Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

THE END OF 島田紳助

 以前勤めていた会社の同僚タニグチに会った。タニグチは同じ営業部に所属し苦楽を共にした仲だ。僕は退職したが彼はまだその会社で頑張っている。島田紳助の話題になった。「昨日の引退会見であの人を思い出さなかったか?」「思い出した思い出した」。あの人とは僕らの上司だったコーダさん。コーダさんは厳しく、それでいて涙もろいところがあり、島田紳助を想わせる人だった。そして紳助がそうであったように、コーダさんもよろしくない人との繋がりを噂される人だった。

 コーダさんの下で働いていた日々は過酷だった。営業の仕事は常にノルマ、数字を意識せざるをえないけれど、僕らは、数字に加え、いや、それ以上にコーダさんという存在を常に意識して行動しなければならなかった。日々のノルマを達成できないときの胸ぐら掴み、罵声、鉄拳制裁は日常茶飯事。鉄製灰皿が飛んでくることもあった。灰皿をUFOと呼んで茶化していた連中に笑顔はなかった。コーダさんの口癖は「機械になって俺の言うとおりにやればいい」。事実、コーダさんに率いられた営業部は脱落者を出しつつ目覚ましい実績をあげていた。


 その実践はこんな調子。アポイントを取った客先で「入り電」をする。普及しはじめたばかりのケータイで日時、名前と客先名、訪問の目的をコーダさんに報告する。報告が終わると通話状態のケータイをそのまま胸ポケットに入れ商談に臨む。そしてコーダさんが決めた営業トークを一字一句そのままその場で再生する。一字でも間違えると、胸ポケットで聞いているコーダさんから事後報告で怒鳴られ夕方のミーティングで胸ぐらをつかまれた。


 コーダ営業トークは相手の反応によって対応トークが分岐していくので一字一句間違えずに再生するのは至難の技だった。商談が大きく脱線し胸のケータイから小さい怒鳴り声が聞こえたときは血の気が引き目眩と吐き気。コーダさんは営業チームに同じ日時にアポイントを入れないよう厳命していた。すべてを監督するためだった。


 飛び込みローラー営業のときもコーダさんは容赦なかった。5〜10人の営業チームが対象エリアに散らばり飛び込みを始める。もちろんケータイは通話オンで胸ポケット。コーダさんは抜き打ちでケータイから監視していた。事後、事務所に帰るといきなり怒鳴られた。訪問ノルマは達成。理由がわからなかった。理由は雑音だった。コーダさんは、訪問先から訪問先に移動する際の音が静かすぎる、走って移動すれば雑音や息の音がするはずだと指摘し書類で僕の頭をはたいた。万事そんな調子だった。


 面倒見のいい人でもあった。怒鳴り終わると飲み屋や風俗街。給料日間近になると食事をご馳走してくれた。コーダさんは型破りな独裁者として君臨した。コーダさんに率いられ数字を出し続けたおかげで、評価され、給与も上がった。その裏で脱落者は絶えなかったし穴を埋める人員も長くは続かなかった。残った僕らには、コーダさんの人形にすぎなかった僕らには、蓄積すべき技術も経験も残らなかった。逃げ場はなかった。監視と指導で疲れ果てていた。


 突然コーダさんが辞めた。得意先との個人的な金銭トラブルが原因だった。個人的な金銭貸借を上層部に社規違反だと指摘され、島田紳助のように、部下にしめしがつかないと言って辞めた。金の貸し借りはたった一万円程度だったときいた。かなりキナ臭い話だった。コーダさんは社内で目立ちすぎて潰されたということになっていた。僕もタニグチも10キロは痩せていた。コーダさんみたいな上司にはならないようにしようと誓いの酒を飲んだ。すぐに新しい上役がやってきて地獄の日々は終わった。


 今だでこそ僕は思う。いくら優秀で力があってもコーダさんは所詮トカゲの尻尾だったのだと。火がついてしまった尻尾は本体を守るために切り捨てられる。やがて忘れられる。僕には島田紳助もトカゲの尻尾に見えてならない。火がついて。切られて。ハイさようなら。


 さて。今、僕はあの頃失った肉を取り戻したうえにプラス10キロ、メタボに片足を踏み入れつつある。タニグチは、コーダさんがいなくなった会社に残ったタニグチは、まだ痩せていた。あの地獄の日々は終わったはずなのに?タニグチは言う。


「マイったよ。三年前から営業の長を任されているんだけど、部下が全然出来なくてさ。俺が教えたことをそのまま客に言えって命令してもダメなんだよ。毎日怒鳴ってばかりでさ。覚えてるかUFO。昨日もUFOで部下の頭小突いてやったよ」


 トカゲの尻尾は何度でも生えてくる。もしかしたら紳助も。


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