Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

自死遺族は自殺報道についてどう考えているか。

 アメリカの俳優、ロビン・ウィリアムズが死んだ。自殺らしい。「グッド・ウィル・ハンティング」はお気に入りの作品だ。合掌。僕が彼の自殺を知ったのはインターネット上のニュースで、直接、関係者でも知人でもない僕が、米国にいる彼の自殺を知るのは報道を介するしかない。限られた情報からわかったことは重度のうつで悩んでいたことと死因くらいのものだ。

 

 つい先日の日本の著名な研究者の自殺も報道で知った。記憶が正しければ、ふたつのニュースともインターネットのポータルサイトでは新聞でいえば一面のヘッドラインに掲載されていたはずだ。違うのは日本のそれはかなり早い段階で自殺の場所や方法、それから遺書の概要までもが報じられていたこと。故人が建物の何階で自殺をはかったか、そんな情報に何の意味があるのだろう。

 

過剰な自殺報道は控えるべき、という意見もある。内閣府もメディア向けに自殺予防のためのガイドラインを出している。著名人の自殺をセンセーショナルに扱うことが自殺の連鎖につながる可能性があり、その予防のため、というのがそれらの根底にある。

 

 自殺を、センセーショナルに扱うのも、妙に控えめに新聞の目立たないところで扱うのも、イヤだなと思う。両方とも自殺を特別なものにしているからだ。僕は父を自殺で亡くしている。父方の祖父も、僕が3歳のときに亡くなっているので事実関係ははっきりとしたことはわからないけれど、多分、父と同じで自殺。そんな筋金入りの自死遺族である僕がもっとも嫌なことは、有名人であれ、親族であれ、目の前のことであれ、テレビやインターネットの向こうであれ、自殺を特別なこと、特殊なこととして取り扱うことだ。日本では年間約3万もの人が自殺で亡くなっている。まったく特別なことではないはずだ。僕は自殺も他の死因と同じように扱ってほしいと思う。自殺というだけで背後に何か特別なファクターがあると考えるのはやめてほしい。原因はあるけれども、そこに、特別なものは何もない。ただの死だ。

 

 僕は、若いころの一時期、ほとんどおかしくなったように父の理由をさがしたことがある。けれども特別なことは何もなかった。わからなかった。わかるはずもない。本人がいないのだから。死人に口なしだ。そして気付いたのは、そういう理由探しは、受け入れ、悲しみを薄くさせる儀式という意味以外の意味はほとんどなかったということだ。それに気付いてしまうと、自殺というだけで、その方法や場所やエトセトラから死者はどれだけ人生に絶望し命を絶ったか、残された家族が何か重いものを背負って死者の分までも生きているか、そんなストーリーを勝手に想像し、捏造し、押し付けてくる人、押し付ける人をみると、それが僕の周りの人間であれ、有名人の自殺を報じるマスコミであれ、ひどくムカついてしまう。ホント、当事者でもない周りの部外者は、ふーん大変だねー、くらいに自然に報道や連絡に接して、受け入れてほしい。まあ、最初はショッキングなのはわかるけれども。

 

 僕なんて大変だ。父、祖父と二代続いてしまっているから、母や妻からは僕に自殺遺伝子があるのではと心配されている。専門外なのでそんな遺伝子があるのか、あったとして果たしてそれがどこまで死にかかわるのか、わからないけれど、たとえ僕のなかにそれがあったとしても受け入れるしかない。近親者の自殺と同じで。受け入れるしかない。乗り越えるしかない。遺伝子も。自殺も。

 

 まあ、なるべく控えめにというか、死者を冒涜するような報道だけはやめてほしいけれど多少センセーショナルでもスルーでもどうぞご勝手に報道したり、それについて意見を持てばいいさ。結局、憶測は勝手に飛び回るし、そこに死んでしまった人間の意志は完璧に反映されることなどありえないのだから。個人的には自殺の酷い有様や遺体の惨い状況を過度に伝えて、うわっ!とドン引きくらいの報道をガンガンやるほうが、ビビリの僕みたいな男には抑止力としてありかなと思っている。

 

 大事なのは生きることだ。自殺した人から、その自殺から過剰なメッセージやその裏に特殊なファクターがあるように思うことなく生きることだ。自分のことだってわからない。他人のこと、まして死んでしまった人のことなんてわかるわけないのだから。「グッド・ウィル・ハンティング」というタイトルの意味だってよくわからない。

 

 僕は40才で、まもなく父や、10年もすれば祖父の年齢までも越えてしまう。自殺した家族の分までマジメに生きようとは思わないけれど、なるべく楽しくバカをやって生きていきたいなとは思う。自殺なんてバカなことをやった人をバカにするようにね。それが僕の戦い方、向き合い方だ。そして、僕は、自殺遺伝子にだって楽勝するつもりだ。まあ、万が一、不覚をとって負けてしまっても世間様の通勤通学に迷惑はかけないようにするから安心してくれ。今日は盆入りだ。夕方、迎え火を焚かなくてはいけない。焚き続ける。来年も再来年もその先も。僕が。

 

(※いままでこのブログでは家族の自殺について詳しく書いてきたけれど、今回からはその方法等詳細については記述しないことにする。リアリティに欠けてしまい申し訳ない)

 

・「かみぷろ」さんでエッセイ連載中。「人間だもの。」 (http://kamipro.com/blog/?cat=98
 
・ぐるなびさんの「みんなのごはん」にてエッセイ連載中。
フミコフミオの夫婦前菜 ( http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/1526