Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

生きがい探しはロック的な破壊活動


 ロック、ロックと言いながら人道外道国道県道市道私道、道という道に唾を吐いて生きてきたが、夏の結婚以来キンタマの如く丸くなってしまい、栗原はるみ先生のレシピ本を読みながら生きがいについて考えてたりなんてしている。だが肝の生きがいがわからない。生きがいとは何ぞや? 藁をもつかむ思いでパソコンを叩きGoogleで「生きがい」の動画を調べても「GLAY(日本のロックバンド)」が上位にあらわれたりしてますますよくわからない。わからないものを探求するのが人間の性質なので人々が、生きがい探しをするのは合点がいくが。


 ってくだらないことを考えながら美木良介のロングブレスダイエットを試すなどして日々を無駄に過ごしているうちに我が家の庭の一角が荒廃しているのに気づいた。春に死んだ祖父が倒れるまで面倒を見ていた庭。チューリップや紫陽花。僕ら孫が喜ぶといって世話をしていた蜜柑の木。虫が出る。影が出来る。母から文句をいわれても頑なに守った蜜柑の木。タンクトップで庭いじりをする祖父の姿はいつだって僕の傍らにある。「登るか蜜柑の木!」。僕が三十路過ぎても蜜柑の木のことを嬉しそうに話してたっけ。「お前の子供が登って遊ぶまで」って何歳まで生きるつもりだったんだろう。嬉しかったな。その祖父ももういない。そういや亡くなる際の祖父に「庭のことは俺にまかせとけ」と言った言ってた僕。祖父は「頼むな」と言って僕の手を握り、二人で泣いたのだ。すっかり忘れてた。ワリーワリー。


 「生きがいクラブ」(仮)というご高齢のグループの方から話をいただいたのはそんな折りだった。リーダー的なお爺さんによるとリタイアした有志で様々なボランティアをしているらしい。祖父の知り合いがメンバーにいて荒廃していくウチの庭に胸を痛め、我が家の玄関のドア脇、平均的体格成人男性の肩より若干低位にあるドアチャイムを押したというシンプルな経緯をリーダーは30分かけて説明した。庭の手入れをしてあげましょう。雑草を排除しましょう。という申し出を断る理由が僕にはなかった。ましてや祖父の知り合いたちである。祖父も喜ぶであろう。蜜柑の木だけは手を入れないよう話をして僕は祖父孝行のような顔で二階にあがりロングブレスダイエットに勤しんだのである。


 夕刻、リーダーの声がして庭に出た。驚いた。庭がなくなっていた。主にグリーンが。まるで砂漠。蜜柑の木は十字架のように立っていた。祖父の植えたチューリップも紫陽花もなくなっていた。何もいえず寒風にヒートテックを着て立ち尽くしていると、リーダーの人が悪びれずにどうです?と言う。リーダーの後ろに並ぶ高齢者もやりきった実にいい感じの顔をしていて僕は言葉を失う。って顔面をしつつクレームを入れる先は市民課か、それとも福祉課か、思案していた。


 その思案もそこにいた爺さんたちの口を衝く「楽しかった」の言葉と、その顔、顔、顔が、1998年の冬、嫌がるのを強引に横浜アリーナまで連れていったエアロスミスのライヴのあとの祖父の、楽しかった、と言った顔に重なって、なくなってしまった。祖父なら笑って許すはずだ。蜜柑の木の下で僕は笑う。爺さんたちも笑う。これから僕が植えればいい。作り上げて壊してまた作り上げるのがロックンロールだろう。そして人生も。生きがい探しも。そういや生きがい探しを平仮名で、いきがいさがし、と表記すると「いきものがかり」(日本のロックバンド)に酷似しているので案外ロックンロールと生きがい探しは近いものなのかもしれない。って強引なつなぎをしないと誤魔化せないほど本当はムカついたんだけど、まあこれからも、難しいかもしれないけれど、爺さんたちが僕のようなゆるい人物に出会い続けて、トラブルに巻き込まれずに、草でも花でもムシッて楽しく元気でいてくれればいいし、そうなってくれることを僕は祈っている。



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