Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

トイレにとじこめられてます2014

 今朝、トイレのドアが開かなかった。妻の姿が見当たらないので犯人と特定し、愛いやつ、つって待つ。だが待てども待てどもドアが開かないので、いよいよ不安になってくる。病や外傷で倒れているのかもしれない。

 「大丈夫かい?」ドアを叩き、耳をそばだてた。サウンドオブサイレンス。こんなロングトイレはおかしい。妻にかぎってありえない。にわかには信じがたいかもしれないけれど妻はウンコをしない。結婚以来3年間ウンコしていない。もしかすると、それが事実なら僕はとても悲しい誤解をしていることになるのだけれど、妻には肛門がないのかもしれない。

 僕は火急の事情により強引にドアを開けることにした。もし、このドアの先で倒れている妻に肛門がなかったら、そのとき僕はどんな顔をすればいいのだろう?わからない。クソ。僕の四十年の人生はまるで役立たずだ。

 乗り越えなければならない火急の事情が僕にはあった。私事になるが、ここ数週間ほど僕は胃の中でターミネーターが暴れ続けているような猛烈な腹痛と激しい下痢に悩まされている。ターミネーターは液体型の方が厄介なことを僕は映画「ターミネーター2」で教えられている。だが頭で理解しても実戦は別物。いざ液体型襲来ってな時には手間取ってしまう。

 たとえば、先日、真夜中深夜1時に事を成し遂げたあと的に当てていたウォシュレットで便意が喚起されてしまった。下痢とウォシュレットが激しくぶつかり合い、まるでドラゴンボールのかめはめ波の撃ち合いのようであった。詳しい記述は避けさせていただくが激しい戦闘のあとは悲惨の一言につきた。戦争反対。

そして再び激しい腹痛と便意。クソ。間違いようのない液体型のサイン。こんな状態でトイレに入れないのは危機的な状況。「シドニー・シェルダン作《家でのゲリッピー》で英語をマスター!」そんな現実逃避は便意をおさめてはくれなかった。僕は祈るような気持ちでドアを叩き続けた。妻のため、というよりは自分のために。自分の尊厳のために。

 前門のドア、肛門の狼に挟まれ、このトイレのドアでとじこめられているのは僕の方なのではないか、そんな錯角に陥ってしまう。通常、パニックを起こしたり、精神がおかしくなるのはとじこめられている側の人間だ。今現在、家でのゲリッピーでパニクってるのは僕で、優雅にトイレっているのは妻。どうみてもとじこめられているのは僕の方だった。

 秩序を喪失し怒涛のように押し寄せる猛烈な液体型は止まることをしらず、既に肛門の筋力でせき止めている状態だった。僕の腸で暴れまわるターミネーター。ごめんなさい。なぜ人はこういうときに謝るのかわからないがとりあえず心で何かに謝りながら、息も絶え絶えに声を掛けながらドアを叩き続けた。

「ねえシノ。ドアを開けて。恥ずかしがらないで。もじもじしないで」前半は余裕があったのでムーミンの替え歌だったが、余裕がなくなった後半は悲痛な懇願に変わっていった。「大丈夫。僕は何も見ない。見ていない。君はウンコしない。ウンコしていない。約束する。いいかい。ドアを開けて。もう一度言うよ。君は・ウンコ・しない」。抜かりない僕はドアを叩くリズムもモールス信号だ。ボーイスカウトをやっていて本当によかった。《--・-・ ・-・ ・- ・--- --・-- -・-- ・-・--》(訳/ウンコしない。ドア開けて)

 へんじがない。まるでしかばねのようだ。しかばねは鏡に映る僕の顔だった。絶望が全身を浸食していく。ウンコを漏らしましたとツイッターで告知したら、本来の意味のクソリプをもらうのだろうなあ…と自嘲しているとドアが開いた。

 「ただいまー」妻の声が天使の声に思えた。開いたのは玄関のドアだった。ゴミ出しに行っていたらしい。僕は安堵のあまり笑みと屁を漏らしてしまう。屁にしては謎の熱量を感じたけれど、建て付けの悪いドアの方がはるかに問題。そう考えることにしたんだ。