Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

林檎

 林檎が届いた。青森にいる友人からの結婚祝いだ。彼とは大学からの付き合いになるのでかれこれ20年になる。僕が就職する一方で、彼は卒業以来15年間、「小説を書きながら資格を目指す」といって定職に就かず、三十路を迎えても一発逆転のリッチ生活を狙って、長年の不摂生がたたり、一昨年の春に身体を壊し、青森へ帰っていった。今は中学生を相手に塾講師のアルバイトをしている。
 青森へ帰る前日、彼と飲んだ。「いつまでそんな生活をしているんだ」と説教するつもりだった。けれども疲れきった、それでいて晴れやかな顔で、彼が「何にも悪いことしていないのに、どうしてうまくいかなかったんだろう。いろいろな工場を転々としたのにな。携帯もうまく組み立てられるようになったのにな」と言うさまを見たら説教をする気は萎えてしまった。「じゃ、誰が悪いんだよ」と訊くと彼はただひとこと「世の中」と答えた。彼の酷い青森訛りが、長い東京生活で綺麗な標準語に変わっていた。別の人間が喋っているように聞こえた。僕は喉元で孵化しかかった言葉をビールで胃に流した。
 会社に勤めるようになってからも、年に何回かは彼と会っては酒を飲んでいた。会うたびに僕は彼を励ましていた。まだやれるだろ、頑張れよ、と。励ましながら僕は、自分と彼とを天秤の端において、どれだけ自分が高い位置にいるか観測していた。そうしてうだつのあがらない会社員生活で希薄になっていく自分の正しさを何かで補強しなければいられなかった。いつも、お互いに頑張ろうといって別れた。彼が青森に帰る前数年は会う回数が減り一年に一度も会わない年もあった。自分の卑しさと、沸き起こりつつあるものに向き合うのが辛かったからだ。
 「仕事も決まっている。春からは安定するはずだ」、林檎についてきた彼の言葉に、僕は沸き起こるものを押しとどめておけなくなる。ダンボールから林檎を取り出してみる。梶井基次郎の「檸檬」じゃないがこの掌の赤林檎が爆弾ならと祈るように想像する。赤林檎の爆弾が、いつか夢をかなえて一発逆転してほしいと友人の成功を願う僕の片隅に沸き起こってくる、失敗しろ失敗しろと友人の失敗を願っている僕の部分を、木っ端微塵に吹っ飛ばしてくれたら、僕らが犯した間違いごと灰にしてくれたら、どれだけ痛快だろう。
 兎にも角にも悲しいのは、僕のなかでこのような想いを炸裂させた友人からの林檎爆弾が、不惑の足音も聞こえているであろう友人の金ではなく友人の親の金で買われたものであること。それに尽きる。

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