Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

その男、必要悪につき

3年前、自分探しを理由に自己都合退職したゆとり世代の元同僚が、雌伏期間中に起業し、取引を求めてきた。実は、この春以来、同僚君からの面談希望の電話とメールが執拗にあった。全部断った。なぜなら、必要悪を自称して《ニート期間=精神的にタフになった期間》とオレ流解釈し、在籍時以上の待遇を求めてきたクレイジーな復職騒ぎ、ストレンジな起業は僕に距離をおきたいと思わせるに十分なものだったからだ。


しかし3年は長い。入社1年以内の離職率が極めて高いウチの会社では大半の人が入れ替わり、元同僚君を知らない人も多い。当時の部長も既に鬼籍に入ってしまった。元同僚君はその隙を突くように、挨拶、挨拶だけ、名刺交換だけ、仕事の話はしませんから、などと能力がない営業マンが言いそうな文句を連発し、期待の新人(52才)に詰め寄りアポイントを取ることに成功したのだった。会社の危機だ。そこで事情を知り、個人的に3万円を貸している縁もあり課長の僕が対応することになったのである。


水曜日の午後。寝癖風にセットした頭髪、ジャケット姿で現れた元同僚君を応接スペースに通した。彼は、顧客と業者とかそういう立場は抜きに話をしましょうよ、と初っ端からナゼか上から目線だった。


とりあえず仕切り直しで、つって名刺交換を求めてきたので渋々応じた。僕の名刺を見た彼は、数秒前に立場は抜きといったその口で「あれ、まだ課長でくすぶっているんすか」と仰った。こいつ…とイラついてしまう。どうも「くすぶる」を「エネルギー充填中」「真心込めて仕込み中」のようなプラスの意味で使っているらしい。罪を憎んで人を憎まず。「くすぶってるぜー」「相変わらずっすねー」彼の名刺には社長と書かれていた。 


「どうなの?仕事の方は」そのまま帰そうと思ったが社交辞令で訊いてしまうサラリーマン体質の僕。1年前の事業説明会で彼の会社の大枠は知っていた。あの、忌々しいドリームファーム事業…それは元同僚君の会社が用意した土地でドリームキャストと呼ばれる出資者が育てた農作物を出資者自らが営業、販売し、売上の九割を上納する、いわばネオ小作人制度である。ドリームキャストという名称からは不吉な予感しかなかった。


不正直な元同僚君は正直いって難航していますと正直に打ち明けた。キャストは彼と彼の実母、弟を含めて5人にとどまっているとも。「でもね、これは産みの苦しみですよ課長」どこまでも前向きだ。「今、キャストはノウハウを蓄積しています」「何の?」「野菜作りの」「え?会社に農業経験者いないの?顧問とかさ」「いません。でもそれがこのドリームファーム事業の売りですから。私たちは誰にも頼らず学ばず全て自分たちの手でつくりあげる体験そのものを、つまりドリキャス体験を売っているのですから!」ヤメテ。オナシャス。思わず天井を仰いでしまう。シーマンが僕の頭上を泳いでいった。


「英語でいうならドリキャスエクスプロージョンです」エクスペリエンスとエクスプロージョンを間違っているのも悲しかった。シーマンが爆発するビジョンが僕の頭に浮かんだ。「ま、勝手に爆発してくれよ。あ、そろそろ時間だ」と僕が面談を打ち切ろうとすると元同僚君は身を乗り出すようにして「世界を取りましょうよ」と言った。その勢いがドリキャスにあれば任天堂とソニーに勝てたと僕は思ってしまうほどパワーと自信に溢れていた。「いや、だから仕事の話は、」という僕を制して「私たちの商品を見てください」彼はカバンから企画書を出した。


率直な感想をいわせていただくなら酷い代物だった。企画書には収穫された農作物が記載されていた。たとえば人参。ここまで細い人参が作れるのかと驚いてしまうほど貧相なものであった。忌憚のない意見をくれというので、ひとこと、ウチでは使えないと言った。腐ってもウチは食品会社。反論に身構えていると「酷くてもいいんですよ」「え?」。意外な答えだった。


「今日みたいなトップセールスは例外で、売るのは原則キャストの方々なんですから。我が社はドリキャス体験、ドリキャスエクスプロージョンを売って収益を得ているのですから。ただしポリシーとして農薬は使いません。手間もかけません。このビジネスモデルについてどう思いますか?」。無能力野菜あるいは無労力野菜の誕生に驚嘆しつつ「いいんじゃないかな。それで商売になるならウチでやりたいくらいだよ」。この発言を僕は後悔することになる。


「あのさ、この人参いくらで売るの?」彼は黙って右の手のひらをひらいた。「5円!!」と声が出てしまうが、首を振ったので「50円…」といい直した。「課長、世界に打って出るのですからグローバルにドルです。1本5ドルです」「高いよ」すると彼が、これだからブラック体質に染まっている人は…と言うのが聞こえた気がした。空耳にちがいない。


「課長、商品やサービスには倫理性が伴わなければダメなんですよ。生産者と搾取者、そしてお客様、全員がウィンウィンでなければ。だから弱い立場の生産者を私たち搾取する者は守ります。倫理性に貫かれた物語だからこそドリキャス体験を売れるのです」斬新な五百円の人参 の理由だった。間違ってはいないけど現実とは乖離している。付き合わないのが一番だ。


「ウィンウィンの波に乗りましょう。世界を取りましょう」。ひとつわかったことは肉声で聞くウィンウィンは酷くアホみたいだということだ。ウィンウィン。勝手に自爆していてくれと祈念しつつ「取引は無理だよ」というと「何でですか?」喰ってかかるので若干キレて「お前さー」というと「お前って言わないでください」と在特会の人のようなことを言うので、おしまい、つって商談を打ち切った。


帰り支度をしながら彼は「最近、ヨリを戻したんですよ」といった。別れた嫁さんと子供を思い出す僕。「そっか子供は?」「子供はもういませんよ」彼は悲しい顔を浮かべた。こんなときかけるべき言葉を見つけられる優しい人間に僕はなりたい。「そっか…」「この夏、知りあった女子大生と疎遠だったんすけどLINEが来たんですよ!」こんなときかけるべき言葉はすぐに見つかる。


付き合いきれん。僕は僕の問題に当たることにした。「あのさ、申し訳ないけど貸した3万円そろそろ返してくれよ」すると彼は「金の話はいいんです。この際」となぜか金を貸している側の論理で言い切った。「じゃあ死なない程度に元気でやってよ」この次の瞬間、僕は会社員生活最大に驚くことになる。


じゃあこれを、というと彼は懐の封筒から紙を一枚出し卓に置いた。「ご請求書」とある。意味がわからなかった。「なにこれ」「わかりませんか?ご、せい、きゅう、しょ、です」クソリプか。「いやだから何に対する請求?」すると彼は企画料だという。ビジネスモデルに対する企画料だと。


「課長、私が提示したビジネスモデルに感銘、共感しましたよね。《ウチでやりたいくらい》と仰いましたよ。もし、御社が私のアイデアをパクったらウチは丸損です。要するに企画、アイデア、ビジネスモデルに対するご請求です」無茶すぎる。ヤクザかよ。


「参ったなあー」と彼は真顔になり「こういうのに金を払わないと日本はどんどんつまらない国になってしまいますよ。私はそんな日本を変えていきたい」と続けた。それから「日本を変えましょうよ」「こういうの何ていうか知ってますか」などと調子に乗り始めたのでそこで面談を強制終了。


努力も我慢もせずに受け入れられない、認められないといって体一つで世界を目指すならともかく日本を変えようと言い出すのは疑いなくアホーなのである。そして遂に3万円は返ってこなかった。


最後に戒めのために彼が言い残した言葉をここに記し締めの言葉にかえさせていただく。「教えてあげましょうか、こういうの、必要悪って言うんですよ」


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・「かみぷろ」さんでエッセイ連載中。
「人間だもの。」
 
・ぐるなびさんの「みんなのごはん」にてエッセイ連載中。
「フミコフミオの夫婦前菜 」