Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

密室に潜入してみました。

錦織圭選手の全米オープン準優勝の熱狂が伝染したかのように、僕の下半身が疼き出したのは、夕刻、妻が義妹と会うために外出したときだ。
 
《妻の寝室にある60インチ液晶テレビでアダルト作品を堪能する。擦り減るまでこする》そんな、使命感とも、義務感ともつかない、青い衝動に突き動かされた僕は、シャツを脱ぎ捨て、今から執行される背徳な行為にまるで西野カナの歌のように震えた。何も悪くない。妻の留守に、妻の部屋の液晶テレビの前で裸になり、おおかたの日本人がそうするように、ワンオペでするだけだ。
 
妻の帰りは午後9時。4時間あった。まず気持ちを落ち着けるために録画しておいたエヴァンゲリオンQを見た。それからBlu-rayプレイヤーにアダルトDVDをセット。無駄な寸劇を、前戯を省略するようにエキサイティングなシーンまで早送りしてフォー!イッツショータイム!フォー!テンションを上げブリーフパンツを下げた瞬間、呼び鈴がなった。
 
部屋を出てダイニングにあるモニターで侵入者を視認。解像度の低いモノクロ映像に映っていた侵入者は妻であった。時刻は19時。早すぎる。エキサイトはこれからなのに。モニターでは妻がモソモソ動きはじめた。鍵を開けようとしている!僕は後ろめたさはないはずだったが妻の寝室に戻り、エキサイティングな映像を停止させた。ドアを開けようとする音が聞こえた。
 
僕はテレビとプレイヤーの電源を落とし、暗い風呂場に身を隠した。直後に玄関ドアの開閉音。妻の移動する音。やけに騒々しい。声。「出かけたのかなー」。洗面台で手洗いとうがいの音。すぐ隣の風呂場の闇の中でブリーフ一枚の亭主が息を潜めているとは夢にも思わないだろう。
 
妻の気配は、妻の寝室に消えた。寝室のドアが閉まる音。僕はそこで致命的な失敗に気付いてしまう。Blu-rayプレイヤーにアダルトDVDを入れたままだ。獣皇。全裸雪合戦。全裸金粉和太鼓。そういう妻に知られたところで恥ずかしくない作品であったらよかったのだけれど、今、プレイヤーに残されているのは、大人の事情でここにタイトルは記せないが、絶対に知られてはいけない種類のものだった。
 
妻の寝室のドアの前に行き、耳を澄ます。電話をしているらしい。相手は義妹だろうか。「ちょっと待って。DVD観る前に録画を見るからねー」。最悪だ。ブリーフ一枚で泣きそうになる。妻がBlu-rayプレイヤーの電源を入れ、HDDモードからディスクモードに切り替えた、その瞬間にエキサイティングシーンが流れてしまう。死ぬ。せめてシャツを着て死にたい。しかし、衣服がある僕の寝室へは妻の寝室を通過しなければならない。やれやれ僕にはシャツを着る権利もないらしい。
 
寝室のドアは閉ざされていた。この先にあるターゲット(アダルトDVD)を妻に気づかれずに奪還するのが僕に課せられたミッションだった。マンションは2階。寝室の南側にはベランダに繋がる窓がある。侵入路はその窓と僕の目の前にあるドアだけ。しかしブリーフ姿で外から外壁を登り潜入するのは一階に住む女子大生からの通報のリスクが高すぎる。却下。ちなみに妻の寝室に隣接している僕の寝室は元々クローゼットだった都合上、採光用の小さな窓があるだけでそこからの侵入は到底不可能。潜入経路は目の前のドアの他にはない。これは密室だ。そして密室には妻がいる。
 
ドアに耳をつけた。音楽が聞こえた。《ハピネスチャージプリキュア!》のオープニングテーマ。どうやら録画してあったハピネスチャージプリキュア!を視聴しているらしい。先ほどの情報とすり合わせすると、妻は義妹と実家でDVDを観る予定があった→予定変更。ウチのマンションで観ることになった。理由不明→妻帰宅。義妹がやってくるまでプリキュア視聴。イマココ!とりあえずプリキュアの30分弱は時間を稼げたことになる。
 
視線を落とした。ブリーフに認められる北海道型の尿漏れのシミが、早く仕事を終わらせろよ兄弟と語りかけてくるように僕には思えた。面倒くさいのでこのままドアをあけ妻の目前でターゲットを奪還してやろうかと考えた。だがターゲットは幸か不幸かピクチャーディスクという、表に扇情的なタイトルと内容ズバリな写真イラストが印刷されている特別なディスクで、もしこれを見られたら、死ぬ。無理だ。
 
沈思した。メタルギアソリッド2では警備兵がターゲットのそばから離れない場合どうしただろうか、と。確か…わざと物音を立てて警備兵をおびき出し、その隙に潜入していた…。妻を寝室の外におびき出す。それしかない。しかし、どうやって?しかも僕がここにいることを気づかれないように…。そのうえこの場合、着の身着のままという表現があっているかわからないけれど、ブリーフ一枚状態。こんなときウンコをしない妻が恨めしい。もし妻がウンコをする人間ならトイレに入っているあいだにミッションを終わらせられるのだが…。無い物ねだりはヤメだ。何か使えるものは?リビングとダイニングを見渡す。電話があった。セレブなウチは電話をひいているのだ。
 
時間がない。妻の携帯にTEL。非通知184を忘れない。「もしもし熊のダッフィーです」こういう風に切り出すと妻は喜ぶ。愛じゃない、油断を誘うためだ。「ダッフィーさんどうしたんですかぁ」「今、すぐそこのコンビニにいるのだけど財布を忘れてしまった。申し訳ないけど持ってきてよ」「ノン!」「ハーゲンダッツおごるからさー」「イエス、マスター!」ちょろいもんである。妻は僕に財布を届けるために徒歩2分のコンビニへ向かう。その隙にターゲットを回収し、何食わぬ顔で自転車でコンビニに向かえばミッションコンプリート。密室破れたり!
 
ふたたび暗い風呂場に潜んだ。足音。パンプスを履く音。パンプスを下着だと思っていたウブなあの頃にはもう帰れない。ドアの開閉音。施錠音。終わった…。風呂場を抜け出て、ドア越しに妻の寝室の様子をうかがう。プリキュア音。消し忘れたようだ。慌ててたんだな。ごめんな。僕は妻への申し訳なさと愛で胸がいっぱいになってしまう。ドアをあけた。照明は落とされていた。ソファの影の向こうにプリキュアの光が見えた。
 
浮かれていた僕はバレエダンサーのように舞いながら、液晶テレビの前に躍り出た。それからBlu-rayレコーダーを操作し、HDD(プリキュア)からディスクに切り替えた。そして。喪われたエキサイティングシーンが蘇生された。暗い部屋を卑猥な光と音が埋め尽くす。僕はそのまま窓際まで歩いていった。月が大きかった。これがスーパームーンか。僕は青白い月影にブリーフを晒すように腰を突き出し手足を広げてみた。勝利のポーズのつもりだった。
 
「…サマ?」声優っぽくない声がした。妻の声に似ている気がした。いや。ありえない。疲れてるだけだ。振り返るとソファに寝転んでいる義妹のレナさんがいた。「オニイサマ…」。体を起こす義妹。寝転んでテレビを観てはならないと教育されてない義妹。何が起こったのかわからなかった。「見た?」「はい…」「全部?」「はい…」終わった。何もかも。
 
妻と義妹立ち会いの下、ターゲット=アダルトDVDの見分が行われた。僕はブリーフ一枚のままだった。エロアニメだった。義妹から「40歳で…EDなのに…。しかもこれ…絵だよ?」と嘆かれたのは耐えられた。けれども妻に「これ…アニメだよね。アニメなのにモザイクかかってるよね。このモザイク、後からかけられたものなのかな?それとも完成したあとにかけられたものなのかな?そもそもどうしてモザイクがいるのかな」と詰問されたとき、僕の心はズタズタに切り裂かれ、やがて視界がモザイクのように滲んでいった。
 
今、午前二時。夜が明けたら資金源とエロアニメ購入ルート特定のための取調べが行われるらしい。独身時代に貯めこんでおいたヘソクリが見つかるのも時間の問題だろう。
 
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