Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

お経の値段がわからない


 37年生きてきて祖父の葬儀の打ち合わせで葬儀屋の営業マンから初めて聞いたのだが、昨今ではキャバクラのような夜の店でも明朗会計がスタンダードだというのに、お坊さんのお経をあげたりや戒名をつけたりというサービスの料金というのは明確に決まっていないらしい。なんだか価格の高い安いはおいても、厳格に決められているようなものだと思い描いていたから、意外だった。もっとも、意外といっても、僕の日常生活は仕事やゲームやロックや女の子のことばかりで、お経のことなんて一瞬だって考えたこともなかったが。

「なかなかユニークなんですよ」と営業マンは言った。
「ええええ?そうなの?」


 僕はそのとき目前に祖父の葬儀を迎えていて一抹の不安を覚えていた。芥川風にいえば、僕の将来に対する唯ぼんやりした不安。具体的にいうと日本国憲法に定められた生存権、健康で文化的な最低限度の生活を営めるのだろうか、という不安、つまりは法外な金額を支払った場合、僕の生活は破綻してしまうのではないか、という不安。お金の不安。

 
そんな僕の不安をよそに彼は「宗派ごとではなくお寺さんごとに異なります。歴史や格式やそのときの雰囲気や性別によっても変わるかもしれません。高いお寺さんになると数百万円のところもあります」と続けた。僕が、ウチのお墓があるお寺の名前を教えると、彼は「あのお寺さんですか…」といって目安になる「法外な」金額を教えるとそそくさと席をたった。不安。


 通夜のあとで人様の金で酒を飲み肴を喰らいタクシーに乗って帰ったなまぐさ坊主め、若い未亡人にサービスの提供後に未亡人が到底払えないような金額を吹っかけ「支払えなければ地獄に…。いや、貴女の御身体をつかえば救われる道があります。ささ、はやく、私のスティッキー・フィンガーズを…」という魔法の言葉でぽぽぽぽーん、なんて、そんな悪行、僕ならやってる。


 で、お寺。目線をあわせようとしない婆ぁに通されたカビ臭い和室。法事などでの待合に使う部屋だろうか。窓から表をみると丸っこい黒い影がばさばさと飛び交っていた。コウモリだった。かねてからの「いくら払えばいいんだ」不安と、お寺に対して僕がもっていた暗い、辛気くさい、こわいというイメージ、それに加え、高校生のころテレビ東京で深夜オンエアしていた小柳ルミ子主演映画「白蛇抄」で後妻としてお寺にやってきたルミ子に欲情した寺の跡継ぎ杉本哲太がルミ子の下着の匂いをかいで股間にシミでオーストラリア大陸を描いたときに僕のなかで確固たるものになったエロ、淫靡というイメージが一緒くたになって僕の不安を煽った。それから到来したFコードをおさえられなかった以来の絶望感。


 住職がやってきた。「お待たせいたしました」齢は五十くらい、だが上焼肉、特上寿司を食べ続けたであろう肌つやは松屋の牛丼を食べつづける僕よりも若くみえた。住職の目はおだやか、しかし黒目の奥底には鋭いものがあって、僕は僕の心の底まで覗かれているような気がした。中学生のときに流行ったある噂。


「女子は男子が前の晩にオナニーをしたかどうかわかるらしい」


 ひと足早く大人になっていくクラスメイト女子の大人びた子供の僕を突き刺すような眼差しへの畏れ。住職のまなざしは僕にそんなことを思い出させた。住職…僕私俺は昨夜「弘前亮子VS巨根」という映像作品を鑑賞した煩悩の塊です…。


話を切り出すと、住職はフリスクを噛み砕いたような涼しげな様子で「お気持ちのままで…」と言った。金額をお告げのように明言してもらえると決め付けていた僕は動揺した。テーブルの上の器には鎌倉名物の鳩サブレーが三枚あった。鳩サブレーはどれも首のところでぱっきりと折れていた。こわすぎる。常日頃お経や戒名について考えているわけではないので金額の見当はつかない。


「それでは気持ちのままに、住職、三万円で…」と言いかけたところで住職と目があった。ハッとした。住職の細い目がすっと大きくなり、それでいて黒目からは光が失われていて、なんていうか黒一面になり本来人間がもつ感情というか温もりが失われていたからだ。池の鯉が跳ねる音がした。そしておとずれた沈黙。どうすればこの状況を突破できる?「白蛇抄」の杉本哲太のように高ぶった一物で障子を破ったように打開できたら…アナルでギョウチュウが騒いでいるように身をくねらせてうんうん悩んでいると、住職が大きな声で「渇!」。


「おじい様は法事のとき、いつも真っ直ぐな姿勢で座っていらして立派でしたよ…」と住職は言った。
「なんか、すみません」ただ、気圧された。


 結局、事前に営業マンから教えられていた金額を支払うことになった。軽自動車が買えるくらいの金額だった。まあ、いいお経だったし、払ってもいいか。門をくぐると脇にある駐車場からやってくる住職の奥さんと思しき女性とすれ違った。僕よりもずっと若いっていうか数年前までギャルやっていたような高いヒールの派手な女性。手には鳩サブレーのマークがはいった紙袋。車はベンツ。いいなあ。羨ましいなあ。この不景気でも僧侶の時代。羨ましいけれど、ちがう。僕にはもっと俗な生き方が似合っている。それから僕は、好き好き好き好き好きっ好き愛してる。臨済宗の禅僧をたたえる歌を歌いながら山を降りた。この夏は金欠で健康で文化的な最低限度の生活を営めそうにない。