Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

上司が亡くなった。

「俺はチャンスをピンチに変える男だ…」「責任を取るためにお前ら部下がいるんだろう?」「なるへそ」が口癖で、在職時はその激しい言動で僕ら部下の心を熱くかき乱し、誰からも惜しまれずに2年前に自称寿退職された部長が人知れず亡くなっていた。

部長の死去に地球上で最も落胆しているのは僕だろう。なぜならクレーム処理に出向いた部長が「ミスの原因は…強いて言えば人間の業…ですかね…」「腹を切って話をしましょうや…」と言って新たなトラブルを起こすたびに僕が火消しを任されるなど、仕事の上で散々お世話をしたこともさることながら、結婚パーティーで締めのスピーチをしていただいたように公私共に大変に世話をしたからだ。

あのスピーチは今も語り草だ。「え〜最後になりましたが、長年連れ添った女房との協議離婚が先日成立したことを皆様にご報告させていただき新郎新婦へのお祝いの言葉にかえさせていただきます…」その後の僕ら夫婦の妊活の不調はこの呪詛が一因だと確信している。

そんな部長が亡くなったと取引先の担当者から聞かされたのはこの夏の終わり頃だった。「部長、お亡くなりになったんですって?」別のクライアントからも「部長どうして亡くなられたんですか?」と言われた。「部長死んだってホント?」「あの人死ぬの?」「葬儀は終わったの?」「亡くなったって聞いたけどどこで?」そんな声を関係各位から聞くようになった。誰もが道端に落ちているウンコを見るときのように、部長の消息が気になりながらも目を背けていた。

 それらの話の共通点は、「嘘だろ?」「信じられない!」という驚きや悲しみよりも、安堵したいがための死亡確認の意味合いの強い疑問形であること、亡くなった《らしい》という伝聞であること、そして誰もが部長の死を直接自分の目で確認しようとは思っていないことだった。めんどくさいからだ。

 退職後の部長に一度だけ会ったことがある。退職から数ヶ月後の昨年の初夏だ。アポなしで突然会社にあらわれた部長は、行ってこいのツーペーでグローバルにビジネスを展開してると豪語しながら、在籍時に契約した顧客は自らの手柄だから手数料を支払えという反グローバルな提案をしてきたのだった。

久々に会った部長は、見慣れたスーツ姿ではなく、iPhoneで有名なあの人を「スティーヴッ」と呼び捨てにするだけあって、白Tシャツにジーンズ(ケミカルウォッシュ)というラフなスタイルだった。そのTシャツの生地が薄いおかげで魂胆と窮乏と乳首が透けて見えていたのが悲しかった。僕が部長の乳首を見たのはその日が最後でした。

 部長の死について別れた奥様に尋ねようとも思ったがやめた。部長が遺していったスーツ、ダッフルコート、ルービックキューブ、UNOなどの私物をダンボールにまとめて送りつけたときのことだ。「蒲田のアパートに身を隠している」本人が言っていたアパートは既に引き払われていて荷物は戻ってきてしまった。蒲田→足立区→戸越銀座のアパート。部長の足跡はそこで途切れてしまい、ゴミ処理に窮した僕は別れた部長の奥様に頼ったのだ。

 鎌倉の閑静な住宅街にあるクリスマスケーキに乗っていそうなピンクと黄色の格子の邸宅。部長が一代で築き上げたと豪語していたその御殿は、奥様の実家だった。対応してくれた奥様は、あの人のことは何も知らない、関わりたくないと言うばかりだった。

 玄関のドアにもたれかかって話す奥様は、息子が大学を出るまではって我慢していたんです、金輪際関わりたくないと言った。生前部長が吐いていた「俺は別れたいが向こうが聞かねえんだよ…」という言葉を僕は妄想だと決めつけていたのだけれど、奥様の証言で、温度差こそあれ、真実であることがわかって良かった。部長似のブルドッグが、帰れ、二度と来るなとでも言わんばかりに吠えていた。ブルは「ノルマ」という名前だった。そんな経緯があるので奥様に部長の消息を訊くことは人としてできなかった。

各方面から部長の死亡情報は寄せられ続けた。死亡時期は毎週のように関係各位に送られ続けていた部長からのスパム・メールが5月を最後に届かなくなっていたのでそのあたりだと推定された。場所については、寒中見舞いだか暑中見舞いだか記憶が定かでないが、「シンガポールにいる」という文面の消印都内のハガキを貰ったので、アジア圏であることは間違いないだろう。

「育ての親だけでなく生みの親も3人ほど亡くなっている…」「新潟県のある金沢にいたイトコでハトコが亡くなった。今日告別式で明日お通夜なので山梨県にいかなければならない」「女房の配偶者が死んだ」。生前の部長の話を信じるならば、奥様の配偶者を含めた全ての親族が鬼籍に入っているはずだ。

部長は天涯孤独。それを保証するような都内某所で脳卒中で倒れてそのまま亡くなり超簡素な葬儀を経て某寺で無縁仏になっているという確度の高い情報も寄せられたが聞かなかったことにした。ガチのミイラ取りがミイラになる案件だからだ。遺骨を押し付けられたらたまらないからだ。

 総務の人に相談してみた。「部長が亡くなったらしいですけど行方不明です。失踪届を出しますか?」「何で?」「いや、一応」「確かに家族以外でも利害のある人は出せるけど、利害ある?」害しかなかった。話は終わった。部長は死んだ。それだけだ。

 今、思い出されるのは静岡のホームセンターで「大人一人を入れられるスーツケースをくれ」と不審極まりない買い物をする在りし日の部長の姿だ。あのあと僕と部長は、ひと言も話さずに大きなスーツケースを積んだ車で浜名湖岸を走り続けた。夏草が揺れていたあの日。身の危険を感じ、小銭で拳を固め続けるしかなかった僕だったけれど、もしかしたら部長は死に場所を探していたのかもしれない。部長はあの夏の日に、仕事も、おまとめローンも、壊れた家庭も、全てを捨ててスーツケースに消えたかったのかもしれない。エスパー伊藤のように。スーツケースを棺にして。巻き込まれなくて本当によかったと思う。

僕は今、雑踏の中で部長を見つけることが出来る。俺が。私が。僕が。気がつけば世の中は自分を過信して迷惑な自己アッピールする部長チルドレンばかりだ。部長は生きている。皆の心の中で生き続けている。誰からも望まれてはいないけれど。僕には今にもあの街角の向こう側から「待たせたな…」「今度会うときは…客だ…」というあのダミ声が聞こえてくるような気がしてならないんだ。