Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

結婚二年、初めて妻がしてくれた。


 過日。新宿で友人と酒、がぶがぶ飲んで、我が家に帰ってくると妻の姿がない。午前零時。外出する時間ではない。風呂場の灯りが点いたままになっていた。お湯も張ったままだ。カゴには脱いだままの下着。不穏な状況に触発されて頭に《意味深なシャワー》《間男》《元モー娘。矢口》…次々と不吉な言葉が浮かぶ。どこだ?僕の不安をよそに、あっけなく妻は見つかった。妻はトイレにいた。


 我が家のトイレのドアは立て付けが悪く、時々、開かなくなる。妻もまた、入ったはいいもののドアが開かなくなり、トイレにとじこめられていた。「今、すぐに開けるから」外から開けるのはたやすい。ドアの隙間に薄いカードのようなものを差し入れ引っ掛けるようにして押せばいい。なのに妻「開けなくていいです」。声に悲壮感すら漂わせて。怪しい。やはり間男を匿っているのか。「いや、もうこんな時間だし、飲酒してきたのでトイレが閉店していると都合悪いからさ」「裸なんですう」風呂にはいっていた(入ろうとしていた)からか。むしろ見たい。見てみたい。ガン見したい気持ちを押し殺して「裸なんか気にするな。夫婦なんだから。それに風邪をひいてしまうよ。僕は裸でこのトイレに閉じ込められたことがあるからよくわかるんだ」「やーめーてー!」妻に構わず、僕はドアの隙間にカードを差し入れようとした。そのとき。トイレのドアは開かれた。ドアに弾かれるように尻餅をついた僕の頭上から「無礼な!」妻の声がした。ドアは壊れていなかった。なぜ妻は嘘をついたのだろう…。なぜトイレの灯りはこんなにも明るいのだろう…。その光芒のなかにトイレに備え付けられていたタオルで体の前面を押さえた妻がいた。妻は「失礼つかまつりました…」と悲壮な顔で言った。何のことだかわからず、やはり間男…と思ったけれど、一瞬後、僕はすべてを悟った。


 妻はウンコをしない人だった。結婚して二年。そのうち、別居していた3ヶ月はウンコをしていたのかウンコをしていないのか与り知らぬところだが、残りの1年9カ月は、僕が証人になろう、妻は一度たりともウンコをしなかった。妻はウンコをしないアイドルのような人なのだ。妻は公衆トイレで列をなす脱糞ガールとは一閃を画す存在なのだ。その事実は、僕に喜びを与えると同時に一抹の寂しさを感じさせた。ひとつの記憶が鮮やかに甦った。結婚が決まって妻が引っ越してくるときだ。妻は僕が捨てようとしていたスカトロものDVDを目の当たりにしてしまった。タイトルは『ウンコ三昧』みたいな感じのものだったように思う。「廃棄」と油性ペンで書かれたダンボール箱を好奇心から開け最上部の『うんこ三昧』を見て硬直してしまった妻の姿を、つい昨日のことのように思い出す。あの瞬間、誇り高い妻は『私の殿方にあのような性癖があるなんて。私は配偶者になるが排泄者にはならない。排泄者には断じてならない!』と決意を固めたのではなかろうか。言い訳するつもりはないが、僕にそのような性癖はない。DVDを躊躇なく廃棄したことが何よりの証拠ではないか。話がそれてしまった。スカトロの話ではない。ウンコの話だ。ドアが開かれた刹那、消臭スプレーや芳香剤で誤魔化せない微かな便の香りがしたとき、正直にいおう。僕は嬉しかったのだ。真の夫婦になれた気がしたのだ。


 風呂からあがると、妻はふたたび「失礼つかまつりました…」と言った。一口に2年、正確には1年9ヶ月というと軽くなってしまうが、その間の妻の気遣いを思いながら僕は「苦労をかけたね…」と言い、お互いに正座の姿勢から上体を前傾させて、深く頭を下げカーペットに手をつけ「今後ともよろしくお願いいたします」と挨拶をした。それから妻のイビキをバックミュージックにカレーライスを食べた。僕と妻。二人の二つの世界。まったく異なる二つの世界が重なって、その重なりあった部分から新たな世界が蜃気楼のように浮かんでくるような感覚がとても心地よかったのを今でも覚えている。たとえそれがウンコがきっかけだったとしても。


※※※※

■ツイッターやってるよ!→http://twitter.com/Delete_All/

■「かみプロ」さんでエッセイ連載中。
「人間だもの。」http://kamipro.com/series/0013/00000

■電子書籍を書いてたりします。

刺身が生なんだが

刺身が生なんだが


恥のススメ ?「社会の窓」を広げよう? (impress QuickBooks)

恥のススメ ?「社会の窓」を広げよう? (impress QuickBooks)

  • 作者: フミコフミオ
  • 出版社/メーカー: インプレスコミュニケーションズ/デジカル
  • 発売日: 2012/03/06
  • メディア: Kindle版
  • 購入: 1人 クリック: 60回
  • この商品を含むブログを見る