Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

俺らの時代の愛


 小学校に通っていた頃、旗ふり当番っていうのか?生徒の親たちが交通安全のために、持ち回りで横断歩道に立ち、黄色い旗を振るルールがあった。上級生の親で、ひとり、厄介なおっさんがいた。横断歩道を渡っているとき、手をまっすぐに伸ばして挙げていなかったり、挨拶の声のボリュームが小さいだけで怒鳴るのだ。横断歩道の渡り直しをさせられたとき、僕は決定的にそのおっさんが嫌いになった。おっさんの家の前を通りかかると、ときおり、イメージどおりに、大きな声がしたり、なにかがぶつかって壊れたりする音がした。

 おっさんには、ごついおっさんには似つかわしくない、小柄で大人しい奥さんがいた。友達の誰かが、奥さんが怪我をしているのをみたことがある、という疑わしい目撃談を語ってからは、おっさん憎しの僕らのあいだで、おっさんは、恐怖のおっさんから、暴力おっさんへと変わった。奥さんはいつも元気がなかったし、垣根の隙間から僅かにみえる暴力おっさんの家はいつも障子がびりびりに破れていたので、おっさんが奥さんに暴力をふっているのは間違いのないことのように思えた。


 僕らは子供特有の無邪気さで爺さんのことを暴力、暴力と、半分遊び感覚でいっていたけれど、ある夜を境に僕はちがう立場からおっさんの暴力について見るようになった。理科の授業。それとも、科学雑誌か。とにかく何かに喚起されて僕と友人たちは、ある晩、流れ星を数えるために公園に集まることになった。吐く息の白い冬の夜だった。公園にいく途中にはおっさんの家があった。家は、夜の闇にとけてしまいそうに真っ暗で、垣根の隙間からみえた障子が、闇のなかでぼうっと紫色に浮かんでいた。


 僕がマフラーに顔をうずめるようにして早足で立ち去ろうとすると、道の向こうから暴力おっさんと奥さんがやってきた。挨拶しないと面倒なことになるな、と僕が構えていると、突然、ぼんぼんという鈍い音がした。冬の夜特有のしんとした空気にぼんぼんと、音は響いた。僕は驚いた。門の前で暴力おっさんが奥さんを殴っていた。平手で二回、奥さんを叩いたのを僕ははっきりと見た。普段は騒々しいおっさんが何も言わずに奥さんを叩く様は、異様で、恐ろしかった。僕は物陰に隠れて、おっさん夫妻が家に吸い込まれていくのをやりすごし、何もなかったかのように仲間たちと夜空を眺め、さっきみた光景をすぐに忘れられるように願いながら、流れ星を数えた。


 朝が来た。結局、誰にも言わなかった。ただ、恐かった。暴力おっさん、暴力暴力と囃したてていても、それは遊びの一部であり、あくまで暴力はテレビや映画の世界のものであり、ロボットやヒーローが飛び交うアニメのものであり、まさか自分のいる世界に、暴力が、ビーム光線などではないリアルなかたちで、自分の生活と繋がったところに存在することに恐怖していたのだ。おっさんが大声を出したり粗暴だったりして、ちょっと面倒な人だってことは、僕の親の世代にもよく知られていたみたいだったけれど、おっさんの暴力については誰も知らないようだった。子供だった僕は忘れることにした。やがて本当に忘れた。


 あれから四半世紀、なぜ暴力おっさんのことを思い出したかというと、風邪で会社を休んでいる僕に母が、あの暴力おっさんが倒れて手足が不自由になったと教えてくれたからだ。天罰だと僕は思った。病院へ行く際、母に訊いた。「あのおっさん、まだ奥さんと一緒にいるのか?」 病院の帰り道、爺さんの家を覗いた。縁側に、老人が二人、静かに座っていた。「あの夫妻ならまだ一緒のはずよ。もう結婚して五十年になるんじゃないかしら」と母は答えた。爺さんがゆっくり折れそうになりながら立ち上がり、それから、支えるようにして婆さんが立ち上がった。


 有名人のニュースに対する一般人の反応なんかに顕著だけれど、人は、人の生活を、面白おかしく推測し、弄ぶ。自分たちと異なる言動を価値観が違うから、という理由で非難する。爺さんは婆さんに暴力をふっていたのだろうか。僕は二人のあいだに暴力があったと信じているけれど、もしかしたら、あの夜はたまたまであって、そんなものはなかったのかもしれない。ひょっとすると二人のあいだに暴力を介したコミュニケーションが存在したのかもしれない。暴力が、二人を繋いでいたとしても、二人の世界を形成する重要なファクターであったとしても、愛があるなら、周りがあれこれいうことはない。寄り添うようにして立つ二つの影が証明している。五十年という歳月が証明している。


 二人の背後には真新しい障子が貼ってあって、ぽつぽつと小さな穴があいていた。孫だろうか。幼子が庭のどこかから飛び出して、二人の足もとで何か言った。婆さんのやわらかい声が何か言った。五十年、と口のなかで一口言ったあとで僕は、その時間の長さを想い、それから、父を亡くしてしまった母には、伴侶を支えたり伴侶に支えられたりする未来風景がないという現実に打ちのめされ、父をなじる言葉以外に、つづけるべき言葉を見つけられなかった。おっさんの怒鳴り声も、表情も、今はもう、ほとんど覚えていないし、いい印象なんてまったくないが、それでもあの、僕らを守ろうとして振っていたお節介な旗の、鮮やかな黄色だけは覚えている。五十年、父の代わりに僕が出来ることはなんだろう、そんなことを、ぼんやり考えながら、帰りに、とりあえずって和菓子を買った今日十一月十日は母の誕生日。