Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

結婚パーティーにて

 「ざっ、さ、最後にぃ…」極度の緊張で部長の声が震えていた。「最後に…私事になりますが、長年連れ添った妻と先日、無事、協議離婚が成立したことをお伝えして新郎新婦への御祝の言葉にかえさせていただきます…」。同僚が企画してくれた僕の結婚祝賀パーティー。部長からの御祝の言葉。拍手が無いことに業を煮やした部長は、陸上の世界大会で跳躍系の競技の選手がテンションをあげるため観客に拍手を促す際に見せる、頭上で両手を大きくゆっくりと叩く仕草をしながら席に戻った。しんと静まりかえった会場に部長の拍手は、ぱーんぱぱーんと、遠雷のように響いた。

 「つづいて新郎のこれまでの人生を…」気まずい空気を誤魔化すように司会担当が、結婚式でよくある、秘密裏に新郎新婦の家族に協力してもらい製作される、「思い出アルバム」を流し始めた。会場に、子供の頃の写真がスライド風に編集され、流れた。バックミュージックに使われていた坂本龍一「energy flow」の荘厳な、荘厳すぎる曲調が「お悔やみ」感を醸し出していて、事情を知らない人からみれば、僕のスライドは故人を偲んで製作されたもののように見えたかもしれない。


 四角い光のなかに懐かしい光景が映し出されていた。リフォームする前の家。昔飼っていた雑種犬のタロー(初代)。時折のテロップ。「誕生」。「3歳」。「幼稚園入園」。写真がかわるたびに会場からあがる「今と全然ちがう〜」「かわいい〜」「ヒゲがない!」という声を僕は複雑な思いで聞いていた。先日の深夜、寝ぼけて、ノーブラ姿の母さんが夜なべをして古いアルバムを引っ張り出していたのはこのためだったのか。乗客名簿に無駄なノーブラはいませんでした、いませんでした。


 嫁さんになったばかりのシノさんが囁くように言った。「オヤカタサマ…萌え…子供の頃のお顔が凛々しすぎます…長い年月で変わるものですねえ」。「認めたくないものだな若さ故の過ちというものを」「それなんですう〜?」「シャアです」。若いころの両親が一緒に映っている写真もあった。ノーブラおばちゃんに成り下がってしまう悲しい未来をまだ知らない、海岸で不純異性交遊に興じるビキニ姿の在りし日の母。二十年前に天国へ旅立っていった父の若い姿。


 不思議な感じがした。今の僕と同じ三十代後半の父が、同年代の友人のひとりのように、僕を、息子を、祝福するように笑っている。写真のなかで。記録によって再生される記憶、そして補完される物語。言葉は神。僕らは神たる言葉の力を借りて物語を紡ぐことができる。不幸にも訪れることがなかった愛と希望に満ちた未来を。物語のなかでなら。


 会場から写真のなかの父と今の僕が似ているという声。写真のなかの色黒の子供が僕とは別人のようだという声。そうだよ。僕のなかで、僕と共に、彼は生きている。僕に流れる血が証明している。きっと僕も僕らの血がつづくかぎりは生きつづける。物語は繋がっていく。僕に子供ができたら…。君に語ろう。パパとよく似た顔をした天国のおじいちゃんの話を。おじいちゃんは絵がとても上手だったんだよ、オナラが猛烈にくさかったんだよ。そそっかしいおばあちゃんの話を。写真のなかでかつての僕の家族が笑っている。父。母。弟。そしてフレームで半分切れてしまってる僕。母が僕の子供のころのものとして提供した写真は、すべて弟のものだった。


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