Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

窮地に追い込まれたあなたを救う魔法の言葉


 某日、ランチタイム、巧みな間接照明とスピーカーから流れるノラ・ジョーンズやアーハでイケてる感を演出した和食屋。刺身定食がやってきて、さあ食べようと割り箸をぱっきりやったときに愛用のらくらくホン携帯がびりびりバイブって液晶画面をみると部長の名前、即座に今朝も酷かった部長の口臭が思い出され…食欲減退しながら通話ボタンを押す僕は三年目の課長。部長は夕方に予定していた月次定例営業会議の無期延期を告げた。

 理由は恐ろしいものだった。部長、曰く「今、○×社の中村さんと一緒に飯を喰っている…商談が弾んでかなわねえよ…飯を喰いながら契約をキメるかもしれねえ…ビジネスは、いってこいのツーペー生き物だからわからないがファクシミリやファミリコンぴゅう太ではこうはいくまい…」「中村さん!?」。大きな声が出てしまった。僕の前に当の中村さんがいたからだ。部長、まさか、中村さんのドッペルゲンガーと??


 日頃からよくしていただいている○×社の中村さんからランチをしながら仕事のはなしをしようと誘われて会っていたのだ。中村さんは僕の方を見て「なに?」声に出さずに唇を動かす。手で制止しながらさっと店内を見回し部長をサーチ。いない。「○×の中村さん…ですよね?今、私…ご一緒して…」「ゴイッショしてるって言ってるだろう?今、俺らは焼肉屋にいるのだが…」中村さんはダイエットをしており肉や油…ヘビーなものは出来るだけ避けている。お酒も厳禁だ。仕事の面でお互いに歩み寄れそうだと確認できて、さあ飯という矢先の部長の電話だったのだ。「中村さんが焼肉…」当の中村さん、両手で×をつくって今にもエックスジャンプを決めそうだ。膳にのせられたマグロが紅(くれない)に燃えていた。


「商談が弾みに弾んで向こうが酒をっ!飲もうっ!ってきかねえんだ…」「中村さんが酒を飲む…」「参ったよ…仕方ねえから最後まで付き合うわ…よって今日の会議は泣いて馬肉を食う思いで延期だ…」。確認するつもりで「○×社の」、「中村さんと」、「お食事」、「ですね」。言葉を切って尋ねた。「ちがう…」部長はいった。よかった…部長にも良心は残っていた…ほっとしていると部長は言葉を繋げた「食事じゃない。接待だ…」「中村さんを接待ですね…」「だな…」


 通話を終えると事情を察した中村さんが大変ですねと言った。「中村さん、ウチの部長と面識あるんですか?」「ありませんよ…?」味噌汁はさめていた。


 数日後。


 今日は部課長会議だった。この会議は社長と文字通り各セクションの部長と課長だけで構成されていて、たとえば部長課長間の立場である部長代理、副部長、副長、室長、次長、次長代理は出席することができない、威厳があるのかないのか、存在意義があるのかないのかわからない会議だ。


 その会議の終盤、部長が、報告事項が御座います。先日担当者と杯を交わした結果ですがと前置きし社長を見つめながら「○×社〜と〜の〜契約は〜取〜れそ〜うで〜す」君が代を歌うような調子で報告した。僕は動揺した。部長ついに狂ったか?


社長は部長に経緯の説明を求めた。「その意味ではあれなので営業の原点にたちかえって私の右膝と客の左膝、同様に私の左膝と客の右膝を合わせて酒酒酒」。意味がわからない。そりゃそうだ。部長の難解な説明に業を煮やした社長は僕に説明を求めた。僕は、○×社の中村氏とマンツーマンで会食をしたことを強調して、○×社との折衝がうまくいっていること、しかし正式に契約を結べるかどうかは今後の提案にかかっていると言った。最後に部長がうなずきながら付け加えた。
「だな…」

 社長は満足したようでそのまま会議はお開き。結局、焼肉と飲み代は部長と僕が中村氏を接待した費用とされ経費で落とされた。刺身定食代は自腹であった。すべてを包括して我が物にする魔法の言葉「だな」でぽぽぽぽ〜ん。だな。