Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

あの頃女王陛下のオッパイと


 イヤフォンから流れてくるレッド・ホット・チリ・ペッパーズの「ノック・ミー・ダウン」。フリーの跳ねるようなベースラインが、はかどらない仕事のあとの重い気分を和らげる。追い討ちをかけるような残暑。熱いだけの太陽。眩しいだけの空から落ちてきた駅前の黒いビルディングの陰は小さい。陽射しを逃げるように駆け込んだファーストフード。そこで僕は彼女と再会した。

 記憶のなかと同じように笑わず無愛想で、記憶よりも少し老けた彼女を僕は女王陛下と呼んでいた。そして僕は、オッパイ星人の僕は、彼女が、ぺチャパイの女王陛下が、嫌いだった。大嫌いだった。笑顔を見せない女王陛下が。女王陛下はファーストフードの制服に身を包んでいた。何やってんだよ。思わず言いたくなる。


 彼女とは大学時代、刑事訴訟法ゼミで一緒になった。何の考えもなく法学部生になってしまった僕と目標を見据えて法学部生になった彼女とはゼミについての考えが合うわけがなかった。就職への足がかりと与えられる単位が目的でゼミに入った僕は必要最低限の熱意と努力と時間だけをそれに捧げていた。


 彼女はそんな僕が許せなかったのだと思う。僕らの意見や議論は平行線を辿り、僕らの言葉は持ち主を離れて彷徨うだけ彷徨うと古い講堂の染みに沈んだ。ゼミ長でもあった彼女は自分の考えと信念を確認するかのように、同じような姿勢でゼミに向かうよう皆に望んだ。強いた。彼女は正しく、真面目で、真摯。僕と同族の仲間たちは敬意と、それ以上の皮肉をこめて彼女を「鉄の女」「ぺチャパイ・サッチャー」「イシダアユミ」「女王陛下」と呼んだ。彼女自身はにこりともせず「いいんじゃない?私は王の命令と書いて玲子だから」といって取り合わなかったけれど。


 就職が決まり、卒業の見通しが立つと、残り僅かな自由を満喫したかった僕は卒論以外のことには出切るだけ手を抜くようになった。ゼミも例外ではなかった。女王陛下は就職活動もせず夢である法曹の世界に飛び込む準備をすすめていた。秋。大学の図書館で彼女と投げかけてきた言葉は今も印象に残っている。


 リリースされたばかりのレッチリの「ワン・ホット・ミニット」をCDウォークマンで聴き、「このアルバムにはハマりそうもないな」と思いながら、ポケット六法と判例集を駆使して体裁だけ整えた卒論の草案をちまちま原稿用紙に書いていると分厚い六法を胸に抱えた彼女から声をかけられた。愛想のない声。「どう?」押し付けられ、ただでさえ貧相なオッパイがさらに貧相に潰れてちまう。そんな、どうでもいいことを考えていたせいか、どんな会話を交わしたのか、まるで覚えていない。ただ、話の最後に女王陛下は僕のことを「自由ね。君は強いよ」と言ったこと以外は。


 就職した僕は営業マンとして春夏秋冬朝から晩まで駆け回った。自分自身のパロディのように。休日はアダルトビデオを観るだけの時間に堕落した。通販でモザイク除去マシンも買った。ベータ対応のマシンは僕のVHSデッキには繋がらなかった。販売会社への電話も繋がらなかった。僕がエヴァの劇場版を見るために何度も劇場に足を運んだり、モザイクの向こう側と想像力を武器に闘争しているうちに、女王陛下が年上の恋人とのあいだに子供ができて結婚したという話を誰かから聞いた。勉強は続けているとも。そして僕のことを「ロックとか言ってたわりに意外と普通に落ち着いた」と評しているとも。僕と女王の立場は逆転していた。陛下。自由なのはお前だろ。強いのはお前だろ。陛下。


 何年か経って女王が子供を連れて離婚したと聞いた。目標も諦めた、とも。僕は共通の友人に会うたびに「大変だね。どうするんだろ」と話した。大変だねと言いながら真実に近づこうとせず真実以外のものを何でも信じた。彼女が嫌いだったから。ザマーミロ!って叫びたい気持ちってあるだろう?キリストでも仏陀でも富豪でもないギリギリ善良な市民てところの僕は妬み嫉み嫉妬もろもろのマイナスの感情から、それが事実なのかは関係なく、ただ女王陛下の転落の傍観者であり続けたかったから。女王は家賃滞納で追い出されたらしい。堅物ぶりが災いして職場で苦労している。悪い男に騙された。こんな噂たち。


 気付いていた。僕らは同じだってことが。人生とは平凡というか割りと薄っぺらいものだ。僕らはそこにドラマティックなものを求めた。正しいとか、間違っているとか、まあそういうものはあるのだろうけど、そういった判断、かくあるべし、理想にとらわれすぎてしまうあたりは同じだった。それぞれの、ロックンロール、だった。もしかすると僕らは世界中に笑われているのに気付かない世界一のマヌケだったのかもしれない。時間はかかったけれど今はわかる。僕は薄っぺらい人生をサバイブする。それからまた何年か経ち、女王陛下のことを思い出すこともなかった。なぜなら僕は彼女が嫌いだったから。


 今、カウンターの向こうに制服を着た女王陛下がいる。目尻に刻まれた皺。僕はメタボ体型によれよれのスーツ。15年。お互い大人に…なりすぎた。僕らが過ぎた時間を忘れたとしても時間は僕らを忘れない。まだ女王陛下に謁見できる準備はできてないけどやりきれてないけどこういうつまみ食いみたいな再会だってありだろう?まだ死んではいない。今、この瞬間を、僕は、俺は、サバイブしてるってことを示すだけの。僕は彼女が嫌いだ。生き方だって評価できない。今は。まだ。彼女もまた僕と同じだろう。今は。まだ。


 僕がハンバーガーを注文すると彼女は笑った。はじめて見たその笑顔はひきつっていて、正直、不細工だった。でも僕はその不細工さに場陛下が越えてきたいろいろなものが見えたような気がして、いいな、と思った。僕の耳では古いレッチリのアルバム「母乳」のファンキーなチューンが鳴り続けていた。僕の未来のその先、生き抜いた先に彼女を好きになれるようなシークレットトラックが待っているといい。ベイビー、そう祈るよ。女王陛下のオッパイは別人のように大きくなっていた。信じたい。科学力ではなく母性で大きくなったのだと。


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