Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

上司が生きていた。

亡くなったはずの部長が生きている。そんな気がしてならない。通夜や葬儀は行われていないし、誰も死の状況や遺骨を確認していないからだ。今でも部長が遺していったものが発掘され続けているからだ。
 
「俺は他人にだけ厳しすぎた…部下は誰も俺の葬式には来ないだろう…」「俺を偶像崇拝しろ」そんな部長の生前の予言めいた言葉は現実となってしまった。予言より現実は厳しいものになってしまった。部下同僚のみならず仕事関係や親族からも縁を切られ、都内の寺で無縁仏になられた部長。
 
仕事上の関係から疎まれたのは「信頼は金で買うもんだ…未契約の、金銭の授受のない御社になぜ信頼されるような言動を求められなければならない?失礼ながら資本主義を学ばれた方がよろしいのでは…」「見積時点の想定より2割ほど苦労したから2割増しで請求をしただけ…肉まんを二個買ったら二個分の代金を払う…社会常識でしょう…」という自信過剰と自己陶酔からくる発言が災いしたのだろう。皆が駅のホームに吐かれたゲロを避けるように部長を忌避している。「ゲロからクソを生み出すのが営業の仕事だ!」在りし日にそう豪語していた部長がクソにすらなれないのを目の当たりにするのは、悲しい。
 
まさか、こんなことになるなら2年前、定年退職の際に送別会をやってあげればよかった。僕はいつも後悔ばかりだ。そうすれば部長から呪われることを恐れずにいられたのに。成仏は出来ないだろうから、せめて客死した戸越銀座で立派な自縛霊自爆霊、地縛霊となって欲しい。妖怪ブームだし。
 
一方で部長の遺留品が発掘され続けている。我が営業部は縮小の一途を辿り、棚や机や椅子といった事務用備品を年末までに社に返さなければならなくなった。そのための片付けをはじめたら至る所から部長が残したものが出てきたのだ。
 
額縁の裏。ダルマの下。ロッカーの天板の上。テレビの後ろ。そういった場所から名刺や、天声人語の切り抜きが出てきた。すべて部長のシャチハタが押されていた。まるであの世の部長が「俺を忘れるな」「忘れるな」「忘れるな」「忘れるな」と執拗に追い込みをかけてくるように、時々、出てくる。そのたびに僕らは部長の存在を近くに感じ、心理的な圧迫に耐えつつ「仕事をしていないように見えたけどマジでしていなかったんだ…」「いつの間に仕込んだのだろうね」「ホント仕事してくれよ」と文句を言っては、それらの紙片を、そこには何か汚い字で書いてあったけれどもあえて読まずに、シュレッダーで裁断するのだ。
 
部長と苦役を共にした僕に出来ることは部長の生きた痕跡をこの地上から完全に消すことだ。天下を統一した徳川家が豊臣家の痕跡を消し去ったように。
 
社のサーバーに手付かずのまま残されていた部長の個人フォルダも削除することにした。【見ないで】【どうしよう】という不穏な名前のフォルダだ。中にあった「KIHON  KONSEPUTO」「K YAKUSHO」「おこづかい」というふざけたドキュメントは内容を確認せずに削除。「おこづかい」は式の入っていない稚拙極まりないエクセルファイルだった。
 
無題のドキュメントもあった。開くと「今後困ったときはいつでも俺に連絡をくれた。まだ教えたいないことがありますよ」と拙い日本語が書かれていた。辞世の句、というよりは時制の苦。時の旅人だったのかもしれん。
 
部長には完全に死んでもらいたい。死は眠りだ。誰よりも眠りを大事にした部長も僕がそう願っていることを喜んでくれるはずだ。僕は在りし日の部長を思い出す。二人で得意先の社長の講演を聞きにいった。講演後社長から感想をもとめられた部長は胸を張って「お話が心地よくて思わず眠ってしまいました」と堂々と居眠りを告白したのだ。その後の「社長のお嬢様はどちらのブスですか?」と部長が続けたときの張り詰めた空気を僕は生涯忘れないだろう。
 
棚からVHSビデオテープが見つかった。「課長へ  困ったときはこれを見ろ」と書かれた付箋が貼られていた。タイトルは「セイ・モア・バッツ・タシィ・ヘブン」
 
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同僚たちは、あれだけ部長を忌み嫌っていたのに、そのビデオを廃棄しようとせず、あろうことか再生しようとした。「部長の言葉を聞こう」「部長は生きている」「部長の言葉に耳を傾ける。それが残された僕たち私たちの義務だ」とか言って。人が亡くなった途端に善人であったかのように扱い出すのって何なのだろう。天地神明に誓って、カラダを壊した部下を「やわな奴はワーキングポア!(過労死)」と罵った人間が善人であるはずがない。
 
こんなアホな状況を目の当たりにすると、部長が僕ら部下を「俺が率いればお前らのような弱兵も烏合の衆となる」と酷評していたのも頷ける。怪しげなビデオのタイトルにヘブンとあれば洋物のエロに決まっている。裏モノだ。烏合の衆にはそれがわからない。部長は僕を名指ししていた。死してまで僕の性的不能を公にするつもりなのか。これはテロだ。
 
同僚たちは会議室に集まり今か今かとビデオの到着を待っていた。僕はビデオを破壊した。床に叩きつけ足で踏みつけ、露出したテープを、部長のバーコード頭をむしるように引き千切った。「故人にそこまでやらなくても…」「ひどい」「人のすることじゃない」と僕を詰る堂々たち。涙目の女子社員。僕は会社の秩序を守るという名目で、自分の秘密を守ったのだ。ついでに部長の名誉をも守ってしまった。
 
僕は故人に酷いことをする男と陰口を叩かれている。でもそれでいい。会社で裏ビデオが再生されるというテロから色々なものを守れたのだから。ただ「課長、なんだか部長みたいになってきたな」と言われたのは傷ついた。イヤな上司と戦う者は、その過程で自分自身もイヤな上司になることのないように気をつけなくてはならない。部長をのぞくとき、部長もまたこちらをのぞいているのだ。
 
部長はまだ生きている。僕はこれからも部長の欠片を見つけては条件反射的に葬り続けるだろう。そんな僕の姿を見たら部長は褒めてくれると思うんだ。「仕事がはやいな…お前…俺と同じ世界の人間だ…」と言ってね。