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Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

蘇生


僕が父親の話をすると妻は「すごく綺麗」と言う。「思い出補正がかかっているんじゃないのー?」と笑いながら。そんなとき僕は、そうだね、メチャ補正入ってんし、フォトショもキメキメだよーつってアホみたいに笑う。アホな笑いの裏で自動補正じゃないけどねとアテのない言い訳を浮かべながら。そうさ。その補正は自動じゃない。僕は意図的に父親と父親と過ごした頃の記憶に補正をかけているのだから。色鮮やかに塗り直している。枯れた花を咲かせ、影を消すようにして。

自ら命を断った父親の人生のすべてが綺麗なものであるはずがない。今思えば終わりに近づけば近づくほど影の部分が増していた気がする。色鮮やかな部分に落ちる影は深い。父親が死んだときの僕の記憶は、細部について曖昧になりつつあるけれど、コアの部分は消えていくどころか、細部がぼやけていくにつれ、フォーカスされはっきりとしていっている。ともするとあの死に様は目を背けてしまいたくなる色を帯びている。あれは、避けたくなる、逃げ出したくなってしまう色だ。

僕ら家族が父親から目を背けてしまったら誰もいなくなってしまう。あれからもう20年超。家族以外の人間が父親のことを思い出すこともない。僕は時々思い出すようにしている。向かい合うようにしている。いや、しなければいけない。父親が死ななければならなかった理由がわからないだけに僕はその理由が僕ら家族のためだったと信じたい。

信じることは向かいあうことだ。けれどもリアルなあの頃を思い出すのはやはりキツイ。だから、キレイなジャイアンじゃないけど、お世辞にも綺麗なんていえやしない部分の父親の実際の記憶まで、色鮮やかなものに着色し、飾りたて、蘇らせている。言葉は神で、物語の中だけでならそれができる。

ひょっとするとこんな蘇生は故人の人生を冒涜している行為なのかもしれない。でも多少小綺麗に飾り立てたっていいと思う。無策でやりすごすには人生はハードすぎるし。死人に口無しって言うし。こんな飾り立てが必要なのは、人より少し遅い反抗期を迎えていた僕が亡くなる直前の父親としっかり向かい合ってなかったからだ。

遅い反抗期の僕の反抗ぶりったら、その遅さゆえ深刻で、口をきかない位ならまだしも、暴力こそ振るわなかったとはいえ、ほんとに父親の気持ちを傷つけるようなことばかり言うようなひどいものだった。だからこうやって今、言葉で父親とうまくいかなかった日々までも綺麗に飾り立てて蘇らせているのはあの頃の自分をごまかしたい、そんな僕をズルさからきている。謝りたくても謝る相手がいない。こんな補正出来ない後悔、二度とゴメンだ。

これからは、いつか自分の過去を補正なしに、ありのままで見つめられるように未来を生きていきたい。僕は40才。もうギリギリだ。だから今こそ、生き続ける僕はこれからの人生を色鮮やかにするために自分のダメな部分をマトモに蘇生させなければいけない。とりあえずここ数年仮死状態が続いている真ん中の足からはじめたい。

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・「かみぷろ」さんでエッセイ連載中。

「人間だもの。」


 

・ぐるなびさんの「みんなのごはん」にてエッセイ連載中。

「フミコフミオの夫婦前菜」