Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

立場を守るためという生き方


 今年最後の営業会議には胃が痛くなる重苦しさも目にしみるような煙草の煙もなかった。禁煙中の社長が出席されたからだ。昨今の山登りブームに乗り、山にご熱心な社長は「そんなことよりも」つって仕事の話を打ち切って山談義。社長デザインの山登り会Tシャツの御披露目。どの保険会社のセールス姉ちゃんとどこの山を登るかについての意見交換。等々。「あのスケは尻はいいんですけどね尻が。顔まで尻みたいなのがなぁ」。呆れている営業部員のなかで部長だけが真顔に応じていた。くだらない。仕事しろ。僕はコーヒーの香りに精神安定の効能があるよう祈りながら、苛々を抑えるよう静かにカップを口元に運んだ。


 営業会議のコーヒーは経理部のベテラン女性社員が担当している。コーヒーセットからコーヒー豆の銘柄まで、彼女がひとつひとつ吟味してセレクトしているという話をきいたとき、プロの仕事だな、感心した記憶がある。その彼女にコーヒーをお願いしようとしたが姿が見当たらない。会議の時間が迫っていた。コーヒーと煙草の煙がないと会議気分にならないと常日頃言っている部長の念仏のような陰湿なトーンの声が脳裏をかすめた。仕方ない。彼女にはいつもコーヒー世話になっているし、年の最後くらいは自分でやろう。感謝とサービス心から自分でコーヒーをいれた。こだわりの豆からひいているはずのコーヒーがインスタントであったのは見間違いだろう。顆粒状に見えたがあれは豆だ。誰がなんといっても豆なのだ。彼女があらわれた。彼女の意外な言葉と行動に僕は驚いた。


 「人の仕事を勝手に取らないで!」 と大きな声で彼女は言った。それから、驚いたことに、彼女は僕の手からコーヒーを乗せた盆を奪い、あたかも今、自分でいれたかのような顔をして会議室に向かっていった。取り残された僕は、僕が彼女から奪ったものについて考えていた。多分それは立場だ。居場所だ。もし彼女のいう「仕事」であれば、僕の仕事、僕のいれたコーヒーを入れ直すなり、時間的に難しいのであれば、精査したりするはずだ。彼女からは、自分の仕事に対する誇りはうかがえなかった。彼女は仕事ではなく立場を守ったのだ。


 会議は混迷を極めていた。社長デザインの、ぐちゃぐちゃした吐瀉物を思わせる背景に、擬人化デフォルトされた山脈君がマワシをまいて汗をかいているという稚拙なタッチで描かれたイラストレーションがプリントされたTシャツで盛り上がっていた。さすが社長。なかなかこれは描けない。価がつけられない(注3800円外税)。どういう心境でこれを?営業マンはトークが武器だ。そんな奴らの誉めているかどうかわからない賛辞に社長は満更でない様子だ。「山脈君は16になる孫娘が描いた。その他は私だが」。唯一識別可能な山脈君が社長の手によるものでないことが悲しかった。部長絶叫。「このイラストをわずか6才のプリンセステンコーが!これは中学生じゃないと描けませんよ!」。


 皆がみな立場、居場所を守っているようにしかみえない。それは構わないが仕事しろ。くだらねえ。部長なんぞ「社長…この難解なところはピカソ、未完成な感じはガウディの建築ですな…なあみんなガウディだよな!」と泣きそうな顔で部下に同意を求めたり、一人だけペルソナを演じることなく、ガチで立場を守ろうとしている。みんな即席で、クソだ。立場ばかり気にして、山だ、Tシャツだ、くだらない。仕事しろ。僕は仕事で居場所をつくりたい。


 社長が白けている僕を見つけて言った。「課長もTシャツ買うんだよな?」悪魔の囁き。馬鹿にするな。僕は言った。「特に欲しくないので300円でいいなら一枚だけ。色はブルースで」。僕がいれたコーヒーはインスタントでも思いのほか旨かったりするので、油断すると楽な方に流されてしまいそうになる。けれども僕は、多少居心地が悪くなろうがインスタントな生き方はしたくないと思う。


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