいとか悪いじゃない。生きて繋ぐ これが大事なんだ」座っている僕の頭をなでる力は昔と少しも変わらない。爺ちゃん、まだ生けるぜ。