Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

貞子の呪いで死にかけてる。

駅前の時計広場で貞子を見かけた。目を逸らすのが遅れ、交わる視線。大きく見開く貞子の目。それは、まるで、呪詛をリロードしているように僕には思えた。


初めてバイアグラを買いにいったのは6年前、独身のとき。隣人の目を怖れ向かった隣県にある泌尿器科クリニックは、患者のプライバシーに配慮し、一般の患者とバイアグラ処方希望者とで入り口が分かれていた。バイアグラ希望者は一般入り口とは別に設けられた入り口を使用する。無論、プライバシーに配慮し、流石だね、バイアグラ希望者はこちら!みたいなポップはない。


大問題があった。バイアグラ口に向かうためには、一般入り口の前を通過しなければならない。一般入り口はプライバシーに配慮した横開きの自動ドアであったため、センサーが感知して開いてしまうと一般患者の方からバイアグラ口に影のように向かう惨めな姿が丸見えになってしまう。ごらんインポだよ。薬物に頼っている顔をしているよ。晒し者である。


なので僕は、後ろから来た一般患者を、その、膀胱炎なのだろうか、ぴょこぴょこ歩く後姿が消えるまで、靴紐を直す振りをしてやり過ごし、センサーに感知されないよう壁に沿って歩かなければならなかった。誰も見ていないのに背中を丸めて。壁沿いに線をひくように。線の壁になって。治療なんかじゃない。性欲のためだった。すべて煩悩を満たすためだった。


バイアグラ口から入山すると、プライバシーに配慮した無人カウンターがあった。プラスチック箱に事前に書いてきた問診票を入れ、番号札を取る。2番であった。どう頑張ってもせいぜい2番の人生だった。恋愛でも。徒競走でも。バイアグラでも。


待合スペースは4つか5つあったはずだ。それぞれに肘掛のない丸椅子があった。プライバシーに配慮してそれぞれのスペースの間はパーテーションで仕切られていた。


葬式のように静かに待っていると隣から声がした。「おたく、はじめて?」見上げるとパーテーションの上半分のすりガラスの部分にぼやけて、モザイク状の顔が見えた。髪が長い。声がおっさんだ。無視した。神よ。なぜ知らないおっさんの顔をモザイク越しで見なければならないのか。EDだからか。クソ。

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ふたたび「おたく、こういうとこはじめて?」とまるでベテラン風俗嬢のようなことを言う。見知らぬおっさんに風俗体験を教えたくない。すると彼は、なぜ、ここに来るようになったのか語り出した。頼んでもいないのに。


15年ほど前に、彼は仕事で某国に滞在していた。国の名前は問題になるからいえないが、北京五輪が行われた国だ。彼はその国に若い愛人がいた。愛人さんは学生だったと思う。彼が言うには、当時の某国ではアレを積めば愛人なんて、ちょいちょい付いてきて毎晩アレが無くなるまでアレが出来た、そうである。彼がバイアグラが必要になったのはただのタマ切れだ。シンプルに自業自得だと。そうではなかった。いや自業自得は自業自得なのだけども。


「青龍刀で脅されたんだ」彼は言った。あまりの物騒さに思わず彼の方を見る。モザイク越しにおっさんのドヤ顔。アダルトDVDの見過ぎでモザイクの向こう側を見る力が僕には備わっていた。彼は夜道で何人かの暴漢に襲われ、仰向けに倒され、ズボンを下ろされ、青龍刀でつんつんされ、例の愛人の件で脅されたのだという。別れないとちょん切るぞ、と。青龍刀でつんつん以来、彼は立たなくなってしまったらしい。モザイクの彼は同意を求めるかのように沈黙していた。僕も沈黙していた。もしかすると僕の沈黙は彼への同情に見られたかもしれない。


悩みを共有したい人の気持ちはわからないでもないが、分かちあいたくない種類の悩みもある。女子学生と散々遊んだ結果、立たなくなった男と僕のあいだに共通項はない。それなのに結果的には同じように病んでバイアグラを求めなければならなくなっている己の不幸を呪った。より正確に表すなら、ピュアにうらやましかった。青龍刀でつんつんされるのも、若い女子学生とのお突き合いも。


おたくは?おたくは?と執拗にヒアリングしようとする彼は疎ましいだけだった。埼玉県産の女のせいだとか、そういう後ろめたい話はしたくなかった。僕は前を向いて行きたかった。イキたかった。僕は弾を装填しにきたのだ。めんどくさいので、僕は「すみません。私はEDとかじゃなくて若干弱くなっているだけなんですよ」と言った。見栄晴である。


次の瞬間モザイクは外れた。彼は、長髪を振り乱し、パーテーションの枠に手をかけ今にもこちらにやってきそうであった。その様子はほとんど貞子。貞子3Dならぬ貞子EDは僕に、おたくの顔は忘れないからな、おたくの顔は、このことは誰にも言うな、絶対に言うな、おたくもなっ、おたくもなっ、と呪詛を投げ続けた。ただ怖かった。やめてくれ。僕はもう立たないのだ。これ以上はもう、もう。あの中華人民共和国の夜に青龍刀が振り下ろされなかったのがただ残念であった。


先週末、数年ぶりに貞子EDを見かけた。髪は長く、貞子というよりはジョン・レノンからカリスマ性と才能と財力を削除したような外見になっていた。駅前の広場にいた。目があってしまった。そんな気がした。例の呪詛も頭にあった。


僕は彼に近づき、どーも、と声をかけた。「おたく誰?」彼は忘れていた。よかった。呪いは解けたのだ。もしかしたらこれで治るかもしれない。一生思い出して欲しくないので、人違いでしたと言ってその場から2メートルほど離れた。しばらくすると、若い女の子が近づいてきた。女の子は彼の目の前に立った。僕は確信した。あいつは青龍刀の恐怖を克服して幸せを掴んだのだ。おめでとう。


彼と女の子はお互いのスマホをチラチラしだした。奇妙なカップルだと思い近づくと「〜ちゃん?」「はじめまして。見た目大丈夫ですか?」という犯罪臭のする会話が聞こえた。EDのくせにエンコーっすか…。僕はベクトルは間違っているとはいえインポも二歩も前をいく敵手に圧倒され惚けていた。


許せん。振り下ろされなかった青龍刀を振り下ろさねば。これは私怨だ。何が悩みを共有だ。いつもいつもいつも自分だけ楽しみやがって。クソが。そんな怒り心頭で歩道を歩いていたら、呪いは本当にリロードされていたらしく、知らねえじじいのチャリンコにひき逃げされ、頭と首を痛め、3日も静養するはめになった。あちらはクスリを飲んでもピクリともしねえし、痛くて青龍刀も振れない。クソ。

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・「かみぷろ」さんでエッセイ連載中。
「人間だもの。」
 
・ぐるなびさんの「みんなのごはん」にてエッセイ連載中。
「フミコフミオの夫婦前菜 」