Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

悪意がないってサイコーだ。

「悪意がない」を免罪符にする人を相手にするのが苦手だ。意図的であれ、モノホンであれ、悪意ナッシングより悪意アリの方が断然与し易い。今、僕が仕事で直面しているのが(おそらく意図的な)「悪意はないんすよー」人間で、あんたの悪意の有無に興味もクソもないので金は支払おうよ、というだけの話なのだけどうまくいかない。なぜなら、悪意がないといえば許される、見逃されると考え、自分の行為を省みないからだ。反省をしない。これはある意味無敵なのだよ。

現在進行中の争い事の話をするのはアレなので昔の話をする。昔々、といってもたかだか10年くらい前の話だ。僕は元上司(故人)の命令で支払いが滞っている得意先に向かった。そこはお年寄り向けデイサービスで、僕の会社はそこで使われる食材を納品していた。僕は預かってきた請求書をそこの代表(故人)に渡した。代表は高齢のじいさんで、請求書を傍にいた役員を務めている夫人(故人)に渡してから、虚空の一点を凝視するや否や、ナラサー、ナラサー、ナラサー!と咆哮した。神頼みだろうか。

奈良さん(故人)は経理の人でした。奈良さんは仰々しく請求書を受け取ると影に消えた。僕があれこれ説明したあとに 、代表は「悪意はなかった。支払おうにも支払えなかった」と続けた。「悪意のあるなしは関係ありません。そもそも私に悪意の有無を判定することは出来ません」と応じる僕。代表はこう言って胸を張った。「ボランティア事業なんだ」そして、豊かでない老人相手の事業、スタッフも低賃金で頑張っている、切り詰められるものは切り詰めてると言い分を続けた。委細承知の事項だった。

いちいち適当に相槌を打っていたのを、同意、賛同、賞賛とホップステップジャンプ的に捉えたのか、代表は崇高なボランティア精神とミステリアスな思考回路を発揮して、なぜ、そうなるのか今だに不明なのだが、納品済みのものの値下げをするよう要求してきた。とんでもない金額だった。悪意がないは無敵だ。反省も恥も求められないから。

僕はすっかり冷めてしまい、ナラサー、ナラサーと声を上げている代表に「そちらはボランティア事業かもしれませんが、あいにく弊社は営利の企業体ですので取り決め通りにお願いいたします」と言い、督促期限までに支払いがなかったら供給を止めますと通達した。代表は、悪意はないのに、ボランティアでやってると繰り返すが僕は聞かない。

「なんて非道い。生き馬の目を抜くつもりか!」と代表。僕は、生き馬の目を抜くの正しい用例を教えてやる。「代表は生き馬の目を抜くを私の残酷性や冷血をあらわす喩えにお使いのようですが、実際はあなたのような人のことをあらわす言葉なんですよ」反応はなかったのでさらに「支払いが遅れるのならご一報いただければよかったのですが…連絡もご相談もないのは悪意があったと言わざるをえませんね。生意気言って申し訳ありません。こんな話を最後にしたのは悪意ととってもらって結構です」

その施設が閉鎖されたのはそれから間もなくだったと思う。悪意がないは無敵だけれども、それだけでサバイブ出来るほど世の中は甘くない。今、僕に悪意はないと言い続けている人物の御多幸を祈るばかりだ。