Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

アフター311


 「3月3日にくたばってくれてよかった。3.11を目の当たりにしたら死んでも死にきれないだろ?」 祖父の話題になるたびに僕はそう言って笑う。そういうとき、声を潜めて「そういうことはあまり大きな声で言わないほうが…」と諌めてくる人が少なからずいて驚く。実際に震災に遭われた方、津波で亡くなられた方に配慮して…というのがその根拠。百年生きた元漁師の老人の人生の最後に、あの惨事を見せたくなかっただけだ。神妙にしていないと駄目な風潮は、わからないでもない。ただ、僕のように被災を免れた人間が、被災された方の悲しみに寄りそって、悲しい歌を歌うような行動をとることに何の意味があるのだろう。悲しみのロールプレイング、コスプレにすぎないんじゃないか。この世界は悲しみが覆いつくすにはあまりにも狭いけれど、人が地上を覆う悲しみをひとつひとつ、一歩一歩癒していくには広すぎる。それならば、さいわいなことに被災していない、かの地に血縁や知人もいない僕に出来ることは悲しい歌を歌うことではない。グリーングリーン。ドナドナ。悲しい歌は平穏な時間のなかで悲しいという感情を忘れないようにするためにあるだけだ。涙を流すよりも、血液をめぐらせて頭と身体を動かすべきだ。311直後の日曜、僕は友人と新宿で「仙台大変だよね」「頑張って美味しい牛肉を生産して欲しいよね」と言いながら牛タンをムシャムシャ食べていた。僕は信じている。か弱い人間のたくましい営みを、神である言葉で物語に紡いでいけば明日はひらけると。悲しい歌を歌うかわりに、命を落とした人たちが育てた肉を食らおう。多くの命をその腹におさめたかもしれない海の幸を食らおう。喪ったものを食らって血と肉にするくらいの逞しさをみせて。タフに。サバイブを。そこに悲しい歌を歌うセンチメンタルがはいる余地はない。アフター311を僕らは生きる。生きるしか、やるしかないんだ。


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