Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

象とオッサン


 「彼女」は奥まったところにただずんでいた。子供たちの声が僕の背中を走り抜けていく。誰も立ち止まらない。時の流れは残酷だ。30年前の彼女はアイドルだった。たくさんの人たちに囲まれていた。華やかで、世界の中心にいるようにみえたものだ。僕は親父の肩車から頭や肩越しに彼女を眺めた。彼女の名はインディラ。上野公園にいたメスの象。今は骨格標本となって博物館の展示コーナーにいる。インディラとの再会は偶然だった。たまたま友人たちと訪れた博物館でひとりはぐれ、目の前にあった案内をみて巨大な骨格標本が、あのインディラだと気がついた。骨格だけになったインディラはあの長い鼻こそ失われていたけれど、遠くから眺めたときよりもずっと巨大に見えた。そう感じたのは、インディラよりも親父の力強さ、肩車していた親父の肉感が印象強く残っているからかもしれない。親父はインディラをさして「俺とあの象はだいたい同じ齢だ」と言っていた。当時、親父と象は30歳そこそこだったはずだ。30年を経て肉は失われた。親父の肉体。力強かった肩。インディラの肉体。長い鼻。二人は骨だけになってしまった。つまるところ終わってしまえば骨なのだ。ただの骨。振り返られることもない骨なんだ。僕らは。だから肉があるうちに。この骨を肉が守っているうちにやっておかなければいけないんだ。出来ること、やりたいことを。36才になった僕が親父の形見の腕時計をして骨格標本になったインディラと再会している。あのときの親父とインディラより今の僕のほうが年長、オッサンだ。30年を飛び越えて大人が骨になり子供が大人になっている。なんだかおかしい再会だ。先のことはわからないけれど、もし僕が子供をもつことがあるなら肩車をして象を見せてあげたい。君のおじいさんもパパを肩車して象を見せてくれたんだって教えてあげるんだ。酒と運動不足で腐りかけている体だけれど、子供を肩車できるくらいには肉と骨を鍛えておきたい。僕は目をとじた。あの日、遠くにあった長い長い象の鼻と、手の届くところにあった親父のごつい肩が僕のなかから消えていないのを確かめるように。カメラもビデオにも残っていない想い出だけれど、何もいらない。僕の記憶がとらえていて、鮮明に、生々しく、僕が骨になるまで絶対に離さない。一緒に遊びにきていた平民君(id:heimin)に僕らの再会について話すと彼は「感動の再会じゃないですか。記念撮影しましょう」と言ってカメラを構えた。いつか、その写真、みせてもらおうと思っている。(完)