Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

地震と我が家

 東北で大きな地震が起こって一ヶ月。連日新聞の「亡くなられた方々」欄にはたくさんの名前が掲載され続け、原発は危機から脱せず、漁業や農業などへの二次的な被害を耳にするようになった。僕が暮らしているのは神奈川で直接的な被害はなかったが、節電の影響で今も街は暗い。募金を呼びかける声も見かける。たくさんの人が命を落としたことに愕然とする。4月7日午後11時32分。揺れた。強い。中断/再開。こうして地面が揺れるたびに長い戦いに思いを馳せてしまう。かつて僕と僕の家族が直面した、地震という強く無慈悲なものとの抗争を思い出してしまう。

 16年前、阪神大震災が起こった。当時も神奈川に暮らしていたので一次的な被害はなかった。だが父は死んだ。自殺だった。遺書はなかった。けれども自分で仕事をしていた父が疲れきった顔で「神戸の得意先が潰れちゃったよ」と言うのを母が聞いていたので、将来を悲観して命を絶ったというのが家族みんなで出した結論だった。事後に父の書き込みのないスケジュール帖に神戸行きの新幹線の券が挟まっていたのを見つけたときは胸が潰れそうだったものだ。「地震が父を殺した」。いつしか僕はそう思うようになっていた。


 僕の家が完全に立ち直るまで三年かかった。助けてくれる人たちに恵まれたから三年で済んだ。もしかするともっと長い時間が必要だったかもしれない。5年。あるいは10年。ただただラッキーだった。今回の地震で家族や大事な人を喪った人も多いはずだ。今はまだ悲しみで愕然としているかもしれない。頑張ろう。信じてる。そんな応援メッセージが何の役に立たないのを僕らは知っている。でも。けれども。僕らは言葉を送る。なぜなら言葉がもつ力を信じているから。言葉は神だ。今は駄目でも。いつか。そのうちって。全員血液B型、いい加減でちゃらんぽらんな我が家も持ち直せたのだから、我が家よりもずっと辛く、長いかもしれないけれど希望はある。大丈夫、絶対に。でも今は上を向いて歩かなくたっていい。足もとを見て足がちゃんと地面に立っているところを見て安心して泣きたいだけ泣いて、それから歩けばいい。


 あれ以来、日本の美しい風景がときどき憎らしく思えるときがある。観光旅行が嫌いになった。それでも我が家では「地震や津波に遭ったわけじゃないのに、お父さん、あれくらいで早まって死んじゃって馬鹿みたいだねーっ」なんて冗談が飛び交う。笑う。辛かったあの頃を振り返って。そうやって言葉で語ることで希望を灯せるようになる。今だけでなく過去にも。地震で死んでしまった父の人生の最期が悲しいものだったからって父の人生全部が悲惨だったわけじゃない。ほとんどは馬鹿で愉快な人生だったんだ。僕の知る限りは。死んでしまった人のぶんまで生きなくていい。生きるとか命って自分の分だけでも重いものだし。だから楽しもう。死んでしまった人が天国からうらやむくらいに楽しもう、僕はそう思いながら生きている。希望はある。生きてりゃ。